アジア系差別の源流はアメリカを代表する児童作家にあった? ドクター・スースは第二次大戦中になにを描いたか。
アメリカでアジアにルーツを持つ人々に対するヘイトや暴力など人種差別的行為がエスカレートしています。非常に憂える事態です。音楽評論家で、『歌と映像で読み解くブラック・ライヴズ・マター』の著者藤田正さんに伺いました。
藤田正さん(以下、藤田) 大変なことになってるよね。路上でご老人が切りつけられたり、引き倒されたりと、全米に恐怖が広がっている。シャオ・ジェン・シーさんという75歳の女性がサンフランシスコの路上で白人男に殴りつけられた事件も3月17日に発生した。昨年(2020年)、ブラック・ライヴズ・マター運動が新たに盛り上がりを見せ今につながっているけど、ぼくは「BLM問題」の次に、私たちエイジアンへの差別が米国で表面化すると思っていました。とても残念なことなんだけど予想は的中した。
――書籍『歌と映像で読み解くブラック・ライヴズ・マター』の第5章は、エイジアン~アジア系アメリカ人の歴史的な差別が、黒人問題同じように書かれていますね。
藤田 当然でしょ。日本で暮らすいわゆる「日本人」は、黒人問題は黒人だけのことと思っている人が多いと思うけど、ぼくらはアメリカにおいては同じ「カラード・ピープル」なんですよ。この認識抜きにアメリカ社会、その差別史は語れません。だから、シャオ・ジェン・シーさんがひどく殴られて、しかし見事に白人男の暴漢に立ち向かったというのは、まさに英雄的行為。そして、お顔に大アザを負いながら路上に立つ75歳のアジア系女性とは対照的に、サイテーの差別白人がケガをしたとしてストレッチャーに乗せられ救急車へ運ばれて行った。これ「ブラック・ライヴズ・マター」そのものでしょ。ふざけるな!ですよ。
――彼女のお孫さんの呼びかけで、一気に約1億円(約95万ドル)が集まったそうですが、彼女は受け取らなかった。テレ朝news(3月25日配信)のテキスト原稿には「シャオさんと家族は23日、『私たちは人種差別に屈服してはならず、必要に応じて死ぬまで闘わなければならない』とヘイトクライム(憎悪犯罪)を非難し、全額をアジア系の住民に寄付することを表明しました」と出ています。
藤田 かっこいい! これに関連して色んな動きがあるようです。例えば、かつての人気ラップ・グループ「N.W.A(Niggaz Wit Attitudes)」のことは上記の書籍にたくさん書いたけど、この名前……邦訳では穏やかに「主張する黒人」ですが……これをもじってカリフォルニアのチャイナ・タウンでは「AWA(Asian With Attitudes)」なる自警団が、各地域の見守りをしているそうです。オークランド(カリフォルニア州)を地元とする映画評論家・町山智浩さんの「町山智浩のアメリカの今を知るTV with CNN」(BS朝日・138回)に紹介されていました。番組はYouTubeで観ることができます。
――それだけ人種差別が、暴力という目に見えるカタチで剥き出しになっているんですね。ドナルド・トランプ前米国大統領が好んで使ってきた「チャイナ・ウイルス」という、新型コロナウイルスの因果関係についての異様な煽動も、今のエイジアン・ヘイトのきっかけに?
藤田 ええ、トランプの強烈に差別的な言説が下敷きにあることは間違いないでしょう。でもね、黒人問題もそうだけど、エイジアン・ヘイトは昨日今日の話じゃない。町山智浩さんは先の番組で、はるか昔のモンゴル帝国によるヨーロッパ侵略の(欧州人にとっての)記憶を指摘しているけど、賛成です。これって、イスラムと十字軍の関係性ともつながる。なぜイスラムの民は嫌われるのか、その差別には歴史がある。太平洋戦争における日系の方々の強制収容にしても、まるでおかしな話で……これも『歌と映像で読み解くブラック・ライヴズ・マター』に書いているけど、日本人というエイジアンは何をするかわからない、そんな「勝手に捏造したイメージ」が日系人を強制収容所に押し込める深刻で国家的な人権問題に発展させてしまった。
世界で愛される児童作家があおったアジア系市民へのヘイト
――そこで登場するのがドクター・スース(本名、セオドア・スース・ガイゼル)ですね。
藤田 アメリカでも日本でも大変に有名な児童文学の大先生です。もちろん日本全国の図書館に彼の絵本は当たり前のように置いてある。しかしこのおっさんこそが、日本人や中国人ってのは、どんなに卑劣で怪しく汚らしい存在であるかという誤情報を徹底的に政治的に喧伝した筆頭の一人なんですよ。ぼくらアジアの人間のイメージを、悪意をもってアメリカ社会に定着させてた男がドクター・スースです。ぼくはなぜこの男の(すべてではないにしろ)諸作が問題にされないのか、これまですごく不思議だった。
――つい最近その著作の一部が出版停止になりましたね。
藤田 ドクター・スースの差別性は、以前から指摘されてきたけど、ようやくだね。この流れも、間違いなくブラック・ライヴズ・マター運動と関連してると思います。ロイター通信の3月3日付けの配信記事には「米児童作家ドクター・スースの6作が出版停止に、差別描写などで」として「ドクター・スース・エンタープライゼズによると、出版停止となるのは『マルベリーどおりのふしぎなできごと』や『おばけたまごのいりたまご』など。同社は出版停止の理由について、『これらの作品は人を傷つけたり間違った方法で人物を描いている』と説明」とある。要はエイジアンやブラックへの差別、あるいは原爆投下などについての問題表現があるということ。
出版停止となった作品のひとつ「ぼくがサーカスやったなら」には、シャツを着ないで靴も履かず、草でできたスカートを履いたアフリカ系のキャラクター2人が、動物を運んでいる描写がある。とのことだが、1970年の日本版にはそれらしき描写は見当たらない。すでに消去されていたのだろうか。
――加えて、そんな作品なのに、前大統領夫人のメラニア・トランプ氏がスースの書籍を寄贈しようとした。
藤田 2017年、マサチューセッツ州の学校に10冊寄贈しようとしたら、断られたニュースだよね。ほんとトランプ家の方々は無神経な人ばかりというか、差別をなんとも思っていないんだね。BBC NEWS JAPAN(3月3日付け)によれば、「マサチューセッツ州ケンブリッジでは2017年、前ファースト・レディーのメラニア・トランプ氏が学校にドクター・スースの作品10冊を寄贈したことを、学校司書が批判。ドクター・スースの作品の多くは『人種差別的なプロパガンダや風刺、有害な固定観念』にあふれていると指摘した。同じ年には、ドクター・スース博物館に飾られていた壁画にアジア系に対する人種差別が含まれているとして、3人の作家がこの博物館でのイベント出演を拒否した。同博物館はこの壁画を撤去している」とあります。
――その意味で、ネットフリックスには重要な映像がありますね。太平洋戦争当時、ドクター・スースが従ったのがフランク・キャプラという歴史的な映画監督でしたが、ドキュメンタリー『伝説の映画監督 ハリウッドと第二次世界大戦』には、戦争を媒介とする人種差別とプロパガンダのありさまが生々しく紹介されています。
藤田 エイジアンはこんな奴らだ、黒人はこんなにひどい、とか、そういったインチキ・イメージの積み重ねが社会常識となってしまう恐ろしさだよね。彼らのつくったイメージによって、第二次大戦下のアメリカでは、日本にルーツをもつ人、日系アメリカ人およそ12万人が敵性市民として強制収容所に送られることになった。イタリア系やドイツ系も敵性市民としながら、日系人だけが送られたんです。
『プライベート・スナフ』は第二次世界大戦中にアメリカ陸軍省により製作された兵士の教育用アニメーション。フランク・キャプラのディレクションのもと、ドクター・スースが脚本を書き、作画も担当した。ここに引用した「スパイ」では日系人を細い目に黒縁の眼鏡をかけた異様な姿で描き、敵性市民があちらこちらでスパイ活動をしているんだぞ、注意せよ!と説く。
――伝記『ドクター・スースの素顔 世界で愛されるアメリカの絵本作家』(彩流社)には、「彼が究極の殺人兵器に関する驚異的な予測をした」と書かれています。つまり、原爆を日本に投下するという原稿を書いたのですが、それらが掲載されたニューヨーク・タイムズ紙は上官により償却処分が命令され、実行されたそうですよ。
藤田 繰り返しになるけど、ブラック・ライヴズ・マター運動って他人事じゃないし、アジア人であるぼくらにも密接につながっている。しかも長~い歴史の積み重ねの上で成立している。このことを知りつつ、アメリカ社会を見る必要があるよね。
(参考)
第二次大戦中に強制収容所に入れられながら、困難を乗り越え、戦争が終わったあとに活躍した日系人は多い。9.11の標的となったワールド・トレードセンターを設計したミノル・ヤマサキなどが知られる。世界的彫刻家のイサム・ノグチは強制収容を命じられなかったが、逆に自ら志願して収容所に入り、所内の公園やレクリエーション施設のデザインに取り組んだ。
2021年4月24日より東京都美術館で開催される特別展「イサム・ノグチ 発見の道」で、日米のはざまで揺れたノグチの生き様を感じたい。