ヨガのはじまり
ヨガの起源の話
に、いつも登場するのがモヘンジョダロ遺跡。
モヘンジョダロについての知識はほとんどありませんが、現在のインドよりパキスタン地域のほうが適当かと思います。
モヘンジョダロは紀元前2500年前のインダス文明最大の要塞としとして栄え、政治や宗教の中枢であったとされています。(日本は縄文)
大規模な穀物の倉庫が発見されており、高度な農業がおこなわれていたそう。
また、大浴場や個人の風呂場なんてのも発見されたようで。
毎年インドにいくのですが、湯舟なんて見たことないのに、、、。
さて、この農業。
日本では弥生時代より農業が始まったと学校で習いました。紀元前1000年頃とされます。それよりさらに1000年も前に都市を形成し、農業で食料を安定供給していたとは、よほどの科学的な知識と統治力が備わった都市だったと思います。
それはなぜか?
人は恐れる
コロナ禍の昨今ですが、これだけ情報が溢れた時代にマスクやトイレットペーパーが商店から在庫が無くなったり(あるいは少なくなる情報が出回ったり)したら人はどんな行動にでましたか?
我先にと、買いあさり、「我が家は大丈夫」という安心感を目指すのです。
人は、根源的に「恐れる」生き物だと考えます。
生きることを脅かす存在に対して、抗う思考と行動を起こします。
さて、食料。
現代のように世界的な物流網が発達している場合では、米や大豆、肉が無くなると、それを補う国や都市から調達できます。しかも、かなりタイムリーに。
紀元前2500年前のモヘンジョダロ。
食料の安定供給が、年に住まう人々の心の安定にどれほどの影響をあたえていたか想像してみて下さい。
「今年は雨がすくなかったから、ごはんは無しよ」
なんて、政治はできないのです。
そこで高めなければいけないのが「予測技術」
農業の生産は天候に大きく左右されますね。光と水。
モヘンジョダロ周辺は、農業都市として栄えるに必要な肥沃な土があったと思います。その裏返しとして、定期的な河川の氾濫が起こっていたのではないかとも推測されます。河川の氾濫は、土を攪拌し、上流からのミネラルや養分が土壌に混ざりあいます。
天候の予測、水害の予測、そして収穫量の予測。
そういった「未来(宇宙)を見るチカラ」が高まっていったことは簡単に想像がつきます。(現代も同じですね。そのために今は衛星を飛ばしています)
根源にあるのは、生命への恐れ。
もっというと「わからないことへの不安」。
ヨガの話
モヘンジョダロ遺跡で発見されたのは、ヨガの行者のように見える神の描かれた護符(石板)。
これを根拠に、この地域では古くからYOGAおよびヨガ的な取り組むが行われていたとされるのが通説となっています。
「ヨガが古くからとりくまれている」と、強調したい人にとっては絶好の発見だったのですが、果たしてそれは「ヨガ」だったのでしょうか?
今私たちは、ヨガの時間に、『自らの生命の危機に抗い、恐れを払拭するために宇宙の摂理を理解しようとしている』でしょうか?
あるいは、2500年前の人類は、自らの生命を脅かすものへ対する抗いはなかったのでしょうか?
ヨガの起源について明確に時代を区切ることに、あまり意味はありません。
そして、たまたま古くからある遺跡からヨガ的な取り組み(座り方)が見つかったことで、それが現代のヨガに通じるものかどうか科学的な根拠はありません。(インダス文字が解読されれば、もっと研究は進むのでしょう)
ただ、私は思います。
古くから人は「知ろうとしてきた」のだろうという事に。
●私たちはどうすれば安心して生きられるのか?
●苦しまずに生きられるのか?
●不安を払拭するために養う力は何か?
そしてヨガ
インダス文明以降、インド北部にはますます高度な知識や特権階級制度が発達しました。人口も増え、国同士の争いも起こります。
世界中で、大小さまざまな争いが人類の歴史の中に流れ続けています。
それも根源には「生と、その生を脅かす存在に対する恐れ」があります。
その「恐れ」に対して、古代インドのヨーガ学派という知識階級は
Yogas Chitta Vritti Nirodaha
ヨガをこう記したのです。
心の波立つ作用が、わたしたちの苦しみの原因だと。
ヨガって、なんだろう。
決めつけず、見つめていこうと思います。
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