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経団連『2023年版経営労働政策特別委員会報告』の受け止め方(1)

2023年1月20日、2月10日一部補強
一般社団法人成果配分調査会代表理事 浅井茂利

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1.賃金引上げの社会性と物価動向への対応について

(賃金引上げの社会性)
*「2023年版経営労働政策特別委員会報告」の最大の特徴は、
・「物価動向を重視した賃金引上げ」、「賃金引上げのモメンタムの維持・強化」を「企業の社会的な責務」として企業に求めるとともに、
・「物価上昇の流れが浸透しつつある現状」を「長く続いたデフレと低成長にピリオドを打つ絶好のチャンス」、「大きな転換点」としてとらえ、
・「デフレマインドを払拭し賃金引上げの機運をさらに醸成して消費を喚起・拡大する」とともに、賃金と物価が適切に上昇する「賃金と物価の好循環」、「構造的な賃金引上げ」、「分厚い中間層の形成」につなげていくことにより、「日本経済再生」を果たすという、「社会性の視座」に立っている。

という点にあります。

*2014年以降、全体として賃上げ(ベースアップ)が再開されましたが、賃上げが実施されない企業は少なくありませんでした。また巷間、賃上げや賃金水準について、「それぞれ企業ごとに支払い能力に応じて決めればいい」とか、もっと極端な場合には、「能力や成果に応じて個人ごとに決めればいい」などという「春闘不要論」、「賃上げ不要論」も横行する状況がありました。2023年の経労委報告では、賃金引上げの社会性、社会的意義が繰り返し強調されており、企業の抱くデフレマインドの下での幻想にすぎない「春闘不要論」、「賃上げ不要論」の払拭が期待されるところです。

(物価動向を重視した賃上げ)
*現在の経団連(日本経済団体連合会)は、かつての経団連(経済団体連合会)と日経連(日本経営者団体連盟)とが2002年に統合した組織ですが、旧・日経連では、ベースアップ率の基準となる考え方として、「生産性基準原理」を提唱していました。「生産性基準原理」をわかりやすくまとめると、
ベースアップ率 = 就業者1人あたり実質経済成長率
にするというものです。この数式では、ベースアップ率に物価動向が関与する余地はなく、今回のように海外の資源価格が高騰し、企業がそのコスト増を価格に転嫁して物価が上昇した場合には、海外の資源価格高騰を勤労者が生活水準の低下によって負担することになります。「生産性基準原理」は、物価下落局面では、(仮に名目成長率が一定であれば)物価が下がるほどベースアップ率が高くなるという奇妙なことになりますので、デフレの時代にはまったく顧みられてきませんでした。今回、経団連が「物価動向を重視した賃金引上げ」を前面に打ち出したことにより、「生産性基準原理」と完全に決別したということが言えます。

*なお、経労委報告のP.114~116では、1973年の第1次オイルショック以降の賃金引上げの動向について整理していますが、鉄鋼労連の宮田義二委員長(当時)の経済整合性論(実質的に、しかも経済成長に見合って賃上げを考えていく)を紹介し、
・マクロ経済動向と賃金引上げとの整合性を重視した「経済整合性論」による賃金決定を図るべく、労使双方が意識的に対応した。
として、これを評価しています。「経済整合性論」の考え方は、1984年、労働組合のシンクタンクである経済・社会政策研究会によって、

ベースアップ率 = 就業者1人あたり実質経済成長率+消費者物価上昇率

という「逆生産性基準原理」として理論的に整理されましたが、これについては、2015年の『労働経済白書』でも、「標準的な経済理論が想定する世界と等しいもの」とのお墨付きが与えられています。「逆生産性基準原理」こそが、デフレ脱却以降に「成長と分配の好循環」、「賃金と物価の好循環」を具体化する「構造的な賃金引上げ」の基礎となるべき考え方と言えるでしょう。

*ちなみに経労委報告の中で、
・近年に経験のない物価上昇を考慮した基本給の引上げにあたっては、制度昇給(定期昇給、賃金体系・カーブ維持分の昇給)に加え、ベースアップ(賃金水準自体の引上げ、賃金表の書き換え)の目的・役割を再確認しながら、前向きに検討することが望まれる。
という記載がありますが、これは、「制度昇給+ベースアップ」で物価上昇率をカバーすればよい、との誤解を招く危険性があります。制度昇給は習熟昇給であるとともに、従業員の年齢の上昇に伴う、教育費など生計費の増加に対応するものですから、制度昇給を含まない、ベースアップだけで物価上昇率をカバーできなければ、実質生計費の減少、生活水準の低下を招くことになります。経労委報告としては、業績がとくに厳しく、ベースアップだけで物価上昇率をカバーできない企業に対し配慮したものと推測されますが、全体としてそうした方向に流れないように、「物価動向を重視した賃金引上げ」は、あくまでベースアップにおいて実施されなくてはならないという点について、とくに注意する必要があります。

*なお、「収益状況がコロナ禍前の水準を十分回復していない企業」に対しても、経労委報告が「できる限りの対応」、「複数年度にわたる賃金引上げ」などを求めているのは、きわめて重要な指摘です。2023年に物価上昇率をカバーするベースアップが不可能な場合には、たとえば2024年のベースアップを通常よりも上乗せする、といった対応があってしかるべきだと思います。

*経労委報告では、
・「物価上昇への対応」が社会的に求められていることは、経団連も十分認識しており、消費者物価が上昇していることから、要求水準を昨年より引き上げること自体について労働運動としては理解できる。
としつつ、
・(連合の)引上げ要求は、指標や目安とはいえ、賃金引上げのモメンタムが始まったとされる2014年以降の賃金引上げ結果と比べて大きく乖離している。
と批判しています。しかしながら、2023年については経労委報告自身も、「大きな転換点」、「長らくわが国社会に染みついたデフレマインド」の払拭、「約30年ぶりの物価上昇という特別な状況」などという認識を示しているわけですから、連合の要求方針が「2014年以降の賃金引上げ結果と比べて大きく乖離している」のは当然であり、賃上げ結果も「大きく乖離」していなくてはなりません。
 なお、これに関しては、1月23日の経団連・定例記者会見において、十倉会長が次のように発言されましたので、事実上、修正が行われたものと思われます。
(連合が5%の賃上げを要求していることについて問われ、)昨年は4%の賃上げ要求方針であった。足もとの物価上昇を踏まえると、昨年より要求水準を引き上げたことは十分理解でき、驚きはない。

 さらに、2月6日の定例記者会見で十倉会長は、
・「2023年版経営労働政策特別委員会報告」には、賃金引上げの目標値こそ明記していないが、賃金引上げを企業の社会的責務とまで位置づけ、その実現を力強く訴えている。連合が、今年の春季労使交渉の運動目標として5%の賃上げ指標を掲げたことは理解できるが、日本の企業数・従業員数の大部分を中小企業が占めているうえ、業績が業種・業界・個社により様々でもあることから、経団連が一律の数値目標を掲げるのは適切ではない。
・今年は、近年ベアを行っていなかった企業が実施を表明したり、大幅な賃金引上げを宣言したりする企業が出るなど、嬉しい知らせが続いており、賃金引上げのモメンタムにこれまで以上の力強さを感じている。たとえ小さなことであっても、一つひとつの行いが大きなうねりとなって、大きな行動変容に至るという「バタフライ効果」という現象がある。このような連鎖反応が起きることを期待している。今年を大きな変化の起点の年としたい。
と発言されています。
 経団連としては、中小企業団体との関係もあるし、業績もさまざまなので、賃上げの数値目標を掲げることはできないけれど、連合の5%の賃上げ方針を支持する姿勢を明確にするとともに、中小企業も含めて、「大幅な賃金引上げ」を行う企業の拡大を呼びかけたものと言えます。

(賃金決定の大原則)
*経労委報告では、
①社内外の様々な考慮要素(経済・景気・物価の動向、自社の業績や労務構成の変化など)を総合的に勘案し、
②適切な総額人件費(企業が社員を雇用するために負担する費用の総和)管理の下で、
③自社の支払能力を踏まえ、
④労使協議を経た上で、各企業が自社の賃金を決定する。
という「賃金決定の大原則」を掲げています。「大原則」とは言っても、「生産性運動三原則」のように政労使で合意した原則ではなく、あくまで経団連が提唱しているものにすぎません。

*「大原則」はあながち間違いというわけではありませんが、賃金の社会性よりも、自社の都合が優先されすぎているという欠陥があります。経労委報告の中でも、「各企業が自社の実情に適した対応を行う『賃金決定の大原則』」という記載があります。そもそも①に掲げられている「自社の業績や労務構成の変化」は、③の「自社の支払能力」の一部だと思います。

*「社会性の視座」を強調している2023年の経労委報告では、「大原則」の説明が本文から脚注に回されるなど、従来よりも扱いが小さくなっているとともに、
・企業労使における賃金交渉では、自社の経営状況を労使で正しく共有した上で、企業別労働組合が連合や産業別労働組合など上部団体が示す方針等を参考にしつつ決定した要求を受けて、様々な考慮要素のうち、物価動向を特に重視しながら「賃金決定の大原則」に則って検討していく必要がある。
という記載もあり、事実上、「大原則」の修正が行われているように見受けられます。

*日本で働く勤労者は、
・日本経済の成長に相応しい生活水準の向上を享受する権利
・日本の経済力に相応しい生活を送る権利
があります。それを具体化する賃上げ、賃金水準こそがまさに賃金の社会性ということになります。政労使が合意している「生産性運動三原則」でも、「生産性向上の諸成果は、経営者、労働者および消費者に、国民経済の実情に応じて公正に分配されるものとする」とされています。個別企業ごとの賃上げや賃金水準といえども、マクロ経済の状況に即して形成される社会的な賃上げ相場、社会的な賃金水準の中で、産業の状況や個別企業の事情を一定程度反映して決定されていくということを、経団連と連合とで改めて確認することができれば、それこそが真の「賃金決定の大原則」ということになるのではないでしょうか。


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