日本を元気にした「富岡のチカラ」|【生島淳】【スポーツ】東北からの声5
パリ・オリンピックを振り返ると、「富岡町のチカラ」が日本を元気にしたことを実感する。今回、バドミントン競技では男女合わせて12人の日本代表選手のうち、5人が富岡一中、富岡高校卒業生だった。なかでも混合ダブルスでは、「わたがしペア」こと渡辺勇大、東野有紗のペアの戦いぶりは手に汗握るもので、準決勝では中国ペアに屈したが、3位決定戦では韓国ペアをストレートで下し、2大会連続で銅メダルを獲得した。
わたがしペアはオリンピック直後のジャパンオープンを最後にペアを解消、渡辺は今後も混合ダブルスに取り組む予定で、新しいパートナーを迎える。一方の東野は女子ダブルスに転身する予定で、新たな挑戦が始まることになる。ふたりが別々の道を進むことを残念に思う人もいるだろうが、何かを捨てなければ新しいものを得られないこともある。ふたりの新しい挑戦を応援したい。
わたがしペアの2大会連続メダル獲得に加え、女子シングルス、男子ダブルスに代表を送り込んだ「富岡モデル」は大成功を収めたわけだが、今後の日本のスポーツ強化のモデルにもなり得る。
もともとは、2006年に双葉郡の教育構想の一環として、サッカーやバドミントンの選手育成を目指し、富岡一中と富岡高校は指導者を招き、全国から選手を集めた。これまで、私立の学校でしかできなかったような強化の仕組みを自治体ぐるみで行ったことになる。この取り組みは2011年の東日本大震災で方向転換を余儀なくされたが、過去に男子シングルスの桃田賢斗を輩出したことからも分かるように、適切な環境、コーチングを用意すれば、東北からも世界で戦える人材を輩出することができることを証明した。
パリ・オリンピックでは、もうひとつの競技で東北の力を垣間見た。今大会、フェンシングは過去最多の5個のメダルを獲得したが、銅メダルを獲得した女子フルーレ団体で、コーチを務めていたのは私の故郷、宮城県気仙沼市出身の菅原智恵子コーチである。
菅原コーチは現役時代、アテネ、北京、ロンドンと3大会連続でオリンピックに出場。その後はコーチに転身し、日本の躍進を支えた。また、フェンシング協会の千田健一会長は同じく気仙沼出身で、幻のモスクワ・オリンピック代表。千田会長は、鼎が浦高校の教員だった時代、菅原コーチを見出し、オリンピック選手に育てた。私は、気仙沼の力が躍進の一助になったと信じている。また、うれしいことに今年のインターハイでは気仙沼高校が男子団体で優勝。未来への可能性を感じてもいる。
富岡町、気仙沼市もいずれも小さい町である。人口減少も止まらない。それでも、優れたコーチを招き、丹念に10代の選手たちを育てれば若者たちの可能性を広げる場所になれる。
いま、首都圏では様々な競技のスクールが林立している。では、地方はどうだろう。子どもの数自体が少ないのだから、団体競技を永続していくのは難しい。かつて富岡町が取り組んだように、バドミントンのような個人競技に絞って町ぐるみで強化を行っていくことは活気を生み、町の財産になり得る。東北の生んだ素敵なストーリーだ。
いくしま・じゅん 1967年宮城県気仙沼市生まれ。早稲田大卒。博報堂で勤務しながら執筆を開始し、99年に独立。ラグビーW杯、五輪ともに7度の取材経験を誇る。最新刊に『箱根駅伝に魅せられて』(角川書店)。
あわせて読みたい↓