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青葉市子15周年記念コンサート

 東京オペラシティコンサートホールという、初めての場所に、というよりは初めて行くジャンルの場所に、そして青葉市子の15周年という記念すべき瞬間に立ち会える事実に緊張しながら会場に向かった。
 思っていた通りの厳かな会場で、一つ席を空けて隣に、『何もしない』というタイトルの本を読む女性。両サイドは空いていた。S席ということに胸躍らせていた が、1階席の最後列から2番目とステージからはかなり距離がある位置だった。
 開演まもなく彼女はギターを一本抱えて現れた。オペラをやるためのホールということで、小さな音まで、鮮明に響く会場だった。数日前Twitterで、「公演中咳払いをしたお客さんに青葉さんが何かを言った」みたいな情報を目にしたせいで、身じろぎ一つできない緊張感で最初の数曲を過ごした気がする。(声が良すぎて寝てしまったし、それをすごく贅沢なライブの過ごし方として正当化している。)
 最初に印象的だったのは開演の瞬間の静寂。家で1人で黙っていれば簡単に無音の時間は作れるけれど、大勢が意思を持って作り出した静寂には祈りに近い美しさがある。そこにいる人たちが密やかにした約束があるかのような静けさ。その沈黙の水面に雫が落ちるみたいに青葉市子の声が波紋を広げた。美しすぎる。歌詞のない歌声がこんなに似合う人を他に知らない。
 彼女は1/20の同会場でのライブを振り返って、まだその続きにいるようだと、夢の中のようだとしきりに言っていた。彼女は書き物が好きなようで、「物語のはしくれのようなもの」をたびたび書いていたのだそうだ。それが歌詞になり、今の彼女のうたがあるわけだが、書き物が好きとは言われてみるまで気づかなかった。今までは澄んだ歌声とアルペジオにばかり気を取られていて、彼女の作品の意味的な側面を気にしたことがなかったからだ。だけど1曲か2曲ごとにはぽつりぽつりと話をし、自身のライブを夢の中のようだとつぶやく姿から、人生を物語的に捉える人なんだなとだんだん分かった。そして人生という物語の軌跡が描く稜線を大事にする人なんだろうと思った。だから「音楽を聴くというよりは、皆さんも自分の物語に潜るような感じで」と言ったんだろう。それから僕は少し自分のことを考えながら聴いていた。
 演奏の真ん中あたりで、ゲストボーカルとして大貫妙子さんを迎えた。青葉さんの師事していた山田庵巳さんが大貫さんのトリビュートアルバムに参加した頃から長らく、青葉さんは大貫さんの楽曲を聴いているそうだ。  青葉さんと大貫さんが4曲を披露する中で2つ左の女性が泣いていた。僕はあれやこれや色々と思案したり、心地よい音にウトウトしながら演奏を聴いていたせいで、あまり没入という感じはなかったから、少し羨ましかった。
 大貫さんと青葉さんは互いを何度も讃え合って、青葉さんがま1人で演奏を始めた。それから僕は一層自分のことをいくつか考えた。恋人と別れたことで過度に落ち込まないように人間関係の速度や頻度を上げたり拡張することで解決しようとしていたこと、物事を俯瞰していても、歩みを落とすことでしか見えてこないニュアンスがあること、それは大切にする必要があるということ、孤独の時間にある静寂を聴かないようにしていたこと、働きながら生きていくなかで何かを作ったり、新しい自分に変わってゆくと、どうしても生活や視線が移り変わっていく速度を上げてしまうこと、何度歩調を落とすことの魅力に気づき直しても、働く日々で縁取られた体や習慣が、私自身の生活のスピードを上げてゆくなら、どうすればいいのかということ。そうやって自分自身のことや人との生活のことをぐるぐると考えながら曲を聴いていた。
 そして、忘れていたいくつかのことを演奏によって思い起こしてもらった。それは、もう全く知らない景色なんかないということだ。きっとこれから出会う物事は、今まで出会ってきた何かに似ている。だから、過去の自分の経験を手がかりに生きてゆくしかない。今回、薄暗いホールで自由にギターを弾いたり喋ったりする青葉さんが、なんか高校の頃よく通っていたスタジオに似ていると思って思い出せた。
 後半は知っている曲が多かった。『アンディーヴと眠って』『Space Orphans』『もしもし』など。なかでも『Space Orphans』は、2023の「森、道、市場」で聴いたときのことを思い出したし、孤独を生きることへの肯定を彼女の言葉と声で歌ってもらうことに何より意味があると感じた。「歌詞の説明をするのはあまり好きではないけれど、Space Orphans(宇宙のみなしご)の『背中合わせに君がいるから』の「君」とは、他の誰かではなくあなた自身、あなた自身があなたといつだって一緒にいる、だから大丈夫」と曲が終わった後に言ってくれた。ものすごく近くで、あるいは果てしない遠くの星から囁かれたような独特の暖かさ。ものすごい瞬間に立ち会ったのだ。

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