「あなたなら、きっと大丈夫」って言ってほしかった。
皆さん、こんにちは。
今日も読んでいただきありがとうございます^^
【言葉で心をつむぐ旅人】真理です。
「自分らしく生きる」というのは、私にとって(もしかしたらあなたにとっても)大きなテーマなのですが
言葉で言えば、それは簡単なように見えるけれど、実際は幼いころからのさまざまな経験によって、大きなブレーキがかかっていることが大半です。
自分の人生を生きるアクセルを踏むために、いったい自分にどんなブレーキがかかているのか、そのブレーキを踏むに至った経緯、そして、そのブレーキに気づき少しずつ緩めてこれたいきさつを、考察して語ってみたいと思います。
「自分らしく生きる」ということに心を向けながらも、なかなかそこにたどり着けないという方にとって、これから先、進んでいく目印になることを祈って、私の経験をお伝えしていきます^^
どうあがいても、自分自身だというのなら
今までやりたいと思っていたことに、ブレーキをかけずにやってみる。
完成度や、それを見た人の評価にフォーカスしたとしても、それは私に量れるものではないし、何よりもおもしろくない。
私は私が生み出したいと思うものを、心を込めて生み出していく。
それでしか生きられないというのなら、そう生きていくと、ハラをくくる。
決める力というのは本当に偉大なもので、私がそう決めたことによって、その道が拓けていく。
私は幼いころから感性が爆発していて、それをだれにもうまく受け止められずにここまでやってきてしまった。
私の中には、いつだって今この一瞬しかなくて、その先にある未来のことなんて、考えている暇もないほど目まぐるしい。
そんな性質による生き方は、どうあっても変えようがなくて。それをいかに自分自身が受け止めて、肯定して生きていくしかない。
ずっと、私ではないだれかに肯定してもらいたいと思っていたけど、結局はだれがどんなふうに肯定してくれたとしても、私はずっと納得できなかった。
だって、私が一番肯定してしてほしいと願っていたのは、他のだれでもない、私自身だったのだから。
だれが私を否定しようと、私が私の味方になってほしくて、もがいていたんだから。
だから、私が私を肯定しない限り、私の心が満足することがない。
愛情不足のせいではないのだけれど
幼いころは、母や父に肯定してほしかった。世界中が敵になってしまったとしても、母と父だけは、私の味方でいてほしかった。理解者になってほしかった。
でも、それが叶わなかったのも事実。
全否定されていたわけではないし、親の愛が足りなかったというつもりもない。
ただ、彼らと私の方向性はあまりにも違っていて、私という個性のかたまりは、彼らの手に負えなかったというだけなのだ。
手に負えないことが悪いことじゃない。むしろ、子供のことについて、親の手に負えることなんて、本当にごくわずか、限られている。
彼らと私の間に、大きなボタンのかけ違いがあるとすれば、それは、理解不能な娘の大きなエネルギーを、どうにか自分たちの手に負えるよう、コントロールしようとしたことにあるのかもしれない。
親であれば、当然子供には幸せになってほしいと思っているし、そうなるよう、自分ができることなら、なんだってしてあげたいと願っている。
私の両親だって、例にもれず、娘を愛してくれていたし、一生懸命育ててくれた。
ただ、私の感じる幸せは、彼らの知っている幸せと、イコールのものではなかったのだ。
だから、彼らが思っている「幸せの型」みたいなものから、全力ではみ出している娘を見たら、それは彼らにとって娘の一大事であって、なんとかこのめちゃくちゃな娘に方向転換をさせなければと、やっきになるのも、今では理解できる。
しかし、当の娘本人からしたら、それこそが、自分の幸せから遠ざかる行為であった。
親の思う幸せの型にはまっていくことは、親を安心させる道ではあったが、私にとったら、己の幸せの道から大きく遠ざかる生き方なのであった。
そういったことに、誰一人として気づくことなく、親は親で娘を幸せにしたいと画策するし、娘は娘で、親の言うことを聞くことが、自分の幸せではないと感じていながらも、親の幸せを願って、親の望む道へ進んでいく。
はじめは些細なかけ違いかもしれないけれど、時間が経つにつれて、そのひずみは大きく育っていった。
私が本当にほしかったもの
私はただ、彼らに信じてほしかったのだ。
彼らが重要視していたものとは、大きくかけ離れた私の性質を、完全に理解して、同意してほしいとは思っていない。
理解しきることはできないけど、あなたが思う道をいけばいい。
どんな道を選んだとしても、きっとあなたなら大丈夫だから。
ただ、その言葉がほしかっただけなのだ。
愛が足りなかったというつもりはない。(そう感じていたときもあったけど)
ただ、私を信じてほしかった。
たとえそれが、母や父にとって予想もつかない生き方だったとしても
「私たちには到底理解できないけど、ま、あんたなら大丈夫でしょうよ」
そう、私を信じてほしかった。
子の気持ち、親知らず
今、自分自身が3人の子供の親になってようやく分かることもある。
彼らは、わずか数年しか生きていないにもかかわらず、親の私の言うことなど気にも留めず、それぞれが自分の意思に従って、それぞれの道を爆走している。
そんな子供たちを相手に、なんでそんなことをするのか、どうして私が言ったとおりにできないのか、やきもきして、口うるさく指示や命令を繰り返していた時期もあった。
しかし、その関りは本当に逆効果で、私が彼らを私の知っている幸せのレールに乗せようとするたび、ものすごい反発をくらってきた。
「どうして分かってくれないの?」を、お互い嫌というほど繰り返した末、私が自分の両親と同じような関わり方を、自分の子供にもしているという事実に気がついたのだった。
私とあなたの幸せの形は違う。
だから、私を信じて見守って。
子供のころ、両親に言えなかったその言葉は、今度はわが子の口を通して、私に発せられるようになっていた。
あの頃の私を受け入れていく
たとえ自分が理解できなくても、相手を信じて見守れるかというのは、結局のところ、自分が自分に対して、同じことができるかどうかというところに繋がっている。
私自身、3人の子供を育てる母として、子供たちの理解できない言動は、日常茶飯事だ。
突然服を全部脱いで、裸で踊りだすとか
食パンを焼く前にバターを塗ってくれなかったと言ってキレるとか
ほんとにもう、私の理解の範疇を超えたことばかりが毎日起こる。
それに対して
「意味が分からん!なんで普通にできないんだよ!」と、怒り狂うときだってたくさんある。
しかし彼らは、そんな体当たり的な姿を通して、両親の望みをくみ取って生きてきた私の、見えない柵をぶち壊そうとしてくれているのかもしれない。
それは激しいぶつかり稽古ではあったが、そのおかげで、どんなに常識と違っていても、どんなに私にとっては受け入れがたいことだったとしても、そのときそのときの子供の感性を信じて
「ま、私には全然理解できないけど、きっと大丈夫だろう」と、受け入れられるようになってきている。
そして、私とは全然違うありのままの彼らを認め、信じる行為は、幼いころ、ありのままの姿を否定されてしまった、小さな私への癒しが進んでいる証拠でもあるだろう。
子供っていうのは、本当に、親のことを思って生きている。
子供たちが、親がとうてい理解できないような、ありのままの言動を繰り返すのは、自分の姿を通して、親自身が自分を信頼して受け入れられるようにと、全身全霊で働きかけているのかもしれない。
子供はいつだって、親が本当に幸せに生きてくれることを心の底から願っている。
だから、親自身が自分の本当の幸せに目を向けてくれることを祈って、あるがままの自分自身でぶつかってくる。
親として、彼らの愛を真摯に受け止めるとともに、母と父の子供として、彼らの本当の幸せを願って、私は私の道を行くと決める。
そして、何が起こってもきっと私なら大丈夫と、あのときほしくてたまらなかった言葉を、自分自身に丁寧に伝えていく。
それが、私がなによりもほしかった、私から私への、強い信頼なのである。
それに気づくまでに、長い長い時間をかけて茨の道を歩く必要があったけれど、きっとその経験があったからこそ、私は私を味方にすることができた。
それを教えてくれて、ありがとう。
私を生み出してくれた命と、私が生み出した命に、感謝の気持ちを贈りながら、今日も私は私と生きていきます。
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真理【言葉をつむぐ人】
▶36歳、3児の母
▶13年間の教員生活ののち、自分らしい人生を求めてフリーランスに転向
▶現在はライター、モデル、ソウルフル数秘術®プラクティショナーとして多方面に活躍
▶幼少期から生きづらさを感じていたことをきっかけに、心について学び、深く考察する日々を重ねる
▶好きな場所は水族館。好きな魚はアマゾンの古代淡水魚「ピラルク」