-2021年5月21日/日本/自由が丘-『世界時々フィクション』
朝起きてからストレッチをした。深呼吸をしてから、瞑想を十分程度行った。それからベランダに出て、軽く朝の空気を吸った。その日は休日だった。戸田に新しい仕事に任命されたのは一週間前のことだった。これまで経験してきた、人事の採用や労務管理とは一味違う仕事だった。
ニューヨークタイムズ紙をチェックした。アメリカでコロナウイルスで経営に困っている個人事業主や零細企業向けローンの原資が枯渇しようとしているようだ。彼らの間に不安が広がっている。
支援金、補助金、助成金、コロナウイルスの流行で飲食店、美容室など、人と接触する仕事に従事する人々が打撃を受けている。当然、アメリカも日本も、政府は彼らの救済に走るが、事態はそんなに単純じゃない。
アメリカにはPPPという給与保護プログラムがある。これは自営業者や個人事業主を保護しようとする補助金制度だ。そのプログラムで混乱が起きていると、ニューヨークタイムズは報じる。審査の複雑さや不正、あるいは資金の枯渇が起きているようだ。
「助成金の申請ってわかりづらいんだよ」
社労士事務所で働いていた経験のある先輩が、昔こう言っていたのを思い出した。私は手帳を開いて、一日の計画を立てた。
日本にもコロナ関連の助成金制度がある。ポータルサイトでは、助成金、支援金、補助金、交付金、無利子無担保融資といった言葉が並ぶ。8807件がヒットする。そうだ、世の中にはこれだけ金を貸してくれる場所があるのだ。
午前11時、WebでMITのSupply chain management の講義の残りを聴くのを楽しみにしていた。妻は生まれて半年の娘にミルクを上げていた。ゲップまで無事にさせてから、私に声をかけてきた。
「今日のお昼はピザをとるね」
野菜をたっぷりか、あるいはシラスのピザだ。私はシラスが乗った海鮮風のピザが好きなのだ。妻がスマートフォンで注文をしている。結局、ブロッコリーが乗った野菜のピザになったようだ。英単語が目についた。
”Small business”
日本語では個人事業主ということだろう。個人事業主と言われるものにはどのようなものがあるのだろうか。アーティストやデザイナー、作家、プログラマーや個人タクシー、美容師、作家、ミュージシャンにアナウンサーらしい。
「副業でアフィリエイト始めませんか?」
ネット上で見かけるこんな文言もそうだ。個人事業というわけである。それで、この個人事業というものに対しては、様々な融資のシステムや補助金、助成金がある。日本でもそうだし、アメリカでもそうだ。
しかし、この時代だ。応募は殺到している。無利子無担保で融資してくれると謳う制度に、耳の早い個人事業主が殺到しないわけがない。街を歩いていても、他人のお財布の中身なんかわからない。しかし、人は金策に奔走しているものだ。美容室のオーナーや作家、ミュージシャンなど華やかに見える人間が、通帳の写しや免許証や口座番号を揃えて、助成金申請のために駆けずり回っているなんて、あまり想像したくないかもしれないが、それが人生というものだ。
”We’re trying to push an ocean through a straw,”
面白いセリフを見つけた。ストローで海を動かそうとするようなものだと。たしかに、このコロナウイルスの混乱の中で、一体誰にいくら必要なのか、誰が正確に見積もることができると言うのだろうか。
「クレジットカードでポイント貯めて節約するような人と結婚したい」
昔、そんなことを先輩が言っていたのを思い出した。人生金だけじゃないが、金が占める割合は大きい。これらも軽やかにコントロールする力を身につけながら、人間は大人になっていく。
午後、私はニューヨークタイムズのこの記事の続きを読みながら、星乃珈琲店でアイスティーを飲んでいた。優雅なものだ。別にそれほど贅沢はしていないが、この記事を読むとそんな気分になる。アイスティーを飲むような余裕のない人々がいるのだ。世界はわからない。華やかに見える東京の街の裏で、一体何が起こっていると言うのだ。
ここから借りられなければ、どこからも借りることができない。そうやって、人生のどん底でもがいている人もいる。アメリカでも日本でもそうだろう。しかし、そんな人は喫茶店でコーヒーなんか呑気に飲んでないし、ニューヨークタイムズにも目を通さないだろう。会社に文句を言いながらも、自分は恵まれているのだ。
”They’re running a very chaotic program. There hasn’t been much communication.”
複雑なシステムを作って、混乱のまま運用する。融資の世界とは恐ろしいものだ。書類と免許証で金が動く。世の中の仕組みとは面白いものだ。そこには不正な申告もあるだろうし、それをうまく誤魔化す者もいるだろう。いずれにせよ、情報を知っている者は素早く対応して、資金調達を済ませていることだろう。
「倍返しだ!!」
数年前にそんなドラマが流行したっけ?彼は融資課長だったはずだ。経営能力を帳簿から判断して、融資の可否を検討する。紙で人を判断してお金を貸すわけだ。紙で判断できるほど、人や経営は単純なものかね。
運営している側も、誰がこんな仕組み作ったんだ?と愚痴をこぼしながら融資を担当する。応募が殺到した結果、メールの問い合わせには返答がなく、電話の問い合わせ担当も助けることが出来ない状態のようだ。サービスそのものが破綻しているらしい。注文が殺到しているならば嬉しい悲鳴なのだろうが、融資の申請の殺到だ。忙しいが、やり甲斐があると思える者は少数派だろう。
”The customers have been very angry, very frustrated, very scared. I can understand.”
「退職金がでたから辞めちゃったんだって」
マダムが世間話に興じている。なんの話かはわからないが、金か仕事の話であるのは確かだ。私は日曜日になにをするか、ぼんやり考えていた。昔から喫茶店が好きだ。この程よく会話が聞こえる空間が心地よい。星乃珈琲店10周年限定メニューが目に入る。パンケーキが美味しそうだ。
記事で話題になっている企業は、六ヶ月以上経営している中小企業にオンラインで融資する会社だ。biz2creditのホームページを見ると警告が出て、融資プログラムが新しい申請を受け付けない方針を発表しているらしい。確かに、融資のドアは閉じようとしているらしい。この世は先着順というわけだ。そう融資とは能力や実績ではなく、先着順なのだ。これには文句を言いたい人も多いだろうが、これが現実だ。
さて、そうやって私の休日はゆるりと過ぎていく。腹が減ってきた。家に戻り、昼の残りのピザを食べるとしようか。そんなことを思ってから、私はスマホのアプリをスワイプで消した。それから手帳をチェックした。すると、メモ欄に、戸田からの伝言が書かれている。
「通知人のルールその2だ。知りえた情報は事案終了後にすべて忘れる。」
急に現実に引き戻された。そうだ初めての通知の日は確実に迫っていた。
(続く)
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-2021年5月21日/日本/自由が丘-『世界時々フィクション』
参考記事:By Stacy Cowley, "As Paycheck Protection Program Runs Dry, Desperation Grows", “The New York Times”, May 20, 2021
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