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(浅井茂利著作集)TPP交渉は難航しているのか

株式会社労働開発研究会『労働と経済』
NO.1577(2014年4月25日)掲載
金属労協政策企画局次長 浅井茂利

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 TPP(環太平洋パートナーシップ協定)は、2013年末を合意目標としていましたが、いまだ合意に達していません。報道を見ていても、交渉は難航しているように見受けられます。
 しかしながら、もともとTPPは高いレベルで関税撤廃をめざす「野心的で21世紀型」のFTA(自由貿易協定)ですから、各国がこれまで経験したことのない貿易自由化まで踏み込む必要があります。ある程度の難航は当然で、むしろ中途半端に片をつけるような結果に終われば、そちらのほうが失敗ということになるでしょう。

TPPのめざすもの

 世界の貿易ルールを定めているWTO(世界貿易機関)では、特定の国々の間で締結されるFTAが、閉鎖的なブロック経済にならないよう、ルール(GATT第24条)を定めています。しかしながら現実には、その中で最も重要な、実質上のすべての貿易について、妥当な期間内に関税を撤廃する、というルールが軽視されています。
 「実質上のすべて」「妥当な期間内」という条文そのものが、あいまいであることは事実ですが、「妥当な期間内」については、「原則10年以内」ということで整理されてきました。「実質上のすべて」については、日本では従来、貿易金額で90%以上ということを目安にEPA(経済連携協定)を締結してきました。しかしながらこれはすでに時代遅れで、主要国の締結しているFTAは、品目数で95%以上という水準になっています。
 ただし、90%や95%では、「実質上のすべて」とはとても言えないので、2006年に「全ての品目の関税を撤廃する(第4条)」自由化レベルの高いFTAとして、シンガポール、ニュージーランド、ブルネイ、チリの4カ国が原加盟国(P4)となって発足したのが、現行のTPPです。シンガポールは発効時、ニュージーランドとブルネイは2015年、チリは2017年に関税が撤廃されることになっています。
 現在、アメリカ、オーストラリア、ペルー、ベトナム、マレーシア、メキシコ、カナダ、日本が新規参加するのに伴い、さらに包括的な協定とするため、交渉が重ねられてきました。
 日本政府は色々と言っていますが、100%関税撤廃は、TPPのいわばアイデンティティーですから、これが揺らぐことはない、と考えるべきだと思います。新しいTPPの交渉では、2011年11月の首脳声明(ホノルル)で「輪郭」が合意されていますが、ここでは、
*グローバルな貿易の新しい基準を設立し、次世代の課題を包含する、画期的・野心的で21世紀型の貿易協定とする。
*WTO協定上負っている義務を上回る重要な約束を含む参加国間の関税撤廃。
が打ち出されました。また、今年2月の閣僚会合(シンガポール)でも、
*市場アクセスの全分野にわたる野心的なパッケージの完成。
*2011年にホノルルで設定された目標の達成。
が謳われています。
ちなみに、日本がこれまで締結してきたEPAの関税撤廃率を品目ベースにすると、80%台(最高は日本フィリピンの88.4%、最低は日本シンガポールの84.4%)となってしまいます。アメリカやEU、中国の締結してきた主要なFTAは、関税撤廃率が95%以上となっているので、日本と締結した国々では、日本の市場開放に不満が残ります。ですから、日本ではFTAをEPAとして締結し、関税を撤廃できない分、外国人労働者の受け入れ(インドネシア、フィリピン)のような、いわばおまけをつけてきたわけです。
 TPP交渉では、日本は重要5項目(コメ、麦、牛肉・豚肉、乳製品、砂糖・でんぷん)をセンシティブ品目として、関税を維持する姿勢を見せていますが、5項目は関税分類だと586品目になるので、品目ベースの関税撤廃率は93.5%となり、アメリカ、EU、中国などの従来のFTAにすら及びません。もちろんTPPのアイデンティティーからして、とても許容されるものではないでしょう。TPPでは100%の関税撤廃は当然で、センシティブ品目については、10年を超えてどの程度まで猶予期間を延ばすことができるかが焦点になるのではないかと思います。

関税撤廃は「負け」なのか

 TPPに関する報道などを目にして、大変不思議なのは、関税を維持すれば「勝ち」、関税を引き下げたり、撤廃すれば「負け」というような感覚が蔓延していることです。
 関税を負担しているのは、いったい誰なのでしょうか。一見、外国の生産者や、貿易業者のような気がしますが、関税の真の負担者は、実は国内の消費者です。
 簡単な数値で考えてみましょう。商品Aの国産品価格が10,000円、外国産の関税課税前価格が7,000円で、100%の関税がかかっているとすると、外国産の価格は14,000円になるので、外国産が輸入されることはありません。この場合、国内の消費者は、3,000円(10,000円 - 7,000円)を負担していることになります。
 消費者が3,000円余計に支出しても、国内で生産が行われ、雇用も生まれるのだからよいではないか、と思われるかもしれませんが、商品Aが輸入されていれば、国内ではヒトや資金や資源をもっと有効に、国内でしか供給できないものや、国際競争力のあるものの生産のために活用できることになります。
 「失われた20年」の間に、われわれは雇用を創出するという発想が身についてしまいましたが、雇用を創出する必要があるのは、本来は非常事態です。まっとうな経済運営が行われていれば、超少子高齢化の人手不足の下で、貴重な人材をどのような分野に振り向けるか、ということが問題になってくるはずです。
 また消費者の立場からしても、10,000円のものを7,000円で買えるようになるのですから、浮いた3,000円で別のものを消費することができます。3,000円分は、まさに実質生活の向上につながるわけです。関税を守れば勝ち、譲れば負け、ということでないのは、このような理屈です。

安全保障の観点

 当然のことですが、安全保障の観点から、どんなに消費者が負担を負ったとしても、国内で生産しなければならないということがあるかもしれません。しかしながら、重要5項目、586品目で関税をかけなければ、日本の安全保障は保たれない、という理屈は成り立たないでしょう。
 また、そのための費用を消費者がどれだけ負担しているのだ、ということをはっきり認識しているのと、そうではないのとでは大違いです。もし巨額な負担が認識されていれば、関税ではなく、もっと違った安全保障のやり方があるのではないか、と工夫することになると思います。事実、コメについては、普段は徹底したコストダウンで飼料用のコメを生産し、非常時には主食用の生産に転換する、などというアイデアも出てきています。
 いずれにしろ、即時撤廃ということはありえないので、「10年以内」で無理ならば、たとえば一世代をかけて関税撤廃するということでも、国際的に理解を得られるのではないでしょうか。

国産品に対する需要水準を決めるのは、消費者の所得水準である

 さらに言えば、ここまでは、国産品と外国産の品質がまったく同じで、価格だけで勝負がつく、という前提に立った話です。現実には、農産物に関して言えば、国産品の品質に対する消費者の評価、信頼はかなり高く、国産品志向が強いのではないかと思います。関税撤廃によって、国内の需要は、ある程度は外国産に流れるでしょうが、100%置き換わるということは、あり得ないと思います。消費者がどの程度国産品を買うか、あるいは外国産を買うのかというのは、関税ではなく、消費者の所得水準に依るのではないかと思います。農産物に対する消費者の国産品志向が高い場合、わが国の成長力を強化し、所得水準の向上を図ることが、結局は、国産品に対する需要を高めることになります。
 また当然のことながら、外国産との競争が行われれば、必然的に国産品の生産コストの低減、品質の一層の向上が図られるものと思います。こうした影響は、事前に定量的な測定をすることが困難ですが、それでも、こうした効果を考えずにTPPの影響を判断するのは、誤りだろうと思います。

TPPと中核的労働基準

 TPPの重要な特徴として、労働分野の規定が、本則に盛り込まれるということがあげられます。現行の4カ国のTPPでは、本則ではなく「覚書」として、「労働における基本的原則及び権利に関するILO宣言」(1998年)が確認されており、また、貿易と投資の奨励のために労働規制を緩和することは不適切であることなどが盛り込まれています。
 1998年のILO宣言というのは、ILOの基本8条約(29号、87号、98号、100号、105号、111号、138号、182号)で規定されている4つの中核的労働基準、すなわち結社の自由・団体交渉権、強制労働の禁止、児童労働の廃止、差別の排除については、ILO加盟国はたとえこれを批准していない場合でも、実現する義務を負っていることを宣言したものです。
 また、安倍内閣で特区を使って労働規制を緩和しようという動きがありましたが、貿易と投資の奨励のための労働規制緩和にあたるので、これが頓挫したことは、ご承知のとおりです。
 新しい協定では、労働分野の規定は本則に記載されることになっていますが、少なくともこうした内容が盛り込まれるのは確実だと思います。
 中核的労働基準は、基本8条約を批准していない場合でも、遵守しなくてはならないのですが、批准することが無意味なわけではなく、条約の実効性を高めるためにはきわめて重要です。日本は残念ながら、105号(強制労働の廃止に関する条約)、111号(雇用及び職業についての差別待遇に関する条約)の2条約が未批准ですが、実はTPP交渉に参加している他の11カ国でも、8条約すべてを批准しているのはチリとペルーだけで、アメリカ、ブルネイは2条約しか批准していません。
 従って、日本がもし8条約すべての批准を済ませていれば労働者の権利の強化につながるのはもちろん、TPP交渉において、日本はより強い立場に立てるということになるでしょう。
 TPPは輸出産業の利益になるだけで、他の産業や労働者は犠牲になるかのようなことを言う人もいます。新しいTPPがどんなものになるかは、まだわかりませんが、これまでの状況を分析していけば、市場開放を積極的に進めた国から、勤労者の生活も含め、豊かになっていくということになるのではないかと思います。


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