「育児負担」 いまの日本で子供は「負担」であり、絶対に子供は増加しない。
男性の育児負担増で子供は増えたか
少子化対策として必ず話題になるのが「男性の育児負担」。
女性が社会進出によって担いきれなくなった「育児負担」、しかし夫が分かち合ってくれないので少子化が進んでいるのだ、という意見である。
「家事負担」もセットで語られる場合も多い。
実際にはどうか。下記のデータによれば2001年から2021年の間に夫の家事・育児参加時間は倍になっている。特に2011年からの10年間の伸びが大きい。まだ妻との差がかなりあるが、勤務形態などの労働時間、給与の差が影響していると思われるが、後述する戦後から平成にかけての家庭環境の在り方も影響しているだろう。
そもそも女性の社会進出がどれだけ進んでいるのか。
下記のデータによれば、2010年からの11年間で正規雇用が16%、非正規雇用が15.5%増えている。
男性の家事・育児時間が増加し、女性の収入(=世帯収入)が増加した結果として、出生数及び出生率はどう推移したか。
出生率は2010年の1.39から2015年に1.45に増加したものの、その後下降し、コロナ前の2019年には1.36まで下がってしまっている。
出生数は夫婦二人から1.4人前後しか生まれないのだから当然大幅に下落している。
データからは男性の育児負担の増加や世帯収入の増加は子供の増加に寄与していないことが伺える。
産業構造の変化と子供に対する価値観の変化
少子化が日本で進んだ理由が「産業構造の変化」にあることを、各種統計データを基に、5回シリーズで解説したことがある。
その産業構造の変化によって少子化が進んだが、同時に日本人の子供に対する価値観が大きく変わったのではないかと思われる。
それを象徴することばが「育児負担」ではないだろうか。
かつて「子宝」と言われた子供がいまや「負担」と言われているのである。
この変化も、歴史的背景を考えれば納得がいくものである。
有史から昭和の初期まで、日本の労働人口のほとんどが農民であった。農業は人手を多く必要とするから、子供は将来の労働力として必要不可欠なものであった。また、農民は夫婦どころか一族そろって仕事をし、育児も一族で担っていた。よって「負担」という概念は存在しない。
おそらく最初の変化は戦後と思われる。「夫が仕事、妻が家庭」というスタイルが登場するが、産業構造の変化により職場に男性が求められたこと(学歴社会)、かつ核家族化で家を守る祖父母等が居なくなったことが要因として考えられる。
この時期の妻の最大の役割は「家事・子育て」であり、それが存在意義でもあった。つまり子供の存在は妻にとって自分の存在意義=アイデンティティ)そのものであった。
ただし、核家族化の進展により、育てた子供は、自分がそうしたように親元から離れる可能性が高い。すると老後を見てくれるかわからない、という点で子供は「一族の宝」から「妻の宝」までその価値を減じたと言えるだろう。
離婚数は高度経済成長期に増加しているが、このときの価値観(妻の宝)が、離婚時の親権が妻有利に判定される要因の一つになっているではないだろうか。
そして現在、女性も社会進出が進み、アイデンティティを子供に求める必要がなくなった。「所得」及び「納税」は社会参加=アイデンティティの確認として最強の指標である。すると、それを阻害しかねない「子育て」はむしろアイデンティティを脅かすものになってしまった。そして子育ては「負担」となった。
「負担」は他人に押し付けたいし、減らしたい。核家族化した社会で負担を押し付けられる相手は夫だけである。これが現在の「夫の育児負担」問題の本質であり、止められない少子化の要因だと思われる。
これを変えようとするなら、出産と子育てをすることで仕事を上回るような「所得」と「納税」が得られるようにするか、それに代わる社会参加環境を提供しなければならない。
そしてそれは不可能だと思われる。
保育園や児童館に係るサービスの拡充を求める声も、結局のところ優先されるのが「仕事」であることを示している。
つまりどんな少子化対策もほとんど効果が無いと思われ、これ以上政策を続けるべきではない。
やはり人口減少下での社会維持の方法を考えるべきである。
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