物価上昇に対する企業の責任
2025年1月8日
一般社団法人成果配分調査会代表理事 浅井茂利
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2025年春闘の課題は、
*物価上昇を上回るベースアップを
*中小企業も含めて
*当たり前のことにしていく
ことです。こうした認識については、連合と経団連はもとより、ほとんどの産業労使、企業労使において共有されているはずですが、ごく一部の経営側からはいまだに、
*企業には、賃上げで物価上昇に対応する責任はない
とか、
*物価上昇ではなく、人手不足に対応して賃上げをしている
といった主張がされる場合があるようです。
従業員の「雇用の安定」と「生活の維持・向上」は、労使が果たすべき最重要の責務であり、企業には、物価上昇による賃金の目減りに対応する責任があります。企業が物価上昇にベースアップで対応しないとすれば、それは、物価上昇によるコスト増を、従業員の生活水準の切り下げによって吸収するということであり、経営者のとるべき姿勢ではないわけですが、実際の労使交渉では、そうした理屈が通用しない場合もあるようです。
賃金は労働の対価であり、労働の対価には、職務遂行能力の購入費用だけでなく、労働力の再生産費用に対する支払いも含まれる
*企業には、賃上げで物価上昇に対応する責任はない
*物価上昇ではなく、人手不足に対応して賃上げをしている
といった主張を経営側がする場合、賃金は労働の対価であって、従業員は労働の対価である賃金を受け取って生計費に充てているだけで、企業が直接、生計費として賃金を支払っているわけではない、という思い込みがあるためだと思います。しかしながら、これは「労働の対価」ということに対する理解不足から生じた、間違った思い込みと言わざるを得ません。
企業にとって賃金は、
*職務遂行能力の購入費用に対する支払い
であるとともに、
*労働力の再生産費用に対する支払い
です。そして労働力の再生産費用には、
*いま働いている従業員が、明日も、そして将来も働けるようにするための費用
*次世代の労働力を養育する費用
の2つがあります。すなわち賃金は、
①職務遂行能力の購入費用に対する支払い
②いま働いている従業員が、明日も、そして将来も働けるようにするための費用に対する支払い
③次世代の労働力を養育する費用に対する支払い
という3つの性格があるわけです。ちなみに、これらの3つの性格を、賃金項目として分けることができるかもしれませんが、それはあくまで形式上のことであり、賃金が全体として3つの性格を持っていると考えるべきだと思います。
「労働の対価」というと、①だけのような印象があるかもしれませんが、①だけでなく、②も③も「労働の対価」の範疇に入ります。
カーリースの利用料金の中には、メンテナンス費用や保険費用、リース会社が自動車を買い替える費用、リース会社の利益などが含まれているはずです。また別途、ガソリン代や電気代がかかります。これらをすべてあわせた費用が、自動車を使用するために必要な対価であり、カーリース利用者は、これらの対価をリース会社やガソリンスタンド、電力会社などに支払っているわけです。
労働力を使用する企業も、①、②、③のすべてが、労働力を使用することの対価であり、これらを、
*従業員には賃金や福利厚生などとして
*政府には社会保険料の事業主負担として
支払わなければなりません。
とりわけ、労働力は社会的な存在であり、かつ有限の資源ですから、現役世代の労働力を使用した企業が、次世代の労働力の養育費を負担しなければ、資源を採り尽くしてしまうことになります。現在の出生率の低下の一因として、養育費を十分に賄える賃金が支払われていないということが挙げられるかもしれません。次世代の労働力の養育費の負担も企業の社会的責任であることは、ベースアップによる物価上昇への対応を認めていない企業だけでなく、すべての企業において、改めて認識されなくてはなりません。
「労働は、商品ではない」のだから、賃金とリース料金などを一緒にするのはおかしい、という人がいるかもしれません。「労働は、商品ではない」の趣旨は、だから、従業員は商品よりも大事にされ、尊重されなければならない、ということのはずですが、現実には、機械は必要なエネルギーを与えなければ動かないのに対し、従業員は必要な賃金を支払わなくとも自分で何とかしてしまうので、商品よりも粗末に扱われている場合があることは否定できません。従業員は最低限、商品なみに大切に扱われてしかるべきです。
実際問題として、本心から「企業には、賃上げで物価上昇に対応する責任はない」などと考えている経営側が存在するとは考えにくいところです。物価上昇をベースアップの根拠として認めれば、物価上昇率が交渉の出発点になってしまうので、経営側としてはそれは避けたいということなのではないかと思います。
また、「物価上昇ではなく、人手不足に対応して賃上げをしている」という主張があるとしても、物価上昇をカバーするベースアップを行わなければ、採用困難、人材流出が加速するのでベースアップを行っているのであれば、それは結局、物価上昇に対応したベースアップと言えます。
物価上昇による生計費の増加を労働の対価である賃金に転嫁する必要がある
当たり前のことですが、賃金の価値は、その賃金でどれだけの商品やサービスを購入できるか、ということにかかっています。物価上昇をカバーするベースアップが行われなければ、賃金の購買力、賃金の価値が低下するわけで、労働力の再生産費用を含めた従業員の生活水準が低下するのはもちろんですが、それだけでなく、「職務遂行能力の購入費用」としての賃金の価値も低下することになります。
多くの企業では、物価上昇に対応して商品やサービスの販売価格を引き上げているはずです。サプライヤー企業は、バイヤー企業に対し原材料価格の上昇の価格転嫁を求め、政府もこれを後押ししています。雇用関係においては、従業員は職務遂行能力のサプライヤー、企業がバイヤーになるわけですから、物価上昇による生計費の増加についても、これを労働の対価である賃金に転嫁させる必要があるわけです。
もし仮に、わが社は販売価格を引き上げていない、だから物価上昇に対応した賃上げも行わない、という企業があるとすれば、その企業は、
*物価上昇によるコスト増を、従業員の生活水準の切り下げによって吸収し、
*従業員の購買力を低下させることによって、内需を縮小させ、
*経済の正常なサイクルを損なっている
ということになると思います。
ジョブ型(職務給)の場合はどうなのか
いわゆるジョブ型(職務給)を採用している場合には、このような考え方が通用しないのではないか、という疑問があるかもしれません。
たしかに、職務遂行能力を評価する必要のないポストにおいて、職務給を採用している場合には、賃金は、
①職務遂行能力の購入費用に対する支払い
ではないと言えるかもしれません。しかしながら、その場合でも、
②いま働いている従業員が、明日も、そして将来も働けるようにするための費用に対する支払い
③次世代の労働力を養育する費用に対する支払い
という意味合いからは逃れることはできません。
また、そもそも職務遂行能力を評価する必要のないポストなど、ほとんど存在しないはずです。たとえジョブ型(職務給)と名付けられた制度においても、ポストに従業員を配置するためには、従業員の職務遂行能力の評価が不可欠なので、結局は、職能給の場合と同じことになります。
職能給の場合:職務遂行能力+功績 ⇒ 賃 金
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ポスト
ジョブ型(職務給)の場合:職務遂行能力+功績 ⇒ ポスト ⇒ 賃金
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