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緊縮財政派との戦い方

#民主主義 、ダメだった30年という事実
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(ゲスト)森永康平氏:経済アナリスト

【目次】
1. オープニング
2. 積極財政の歴史
3. 積極予算をつけてもその先が大事
4. 積極派と緊縮派のどちらにも一理ある
5. 国のマクロと民間のミクロを分ける
6. 積極派と緊縮派との折り合えないポイント
7. 積極派は理解される努力が必要

(深田)
今回は森永康平先生にお越しいただきました。先生、よろしくお願いします。
前回は、緊縮財政の話から「政策を変えて積極財政に切り替えていくことで、日本が経済成長をしていけば良いのではないか」とご提案いただいたのですが、積極財政に向けての課題が何かあるのではないかと思うのです。例えば、ザイム真理教の人たちが抵抗勢力になっていると思うのですが、どうすれば積極財政に向かっていけるのか教えていただきたいのです。

(森永)
まず、積極財政の歴史から話します。歴史といっても、そんなにたいそうな話ではなく、日本でのポジショニングについて、振り返る必要があると思います。元々、私がこういう言論の場に出てくる以前、およそ10年間、社会人をやっていた頃の話です。要は今から6、7年前、「積極財政派」はほとんどいなかった印象があります。まだネットも今ほど発達しておりませんでしたし、メディアに出てくる主流派と呼ばれる人たちは、みんな緊縮派でした。積極財政を唱える人がいたとしても、SNSやYouTubeといった今のような伝える術がそこまで無かった時代だったので、なかなか意見として表に出てこなかったのです。それで、メディアに出演するコメンテーターのほぼ全員が、緊縮派の中で、どうにかして積極財政という考えに気づいてもらおうとした人たちもいました。
皆さんが見てくれない中で、知ってもらうためにアピールしようとすると、おそらく多少極端なことを言わざる得なかったのではないかと、僕は勝手に推察しています。緊縮財政派は「金がもったいないから出せません」という発想であるのに対して、積極財政派は、「関係ない」「国はお金作れるのだから、もうバンバン金を出せばいいのだ」といった極端な発言をします。このような派手な、今思えば雑かもしれないことを言って、「なんだあいつ」というアテンションを引かないと、まず表に出られないからです。

(深田)
なるほど。そうですよね。

(森永)
だから昔は、積極財政派は「とにかく、金を出せばいい」「国はいくらでも金を出せる」という発言気味になっていましたので、緊縮派の人たちからは「積極財政と言っているやつらは、国が打出の小槌を持っていると勘違いしているバカだ」といったことをよく言われました。そういう批判に耐えながら、ずっと「金出せ、金出せ」と言ってきたことで、その後、リーマンショックや東日本大震災が日本を大きく揺らす中、「この経済政策は合っているのだろうか」という疑問が、その都度、その都度、出てくるのです。コロナやウクライナ戦争もあって、だんだん「積極財政、良いのではないか」「そういう考えもあるのではないか」と積極財政に肯定的な声が出てきました。
手応えがあったのが、今から約1年前だと思うのですが、経済学者ではない、街を歩いている一般人に「今、経済政策として何をやるべきですか?」と質問する地上波の街頭インタビューで、1番最初に出て来たのが消費減税だったのです。これはすごいことだと思っています。普通にそこら辺を歩いている人たちが減税と言うのは、昔だったらありえないことなのです。

(深田)
そうですよね。少し前であれば、無かったと思います。

(森永)
無かったです。「減税なんかしたら、この日本の財政状態だと財政破綻してしまう」というのが大多数でした。

(深田)
「社会保障の財源をどうするのか」とも言われていました。

(森永)
以前の街頭インタビューでは「お前、よく訓練されているな」というような人たちばかりでしたが、積極財政派が様々な場面で少々極端なことを言いながらも、存在感を示してきたこと、ある程度SNSでも浸透してきたことの証だと思っているのです。ここまでは良かったと思います。
しかし、このままでは、積極財政は少数派の域から出られず、「ちょっとおかしいやつら」扱いをされるのではないかと思っています。表に出た最初の頃は派手なことを言わなければならなかったと分かります。しかし、数年前からは、これから先はもう少し議論を緻密にしていき、「何でもいいから金を出せ」ではなく、「出すべきところを考えて出す」という方向に持っていくべきだと言っているのです。

(深田)
非常に素晴らしいと思います。私は積極財政に反対ではないのですが、今までの十数年の日本政府のお金の使い方を見ていると、お友達企業にはお金を出して、中抜きを何割もやることが繰り返されてきたと感じています。いわば日本はインフラガバナンスの低い国として、中抜きが横行しているので、政府に積極財政でお金を配る権限を与えるのは、少々危険なのではないかとは思っていたのです。

(森永)
そうですね。この積極財政が、昔に比べると論者が増えたので、その分パワーになりましたが、いわゆる内部ゲバルトとまでひどくはありませんが、人がそれほどいれば、それぞれ考えが違いますから、やはり意見が割れるのです。
私が、「積極財政をすべきだが、緊縮は反対だ。何でもかんでも無限に色んなところに、無数に金をばらまくのではなくて、出すべきところはどこなのか緻密な議論をしよう」と言うと、今度は中から叩かれるのです。つまり「お前は積極財政の皮を被った緊縮派だ」と言われるのです。「いくらでも出せると言っているのに、出すところを絞れと言うことは、まさに今、緊縮派が言っているロジックそのものではないか」と叩いてくるのです。しかし、その言い分は、間違いであるというより、甘い見通しであると思います。「無限に出せます」となったとしても、消化できる先があるのでしょうか。
例えば、今回能登で地震がありました。「復興しなければいけない」という考えは正しいですし、やるべきだと思います。しかし、「無限に金を出せるので100兆円の予算を能登につけます」と言い出しても、そもそも、それをさばけるだけの人はいるのでしょうか。つまり、予算がいくらついたとしても、大事なのはその先にいる人であり、少々言葉は良くないかもしれないけれども、「適切にその予算を消化できるだけの労働力があるのですか」という話なのです。

(深田)
ええ、そうですよ。そういうものがないと、企業の下受けリレーが始まり、中抜き企業が何社も入って、中抜きされたお金が誰かさんと山分けされていく、そして悪い政治家だけが強くなっていく原因を作りかねないと思います。

(森永)
やはり、出すべきところや出す金額に関しては、一切目をつぶって適当にやるのではなくて、ある程度の議論が必要ですし、そのような議論と緻密な計算の上での積極財政をやっていかないと、おそらく多数派にはなれないでしょう。「いつまでたっても少数派のままではないか」というのが、僕の指摘です。しかし、積極財政派の中でそれを言ったとき、すごく叩かれた記憶がありますから、依然としてここが課題なのだろうと思います。

(深田)
そうですね。財政政策でお金を出したときに、その効果が本当にあったのか検証する論文も結構あるのです。「高齢化社会でお金をばらまいても、実は高齢者はそのお金を全部使うのではない」「その分野での雇用がなかなか増えない」など、色々な課題があるので、どのようにお金を出せば効果的なのか研究されています。それなのに、そのような研究にはあまり触れないまま、「とにかくお金をばらまけばいい」という議論であれば、やはりうまくいかないのではないかと懸念しております。

(森永)
多くの方が積極財政派を胡散臭く感じてしまえば、「結局利権なんかのために、金をばらまきたいだけなのではないか」「自分が働きたくないから、楽をして金が欲しいだけなのではないか」とうがった見方をされるでしょう。「変な主張している」と思われた瞬間、「頭がおかしいやつら」と表現されて主流派にはなれないのです。
それで、僕は積極財政の話をする時も、緊縮派の人たちを仲間にしなければならないと思っているタイプなのです。自分のYouTubeチャンネルでも、基本として色んな人を呼ぶことをメインにしているので、意見が違う人たちを呼びますが、「なんであんなやつを呼ぶのか」「こんなのを呼んだから、お前はもう信頼できない」など、様々な批判コメントが来るのです。結局、そうやって殻に閉じこもって、考えが似ている人たちだけの中で動画を出して、「森永さん素晴らしい」とやっていても、気持ちは良いけど、広がらないではありませんか。
広げていかなければならないのです。なぜかというと民主主義だから、選挙でしか変えられないからです。
選挙は、言い方悪いけど、カルタ取りゲームなので、取ったやつが勝ちます。ということはやはり、どれだけ共感の輪を広げられるか勝負をしているので、いくら「自分が素晴らしい」と褒められて気持ち良くても、それ自体は何の効果もありません。緊縮派の人たちを「あいつらはダメだ」と言って没交渉するのではなく、「俺たち、どこなら折り合えるのか」話し合っていかない限り、広がらないのではないかと思います。

(深田)
正しくそう思います。私は、「積極財政が正しいのか、それとも緊縮財政が正しいのか」と、どちらかのみを正しいとする考え方が、まずバランスが取れていないと思います。どちらも一理あるから論者がいるので、「どういう時に、こちらを選ぶのか」ということを、最初に議論すべきだと思うのです。

(森永)
まさにバランスですよ。だから、ネットの社会の良くないところは、白か黒かはっきり言って目立つ人が、インフルエンサーになるところですよ。目立ったとしても、あくまでネットで消費されるコンテンツに過ぎません。世の中の真理は、意外にグレーのところにあります。時代の変化によって黒よりのグレーにも、白寄りのグレーにもなるのかもしれませんが、「白であるか、黒であるか」ということはあまり無いからこそ、「どこでバランスを取るのか」という話ではないですか。
だから、僕は緊縮派と呼ばれている人たちとも議論するのです。しかも、喧嘩腰でやるのではなく、「僕はこう思います、あなたはこうですよね」と、お互いの立場を明確にしながら、「意外とここは考え方が一緒ではないか」「どこなら折り合えるのか」ということをずっとやっています。もちろん、「なんだかちょっと合わないな」と思うところもいっぱいあるのですが、それでも続けている理由は、緊縮派の人と、「国もお金を出さなければいけない」という意見で一致するときもあるからです。そうすると、「意外と考えが一緒だ」と気付きます。「出すべき」で一致できると、彼らも「むやみに出すよりは、ある程度議論をして考えた方がいい」と言うので、僕と同じ考えなのです。しかし、その後、「どこの投資ならリターンが出る」と話し出すので、そこが合わないのです。つまり、どこに投資すればリターンが出るのか議論して、お金をどこに出すのか決めてしまうのです。リターンが出るならば、投資ですから、放っておいても民間がやります。

(深田)
確かに、そうですよね。

(森永)
リターンが出る投資を考え出すから、僕と合わないと思うのです。例えば復興の話で、「能登に投資しましょう」となれば、彼らは、リターンが出るのか話し始めるのです。

(深田)
その考え方は、やはり民間と政府という公共財を構築する人たちの役割の分担の考え方が前提としてできていないですよね。

(森永)
利益が出る投資なのであれば、民間が放っておいても投資するのですよ。国の投資においては、リターンは関係ありませんし、リターンがあるのなら、放っておいても民間がやるのです。リターンは無くとも、国としてやらなければいけない投資をやろうという話になると合わないのです。日本の政策が間違える原因は、こことリンクしていることがよくあります。いわゆる有識者会議に集まっている連中は、大きい会社の経営者が多いのです。
彼らは確かにすごい人たちなのですが、それは民間企業を成功させたすごい人たちなのです。民間企業を成功させたすごさというのは、ミクロの世界ですごかった人たちなのですが、国の政策はマクロなので、マクロとミクロは時として答えが真逆になることがよくあるのです。ミクロで成功した人たちを有識者会議に呼んで、マクロの政策を決めさせると逆の答えを出してくる可能性があるのです。

(深田)
インフラ投資にリターンなんて、回収が何十年もかかるようなものは、民間には取れないリスクです。そういう話になると、必ずそんなものは民間の人たちの発想では反対になってしまうことがありえます。やはり、「国でないと取れないリスクとは何なのか」「でもやらなければならないことは何なのか」ということに、もっとフォーカスをして、国と民間の役割の違いを、きちっと明確に分けていかないと、そこは読み誤りますよ。

(森永)
やはり、このミクロとマクロの違いをちゃんと意識していける人を、緊縮派の中で増やしてかないといけません。彼らと全く意見が合わないことはありませんし、僕も色んな人と話してきましたが、最初から合わない人はいなかったのです。ただ、どこかでやはり考えが合わないところが出てきてしまうのですが、よくあるパターンの1つが、ミクロとマクロがごっちゃになってしまっているところです。僕でも、自分の会社で考えたら無駄な投資は絶対やりたくないので、投資を誰かから勧誘されても、「それはちゃんと回収できるのか」と社長としては思います。
でも首相だとしたら、そうは思わないのです。放っておいても儲かるのであれば、民間が勝手にやるから必要ない話なのですが、その辺りがどうも合いません。あと、いわゆる主流派の経済学者と話していても、なんだかよく分からないことを言うときもあります。
例えば僕は「財政を出した方がいいよ、金融政策よりも財政を出した方がいいよ」という話をすると、彼らは「金融政策も大事だ。無駄にお金を出すよりも、金利操作で対応できる」とよく分からないことを言うのです。先ほどの話は、ミクロの人たちがミクロの議論ばかりするので、マクロと合わないのですが、学者系の人と話していると逆に、ミクロを知らなすぎる時が多いのです。

(深田)
そうなのです。経済学者の先生方と話をしていると、中小企業の現場は完全無視で、中小企業が死にかねない政策を平気で言うのです。「それをやると中小企業が倒産します」と言うと、「弱い会社は潰れても仕方がありません」という結論になっており、これはまずいと思うのです。

(森永)
だから、財政を出す話をしても、「いや、今は金融が緩和的だから、そこまで財政を出す必要がない」と言うのです。なぜ金利を下げて金融緩和の状態だと、「それだけで良い」と言うのでしょうか。

(深田)
世の中にクレジットがあることを知らないのです。

(森永)
また、金利を下げると、「企業は必ず融資を受けに来るはずだ」、逆に金利を上げれば、「融資をためらって投資しなくなるのだ」と主張する方もいますが、「会社の経営をしたことがありますか」と問いたいのです。例えば借り入れる金利が10%とすると、この学者は、「金利が10パーセントもあったら、金利が高すぎて、企業の経営者は借り入れない」と言うのです。そのようなことはなくて、もし僕が社長だとして、「投資したら5倍になります」と分かっていたら、5倍儲かるのだから、10%で借ります。全然ペイするではありませんか。逆に、金利が0でも儲からないと分かっている投資は借りられないのです。つまり、金利操作が槍玉に上がる時点で、もうロジックが破綻しているのにも関わらず、やみくもに信じているのは、おそらく会社経営をしたことがないからなのでしょう。

(深田)
おそらく会社経営はしたことないですよ。

(森永)
机上の空論ではありませんか。机上の空論としてはすごく分かりますが、実際の社会との乖離があります。僕はマクロで喋っているのだけれど、緊縮財政派はミクロで来るので、この乖離が、いわゆる主流派、緊縮派との、最後に折り合えないポイントとして、頻繁に出てくるのです。そこをなんとかうまく「いや、こうじゃないですか?」と下から言って、ちゃんと理解してもらえば、積極財政の考え方が、「異端の変なやつ」「頭おかしいやつら」というラベルも外れて、もう少し数が取れるようになるのかなと思います。僕は積極財政は大事だけれど、積極財政派の中でも努力をしていくべきだと思います。
僕らが多数派になれるようにするには、折れる必要はないけれど、まず没交渉をやめて話し合いをして、次に折り合えるポイントを明確化して、そして折り合えないポイントはどうすれば理解してもらえるのか努力をしていかなければなりません。このままでは、積極財政派が、今後さらに勢力を拡大するのは厳しいと見ています。

(深田)
私は、どこに予算をつけるのか議論していると、そこに恣意的な人たちが入り込んでくるのではないかと懸念しているので、逆に減税にして、お金は国民の手に戻して、民間の賢い人たちが自分で考えて使った方が良いのではないかと思うのです。

(森永)
そうですね。減税派、要は積極財政の中でも、減税がすごく大事であると考える人たちは、まさに、「国が何もかも徴収して考えるぐらいなら、民間に残してあげろ。その中で優秀な人たちが使っていった方が良いのではないか」と発想しています。僕はそれも全然ありだと思っているし、今のフレームでいって結局ダメだった30年という事実がありますからね。

(深田)
そうですよね。このまま続けるだけではダメなのだということです。

(森永)
思考停止そのものだから、考え方を変化させていくための議論をしていくとなると、「減税がいいのか、それとも積極財政や投資を増やす方がいいのか」と割れていくと思います。そこで意見が割れていくのは正常だと思うから、そういう議論を進んでやって欲しいのです。「今までやってきてダメだったから」と、変化を怖がって思考停止のままというのだけはやめていただきたいと願います。

(深田)
なるほど。今回の議論も、ものすごく面白かったです。今回、森永先生の方から積極財政の課題とは、実は積極財政派の中での議論をもっと丁寧にしていかないと、この考えが主流になって経済成長いくことが見込めないことなのだという、本当にためになるお話をいただきました。森永先生、今回もありがとうございました。

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