-2021年5月26日/日本/道玄坂-『世界時々フィクション』
その日は朝から曇っていた。数多くの新規学卒者へのプレゼンテーションをこなしていたので、なんだか疲れていた。話すのが仕事だが、話しすぎて疲れるなんて妙な気分だ。しかし、仕事は止まらない。早速、翌日は誰かを急かしている。
「資料の準備はできましたか?」
ニューヨークタイムズをチェックすると、白人警官に殺されたとされる黒人男性、ジョージフロイド氏に関する内容だった。事故か殺人か、それが問題になっている。
暴力ではなく言葉を使って説得や協議をすることに重きを置いた。これが世界の転換点でもあったはずだ。しかしどうだろう。白人の警官が、黒人の市民を殺してしまった。これが日本なら、警官が被疑者を殺してしまったなら、それは正当だったのか、過剰だったのかが主な論点となりそうなものだが、アメリカはそれに加えて人種差別ではなかったのかという問題が出てくる。ほとんど同じ顔つきで、黙っていればそんなに違いのない、アジア人の社会とは次元が違うのだろう。
長澤は今日もご機嫌な髪をサラサラさせている。彼氏でも出来たのだろうか。昨日は麻布十番で食事をしてきたとかなんとか、星野と話している。私は水を差した。
「google meetを使ってみんなを集めておいてくれ」
「はーい、わかりました」
本社グループと連携するミーティングの中では、最近入社した社員の言葉遣いが良くないということが話題になっていた。
リネアポリアに群衆が集まってジョージフロイド氏の死を悼んでいる。この記事を読んで、思い出した。昔、英会話の教室に行っていた時のことだ。黒人の女性の授業を取ったことがあった。彼女はこう言ったのだ。
「大統領がトランプになったから、恐ろしくて日本にきた」
この言葉に私は驚いてしまった。この女性は本当に命の危険を感じているのだ。当時、トランプが大統領になったことは海外に逃げる要因になるのだ。白人による差別の激しさを思い知った。我々、日本人に対してもそうだろう。白人の優位意識は強い。
"lay flowers and say prayers"
花束を置き、祈りを捧げる。そうやって人は通りに集まっている。アメリカでは黒人差別に関しての話題が注目を集めている。過去に起きた黒人虐殺に関する記事も掲載されている。
ミーティングが終わってから、大阪にいるマネージャーから電話がかかってきたので、社内ゴシップに興じた。
「あの男が昇格するなんて、何の実績もないじゃないですか?誰も納得しないですよ」
そう、しかし年功序列が根強い日本では、そうやって苦い思いをしているサラリーマンはたくさんいるだろう。私はどうだろうか。気にならないと言えば嘘だが、気にしすぎるのもみっともないことだと感じる。偉くなるとは批判にさらされることでもある。実力がないのに偉くなるのも考えものだ。
しばらく、他愛もない話をしてから、私は電話を切った。それから経費の精算作業をして、報告書の入力を行った。議事録の作成を終えて、それをグループメールで共有した。夕方には長澤と星野が帰っていく。同僚の井上は出張に出ている。
パソコンをシャットダウンして、オフィスを出た。人の波も戻ってきている。電車に揺られながら、記事の続きを読んだ。英単語が目についた。
"racial equality"
"police brutality"
人種平等、警官の暴力という単語だ。日本にいると、どちらの単語も、それほどピンとこない。私は警官に暴力を振るわれたことはない。
警官の暴力という話題も、これまた問題を複雑化する。黒人と白人、市民と警官、事故か故意か、過剰か正当か、教育方針はどうなのか、様々なら観点から検証されることだろう。今回の事件を世界に伝えたのは、10代の携帯電話が捉えた映像だった。実際に起きていることだと、世界が目の当たりにしたのだ。
「アメリカでは白人警官が黒人を撃つ事件が多いのよ」
これも英会話教室でカリフォルニア出身の女性の英語教師から聞いた言葉だった。
「アメリカでは人種差別の問題が根深い」
これもピッツバーグ出身のジャーナリストから聞いた。アメリカでは、本当に白人警官が黒人を殺すのだ。
「アメリカの黒人は白人にどんな態度を取るべきかを徹底的に教育されるらしいのよ」
これは大学の同期が言っていたことだ。つまり、無礼な態度を白人に取ったら殺される可能性があるというわけだ。これも、世界の現実だ。
"So, how much has really changed with the police?”
"how to survive an encounter with the police"
「警官は変わったのか?」
「警官に出会った場合、どうやって生き残る?」
記事にはこんな言葉が踊っている。警官を見ると、自分は殺されると感じる。これがアメリカに住む黒人の気持ちなのだ。
"You worry everyday when they walk out the door,”
毎朝、外出するのが恐ろしい。それはどんな日常生活なのだろうか。一体、アメリカという国はどうなっているのだろうか。光と闇だ。出世を目指して、組織の中で不愉快な思いをしているサラリーマンと、家を出るのも怖いと感じる黒人じゃあ、どちらが幸せか。そんなの比較するまでもない話だ。アメリカの闇は深い。
電車を降りて、家に向かおうとしているところだった。戸田から電話が入った。
「どんなプランでいくつもりだ?」
「どんなプラン・・とは?」
「相手は今回の会社の決定をすんなりと受け入れると思うか?」
「受け入れさせる。何がなんでも。そうでしょう?」
「方法は?」
「さあ、通知はライブですから。何が起こるのかなんてわかりませんよ」
「ふん、わかってきたな」
「直感に任せますよ、直感に」
「わかった」
「そうだ。通知人のルールその7だ。自分も通知される立場であることを忘れるな」
「は?」
「以上だ、検討を祈る」
電話はそうやって切れた。決行の日は、着実に近づいていた。
(続く)
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