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できることなら

いつの間にか蝉の鳴き声はしなくなったし、

田んぼの稲はあと収穫までの1ヶ月を待てないと言わんばかりに背丈を伸ばすし、

あんなに楽しみにしていたお盆も、
戦争による火薬不足と物価高のせいで3本しか入っていなかった線香花火でどれだけ長く続くかを競い合って3位になったことと、

祖父母の家の近くに住む同年代の子と1年ぶりのたどたどしい会話をしたことくらいしか記憶が無い。

ただ、やっぱり親戚と過ごすと、親戚は血の繋がりがある限り、簡単に裏切られたりしないからか、いつまでも私を見守っていてくれることに、一抹の安堵を覚えた。

今日、中学校3年生の弟がわたしの高校の説明会に行っている最中、私は高校に辞めようと思っている話を伝えに行った。

どこかで情けないとは思いつつも、体調と大学進学のための前向きな決断だと思って自分を受け入れるしかない。

先生は、世間的に言われる良い生徒とはどう考えても異なる私みたいな人間でも受け入れてくれるし、

「本当はみんなと一緒に卒業して欲しいけど、あなたにとってのベストを考えるならそんなこと言えない」と言ってくださった。

もう辞めることが決まっている生徒にわざわざ補習まで開いてくださって感謝でしかない。


ああそういえば、両親はショックを受けながらも、私の決断を支持してくれるそうだ。

ただ気持ちの整理をするために1週間は欲しいとのこと。

祖父母にもちゃんと私から話をしないといけない。

教育的で硬派な人たちだからショックを受けるだろうけど、私のためだと思ってくれたら納得はしてくれると思う。

意外と張本人の私より周りの人の方が動揺している。
私はあとはもう頑張るだけだと、やることが明確に示されているので心の揺るぎようがない。

学校を変えるということで、私の進路についてももう一度家族で話し合った。

一浪までしかできないこと。

現役では滑り止めは受けず、浪人しても行きたい大学に行けなかったら、滑り止めに行くか、看護の専門学校に行くかということになった。

高校を変える、まずこの時点で既に諦めている私は志望校合格くらい諦めず、前向きに取り組みたいのだけれど、浪人してもだめだった場合という最悪の事態を現実的に親からぶつけられて、現実の厳しさを痛感している。

こんな感じでわたしの今の悩みと言えば、基本人生的な大きなものが大きくて、人に話すには重すぎる気がする。

友人に会う度に必ずなにか相談して自分の荷を軽くしようと思いつつも、

いつも喉の奥で悩みがつっかえて声に出せない。

声に出そうとするも、悩みがストンとどこかに消えてしまったというか地面に落ちたような感じがするのだ。

悩みにも重力が通用するのだな。アインシュタインもびっくりの事実を私は発見してしまった。

まあそんなことで友人に悩みを話せないというのもあり、私の心を曝け出す手段は書くことだけになってしまった。

本当は誰かを幸せにするでも、社会に何かを提唱するでもない私の文章を誰かに読んでもらえればそれでいいです。


ああまたanticipateの意味を忘れたよ。
高校2年生改めて大学受験1年生、がんばります。

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