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経団連「経労委報告」は物価動向への対応とともに賃金の社会性がポイント(2023年発表のものです。ご注意ください)

株式会社労働開発研究会『労働と経済』
NO.1683(2023年2月25日)掲載
一般社団法人成果配分調査会代表理事 浅井茂利

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 2023年1月に発表された経団連『2023年版経営労働政策特別委員会報告』の特徴は、
*「物価動向を重視した賃金引上げ」、「賃金引上げのモメンタムの維持・強化」を「企業の社会的な責務」として企業に求めるとともに、
*「物価上昇の流れが浸透しつつある現状」を「長く続いたデフレと低成長にピリオドを打つ絶好のチャンス」、「大きな転換点」としてとらえ、
*「デフレマインドを払拭し賃金引上げの機運をさらに醸成して消費を喚起・拡大する」とともに、賃金と物価が適切に上昇する「賃金と物価の好循環」、「構造的な賃金引上げ」、「分厚い中間層の形成」につなげていくことにより、「日本経済再生」を果たすという「社会性の視座」に立っている。
という点にあります。

賃金引上げの社会性

 2014年以降、全体として賃上げ(ベースアップ)が再開されましたが、賃上げが実施されない企業も少なくありませんでした。また巷間、賃上げや賃金水準について、「それぞれ企業ごとに支払い能力に応じて決めればいい」とか、もっと極端な場合には、「能力や成果に応じて個人ごとに決めればいい」などという「春闘不要論」、「賃上げ不要論」も横行する状況がありました。
 2023年の経労委報告では、賃金引上げの社会性、社会的意義が繰り返し強調されており、企業の抱くデフレマインドの下での幻想にすぎない「春闘不要論」、「賃上げ不要論」の払拭が期待されるところです。

物価動向を重視した賃上げ

 現在の経団連の前身のひとつである旧・日経連では、ベースアップ率の基準となる考え方として、「生産性基準原理」を提唱していました。「生産性基準原理」は、
ベースアップ率=就業者1人あたり実質経済成長率
というものです。この数式では、ベースアップ率に物価動向が関与する余地はなく、今回のように海外の資源価格が高騰し、企業がそのコスト増を価格に転嫁して物価が上昇した場合には、海外の資源価格高騰を勤労者が生活水準の低下によって負担することになります。「生産性基準原理」は、物価下落局面では、(仮に名目成長率が一定であれば)物価が下がるほどベースアップ率が高くなるという奇妙なことになりますので、デフレの時代にはまったく顧みられてきませんでした。今回、経団連が「物価動向を重視した賃金引上げ」を前面に打ち出したことにより、「生産性基準原理」と完全に決別したと言えます。
 なお、経労委報告では、1973年の第1次オイルショック以降の賃金引上げの動向について整理していますが、鉄鋼労連の宮田義二委員長(当時)の経済整合性論(実質的に、しかも経済成長に見合って賃上げを考えていく)を紹介し、
*マクロ経済動向と賃金引上げとの整合性を重視した「経済整合性論」による賃金決定を図るべく、労使双方が意識的に対応した。
として、これを評価しています。「経済整合性論」は、1984年、労働組合のシンクタンクである経済・社会政策研究会によって、
ベースアップ率=就業者1人あたり実質経済成長率+消費者物価上昇率
という「逆生産性基準原理」として理論的に整理されましたが、これについては、2015年の『労働経済白書』でも、「標準的な経済理論が想定する世界と等しいもの」とのお墨付きが与えられています。「逆生産性基準原理」こそが、デフレ脱却以降に「成長と分配の好循環」、「賃金と物価の好循環」を具体化する「構造的な賃金引上げ」の基礎となるべき考え方と言えるでしょう。
 ちなみに経労委報告の中で、
*近年に経験のない物価上昇を考慮した基本給の引上げにあたっては、制度昇給(定期昇給、賃金体系・カーブ維持分の昇給)に加え、ベースアップ(賃金水準自体の引上げ、賃金表の書き換え)の目的・役割を再確認しながら、前向きに検討することが望まれる。
という記載がありますが、これは、「制度昇給+ベースアップ」で物価上昇率をカバーすればよい、との誤解を招く危険性があります。制度昇給は習熟昇給であるとともに、従業員の年齢の上昇に伴う生計費の増加に対応するものですから、(制度昇給を含まない)ベースアップだけで物価上昇率をカバーできなければ、実質生計費の減少、生活水準の低下を招くことになります。業績がとくに厳しく、ベースアップだけで物価上昇率をカバーできない企業に配慮したものと推測されますが、全体としてそうした方向に流れないよう、「物価動向を重視した賃金引上げ」は、あくまでベースアップとして実施されなくてはならないという点について、とくに注意する必要があります。
 なお、ベースアップだけで物価上昇率をカバーできない企業については、経労委報告でも指摘しているように、「できる限りの対応」、「複数年度にわたる」対応などを行っていく必要があります。2023年に物価上昇率をカバーできない場合、2024年のベースアップを通常よりも上乗せする、といった対応があってしかるべきです。
 また、経労委報告では、
*(連合の)引上げ要求は、指標や目安とはいえ、賃金引上げのモメンタムが始まったとされる2014年以降の賃金引上げ結果と比べて大きく乖離している。
と批判しています。しかしながら、2023年については経労委報告自身も、「大きな転換点」、「長らくわが国社会に染みついたデフレマインド」の払拭、「約30年ぶりの物価上昇という特別な状況」などという認識を示しているわけですから、連合の要求方針が「2014年以降の賃金引上げ結果と比べて大きく乖離している」のは当然であり、賃上げ結果も「大きく乖離」していなくてはなりません。こうした矛盾も、業績が厳しい企業に対する配慮だと推測されますが、十分注意する必要があります。

賃金決定の大原則

 経労委報告では、
①社内外の様々な考慮要素(経済・景気・物価の動向、自社の業績や労務構成の変化など)を総合的に勘案し、
②適切な総額人件費(企業が社員を雇用するために負担する費用の総和)管理の下で、
③自社の支払能力を踏まえ、
④労使協議を経た上で、各企業が自社の賃金を決定する。
という「賃金決定の大原則」を掲げています。「大原則」と言っても、「生産性運動三原則」のように政労使で合意した原則ではなく、あくまで経団連が提唱しているにすぎません。
 「大原則」はあながち間違いではありませんが、賃金の社会性よりも、自社の都合が優先されすぎているという欠陥があります。そもそも①に掲げられている「自社の業績や労務構成の変化」は、③の「自社の支払能力」の一部です。
 「社会性の視座」を強調している2023年の経労委報告では、「大原則」の説明が本文から脚注に回されるなど、従来よりも扱いが小さくなっているとともに、
*企業労使における賃金交渉では、自社の経営状況を労使で正しく共有した上で、企業別労働組合が連合や産業別労働組合など上部団体が示す方針等を参考にしつつ決定した要求を受けて、様々な考慮要素のうち、物価動向を特に重視しながら「賃金決定の大原則」に則って検討していく必要がある。
という記載もあり、事実上、「大原則」の修正が行われているように見受けられます。
 日本で働く勤労者は、
*日本経済の成長に相応しい生活水準の向上を享受する権利
*日本の経済力に相応しい生活を送る権利
があります。それを具体化する賃上げ、賃金水準こそがまさに賃金の社会性ということになります。政労使が合意している「生産性運動三原則」でも、「生産性向上の諸成果は、経営者、労働者および消費者に、国民経済の実情に応じて公正に分配されるものとする」とされています。個別企業ごとの賃上げや賃金水準といえども、マクロ経済の状況に即して形成される社会的な賃上げ相場、社会的な賃金水準の中で、産業の状況や個別企業の事情を一定程度反映して決定されていくということを、経団連と連合とで改めて確認することができれば、それこそが真の「賃金決定の大原則」ということになります。

賃金引上げの方法

 経労委報告では「賃金引上げ」について、
*月例賃金(基本給)、諸手当、賞与・一時金(ボーナス)を柱として、多様な選択肢の中から自社の実情に適した方法の前向きな検討・実施を求めたい。
*(諸手当に関して)物価動向への対応としては、例えば、生活関連手当のうち、適切と思われる手当(生活補助手当、食事手当、地域手当等)の増額、物価動向への対応であることを明確にした手当(インフレ手当、物価対応手当等)の新設などが考えられる。
*(一時金に関して)物価動向への対応としては、賞与・一時金の支給時における特別加算(物価対応加算、生活支援分など)のほか、賞与・一時金とは異なるタイミングでの特別一時金の支給(年単位、半期・四半期単位、随時等)が考えられる。
などと記載しています。たとえば、
*5千円の手当が物価上昇で目減りしてしまうので、5,200円に増額する。
*一時金を(月数でなく)金額で決定している場合、100万円の一時金が物価上昇で目減りしてしまうので、104万円に増額する。
*4月の賃金改定までの賃金の目減り分を、臨時手当や一時金として支給する。
*物価水準が一時的に上昇したが、短期間で下落し、もとの水準に戻ったので、その間の目減り分を補填する。
というのであれば、可能であり、必要な対応です。しかしながら、継続的な物価上昇が見込まれている場合、たとえば月30万円の賃金の目減り分の全額、そしてその累積を、将来にわたって一時金や手当で支払い続けるというのは現実的ではありません。
 企業の利益は大きく変動するので、一時金に反映させるのが基本となりますが、生産性向上の成果配分については、生産性は継続的に向上していくものであることから、基本賃金に反映させるのが基本となります。基本賃金はいわゆる「恒常所得」ですから、その増加は勤労者の生活の安定をもたらし、消費拡大の効果も大きくなります。
 「物価動向を重視した賃金引上げ」についても、継続的な物価上昇が見込まれる以上、基本賃金のベースアップとして実施し、加えて手当や一時金について、必要な対応を行うというのが基本です。この点については、経労委報告でも、
*物価上昇を考慮した基本給の引上げにあたっては、(中略)ベースアップ(賃金水準自体の引上げ、賃金表の書き換え)の目的・役割を再確認しながら、前向きに検討することが望まれる。
としています。
 なお、ベースアップは、必ずしも全員一律ではなく、労使で配分交渉を行うのが普通です。ただし物価上昇分については、生活防衛という観点からすれば、一律的な配分が望ましいと言えます。経労委報告でも、
*配分方法として、物価動向への対応の観点からは、全社員を対象とした一律配分(定額・定率)や、物価上昇の影響を強く受けている可能性の高い若年社員、子育て世代の社員、有期雇用等社員への重点配分を行うことが考えられる。
と指摘しています。ただし後者の場合、中高年層も「子育て世代」であり、また1990年代後半以降、中高年層の賃金水準が引き下げられてきたことに留意する必要があります。
 経労委報告では、
*均等・均衡待遇への対応、2025年に予定されている雇用保険の高年齢雇用継続給付の制度変更なども踏まえ、高齢社員の職務・役割や賃金水準の適正化を図らなければならない。その際、定年前後の賃金水準だけでなく、自社の賃金カーブ全体を再設計する必要がある場合も考えられる。
と指摘していますが、本来、入社から定年までの賃金は、その間の貢献の度合いに見合っているはずなので、定年後の「高齢社員の職務・役割や賃金水準の適正化」は「自社の賃金カーブ全体を再設計する」理由にはなりません。「高齢社員は雇っているだけで、企業に貢献していない」という潜在的な意識がなければ、このような発想にはなりません。

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