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-2021年5月24日/日本/四谷-『世界時々フィクション』

一週間が始まった。渋谷のオフィスへ向かう。出張の井上が戻ってくるのは来週だ。それまではオフィスでは長身美人の長澤と、胸が豊かな星野が待っている。他の社員からはいつも羨ましがられるが、実は気を遣うばかりだ。それも事実だ。

ニューヨークタイムズでは、モスクワからの記事が飛び込んでいる。ベラルーシの大統領が旅客機を強制的に着陸させて、反体制派の活動家を拘束したらしい。他の旅行客の予定を妨害してでも決行しなければならないほどの危険人物だったのだろうか。どうも、そうではないらしい。

電車に揺られて会社に向かった。この日は退職する予定の社員とランチで会食になった。彼とは年齢も近く、他愛のない会話を楽しむことも多かった。オフィスが渋谷に移ってからは、交流がなくなっていたのだ。私は星野に留守を任せて、四谷へと移動した。会う場所は、メキシコ料理店だった。上智大学の学生も目についた。二人で、タコスに舌鼓を打った。

「聞いてるよ。辞めるんだろ?」
「そう、その話がしたかったんですよ」

彼は東京から田舎に戻って農業に従事するらしい。年齢は34歳だ。若い人でも農業を志望する人が増えている。良いことだ。機械が発達すれば、農業も昔のように重労働でもなくることだろう。タコスを食べ終わり、その後カフェに移動して、ゆったりと四谷の通りを眺めた。

「2030年ごろに物流に革命が起きるんです」
「へえ、そりゃ面白そうだね」

彼によれば物流コストが格段に下がる未来が来るらしい。電気料金、通信料金、これ配送料も下がってくれば、経済感覚も変わっていくことだろう。

「農家って個人事業主なんです。」

「そう言えば、農家の損益計算書ってのはどうなってるんだ?」
「さあ、どうなんでしょう?」
「今度わかったら教えてくださいよ。奥さんはどうするんですか?」
「嫁はパートで働くんです。腰に爆弾抱えてるんですよ。やってもらっても事務作業ですよ。」

嫁と腰と爆弾か。なんだか一曲書けそうな組み合わせの単語だよ。そんなことを考えながら、相槌を打っておいた。それにしても、農家の貸借対照表や損益計算書はどうなっているのだろうか。トラクターや軽トラックはリースなのだろうか、月額いくらなのだろうか。そんなことが気になった。

「いつまで仕事するんだい?」
「夏ごろまでですね」
「退職の届だったり、わからないことは聞いてください」
「良かったです。小林さんと仲良くしてて」
「寂しくなりますよ」
「また、連絡しますよ」

私は頷いた。しかし、今、目の前で話している同僚も昔だったら脱藩として罪になるところなのだろうか。日本人がどこに行っても、忍者だとか間者だとか疑われることなく旅行を楽しめるようになったのは、何百年前からなのだろう。この辺り、誰か詳しい人はいないのだろうか。

彼と四谷で別れてから、私は銀座線へと乗り込んで、渋谷へと移動した。記事の続きを読んだ。

ヨーロッパ最後の独裁者という異名を持つベラルーシの大統領は旅客機の進路を強制的に変更させて、ベラルーシの首都、ミンスクの空港に着陸させたらしい。そんなことが出来るのか?菅首相がJALの飛行機に進路変更を命じるようなものだろう。想像がつかない。

ニューヨークタイムズを閉じた。私の目の前には、退職予定の同僚だ。脱サラして農家を継ぐらしい。私にとっても、彼にとっても、独裁者による圧政とか、政治的亡命者とか、そんな次元の悩みは感じない。世界はこうやって出来ている。

”It is an unprecedented attack against the international community”
“utterly unacceptable.”
“state hijacking.”
”act of state terrorism.”

国によるハイジャックだ、国によるテロ行為だとしてヨーロッパから非難が殺到している。西側諸国が独裁者の振る舞いを非難するなか、ロシア側は素晴らしい作戦だったと褒めているらしい。この行為が国民の安全を守るために行われたのか、それとも独裁者が自分を批判する者に圧力を加えるために行ったのか。こちらは、見る視点によって変わってくる。第三者にはわからないことも多い。

EXILEという単語が目につく。捉えられたのは、政治的亡命者らしい。私はまだ、日本で政治的亡命者とやらにお目にかかったことはない。日本人にとってエグザイルと言えば、歌って踊る軟派なダンサーグループといったところだろう。一体、彼らはどこの国の独裁政治から逃げてきたのだろうか。

ランチを食べた後はカフェに入って、ゆったりと過ごした。ハイジャックで身柄を拘束された活動家の話がニューヨークタイムズの一面を飾るが、私は東京から四国へ戻ろうとする気の合う同僚の話を聞いている。

ランチを終えてから、午後の仕事に取り掛かる。東京から田舎へ帰って農業をする。それもいいな。私もいつか、もう少し歳を食ったら誰も知らない遠い世界に行きたい。誰にも会わず、ひっそりと暮らしたいものだ。

戸田から電話が入る。

「通知の場所を伝える。品川のインターコンチネンタルホテルだ。該当者への呼び出しから、すべて残りのオペレーションは任せた」
「承知しました」
「スーツはわかるな?」
「正装でいきます」
「もちろんだ。通知人のルールその5だ。通知相手に好意も敵意も持たせるな。以上だ。健闘を祈る」

電話は冷たく切れた。

(続く)

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-2021年5月24日/日本/四谷-『世界時々フィクション』

参考記事:By Anton Troianovski and Ivan Nechepurenko, "Belarus Forces Down Plane to Seize Dissident; Europe Sees ‘State Hijacking’", “The New York Times”, Published May 23, 2021,Updated May 26, 2021

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