【新連載】【桜沢鈴】なかなかのイナカ奥会津移住日記
灯油ストーブは偉大だった
私が福島県会津若松市に引っ越してきたのは7年前。東京でひとかどの漫画家を目指し数年間頑張っていたが、張り切って月12万5000円の賃貸住宅に住んでしまったために、金銭的に立ち行かなくなったのが大きな理由だった。
もし大阪の実家に戻ったらきっと家族や友達が優しくしてくれる。食うに困らなくなると怠惰になり、ぬるま湯に浸かって今以上のダメ人間になるだろう……と安易に想像できてしまった。
修行しなければ。修行といえば北だ。北へ行かねば。厳しい大地、東北へ攻め上がり自身を鍛え直すのだ。
雪国を体験したことがないので一回住んでみたいという気持ちもあった。かの文豪、宮沢賢治や石川啄木も美しい雪景色を見ながらかじかむ手で執筆したに違いない。そんな状況に追い込めば自分も素晴らしいものが描けるかもしれない。少しの期待を胸に私は東京を後にした。……そして本当の本当に、人生で一番の試練を味わうことになった。
正直、豪雪地の冬を舐めていた。いや、舐めていたというより「寒い」とはどういうことか、分かっていなかった。
借りた住居は家賃が今までの半額、広さは2倍の一戸建て。暖房はホットカーペット1枚とコタツ1台、ガスファンヒーター1台。ガスファンヒーターは優秀だが、ガンガンかけるとこちらに引っ越した意味が無いほどに暖房費がかかるので我慢した。
真冬の室温は常に0~10度だったと思う。ホットカーペットの上にコタツを置いて、上半身は半纏を着て仕事をした。私自身の保温には成功、しかしそれ以外全ての物が氷のように冷たい。入れたてのお茶は速攻で冷茶になる。コタツから出れば、ペンもノートも資料の本も、床もドアノブも吸い込む空気も、触れるもの全て私から体温を奪っていく。
体温(エネルギー)を奪うものに囲まれると次第に「私の周りは敵だらけ」と言う感覚になってくる。
私は一人だ……孤独だ……。
そんな精神状態でどんどん漫画を描くスピードが遅くなり手が止まり、収入が無くなっていった。人生の行き止まりを感じ、私はある日「生きていけない!」と部屋の中で叫んだ。
かつてないほどどん底に落ちた時、ふと「灯油ストーブを買おう」と思った。バカな話だが、当時の私はこれを買うことを拒否していた。なぜならすぐに新しい漫画連載を掴み取って東京に戻るつもりだったから。
灯油ストーブは偉大だった……!
燃料代が安い! ヤカンを置けば常時湯を沸かせる! 停電になっても関係ない! 何より真っ赤に燃える炎を見ると心まで温かくなる!
部屋全体にエネルギーを充満させることで私は圧倒的に自由になれた気がした。北国の人が家の横に灯油タンクを設置し、真夏のように部屋を暖める理由が分かった瞬間だった。
このほか、移住によって得た気づきは小さなものから大きなものまでたくさんある。それは奥会津に移住した今も継続中である。
そんな気づきのお話を今後みなさまに楽しんで頂けたら幸いです。
ちなみに東京に帰る算段は今のところ立っておらず、どんどん遠のいております(笑)
さくらざわ・りん 大阪府出身。漫画家。7年前に会津若松市に移住し、現在は奥会津で暮らす。代表作『義母と娘のブルース』はドラマ化されて大ヒットした。