社会と連続して生きる
大学生の時、社会に出ることなんてこれっぽっちも考えていなかった。ただ、勉強が好きだったから、という理由で大学受験をし、好きだからという理由で、言語能力について学べる学部学科を選んだ。高校生の時の夢は、研究者になることだった。
そんな私だったが、大学に入り、研究とは、知識を身につけることではなく、自分で探求することであり、それには仮説を立てて検証することが必要だとわかった。成果が出るかわからないことを続けるプレッシャーに心が折れる未来が見えた。大学2年生の頃だ。
その後、社会に出ることを考えず、ぬぼーっと過ごして、大学3年生になった。周りが就活だなんだと言い始めた。
わたしには、やりたいことなんてなにもなかった。社会の役に立ちたい、という気持ちはあったが、どうすれば自分が役に立つのかがわからなかった。ものを覚えること、文章にまとめることは得意だなと思っていた。
好きなことで選ぶと失敗しそうだった。好きなことは、言葉に関すること。本を読むこと。ただ、出版社を選ぶのは違うなと思った。創作を真面目にしてこなかったからだ。
社会、ひいては他人に何を与えることができるのか、GIVEの精神で生きてこなかったわたしは、自分が何の役に立つのかわからず、何のために社会に生きているのかもわからず、辛くなっていった。自分のことばかり見ていると、辛くなるのだ。
人に、周りに視線を向けることで、楽になる。
コミュニケーションもそうだ。自分に意識が向いていると、辛くなる。
社会と連続して生きる。
自分をどう活かしたいのかを考えて生きる。
自分ではなく、人のために生きる。
それが、将来の自分が辛くならない方法だったのだと思う。
就活がとても辛く、入社してからも会社が合わず、とにかく辛かった。でも、それはこれまで社会について、人に与えることについて考えてこなかったことの表れなのだと思う。
大学生の頃の自分には、ちゃんと、
どんな肩書きがよりも
どんな大学を出るかよりも
いかに人の役に立つかが大切だ、と伝えたい。
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