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奇妙な「労使コミュニケーション」議論

2024年9月13日
一般社団法人成果配分調査会代表理事 浅井茂利

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 厚生労働省の「労働基準関係法制研究会」において、「労使コミュニケーション」が議論されています。労働基準法は強行法、すなわち当事者間の合意の如何を問わずに適用される規定ですが、多くの規定で、使用者と過半数労働組合または労働者の過半数代表との協定により、労働基準法の基準と異なる取り扱いをすることが認められています。しかしながら、そうした交渉・合意に「労使コミュニケーション」という言葉を当てはめていいのか、違和感があることは否定できません。「労使コミュニケーション」の充実、という誰も反対しない、できない言葉を用いることにより、労使協定によって「労働基準法制にある最低基準」よりも低い労働条件を容認する仕組みの一層の拡大を図ろうとしているだけなのではないか、と疑わざるを得ません。
 そもそも労働条件は、「労働者と使用者が、対等の立場において決定すべきもの」(労働基準法第2条1項)です。しかしながら、労働組合でさえ「労使対等の交渉」を行うハードルは高いのに、労働者の過半数代表では、いかにその制度整備を図ったところで、対等の交渉とならないのは明らかです。労働基準法の定めた労働条件の原則、すなわち「この法律で定める労働条件の基準は最低のものであるから、労働関係の当事者は、(中略)その向上を図るように努めなければならない」(第1条2項)という規定の実現を促していくことこそが政府の役割であり、現在の「労使コミュニケーション」の議論は真逆を向いていると判断せざるをえません。
 「労使コミュニケーション」に関しては、むしろ商法(会社法)の分野にその概念を持ち込んで、労働組合や労働者の過半数代表による経営のチェックや人権デュー・ディリジェンスへの参画などを制度化していくべきだと思います。

労使コミュニケーションとネゴシエーション

 厚生労働省の「労働基準関係法制研究会」では、「労使コミュニケーション」について、
・労使が団体交渉してよりよい労働条件を設定するもの(春闘など、労働組合による団体交渉を基本とするもの)
・労働基準法制にある最低基準について、労使の合意で例外を認めるもの(過半数労働組合・過半数代表者との労使協定を締結することで、最低基準の例外を認める仕組み)
という意義・機能がある、と整理しています。
 しかしながらこれらは、単に意思疎通や情報伝達を図るだけでなく、利害を異にする当事者が、交渉して合意を得る「ネゴシエーション」ですから、「労使コミュニケーション」という言葉を当てはめることには違和感があります。「ネゴシエーション」のためには「コミュニケーション」が必要であるとしても、「コミュニケーション」で「ネゴシエーション」を代替することはできません。「労使コミュニケーション」という言葉は、たとえば、
・労働安全衛生
・苦情処理
・生産性向上
・人権デュー・ディリジェンス
・経済情勢・産業動向・経営状況の共有化、労働組合による経営対策活動
などの分野で適切にあてはまるのではないかと思います。

労使協定によって労働基準法よりも低い労働条件を容認する仕組み

 「労働基準関係法制研究会」が示した「労使コミュニケーション」のふたつの意義・機能のうち、
・労働基準法制にある最低基準について、労使の合意で例外を認めるもの
については、さらに次のふたつに分類することができるのではないかと思います。すなわち、
①社内預金やチェックオフ、時間単位の有給休暇のように、外形的には労働基準法の原則にそぐわないけれども、原則の趣旨に反するものではなく、むしろ労働者の便益を増すことになることから、労使による確認を経て、異なる取り扱いを認めているもの
②変形労働時間制のように、「労働基準法制にある最低基準」よりも労働者に不利な労働条件を設定することが認められているもの

ということになります。

 ①については、たとえば労働基準法では、賃金の通貨払・直接払・全額払を求めているわけですが、社内預金とかチェックオフなどの仕組みは、こうした原則に外形上はそぐわないとしても、原則の趣旨を損なっているわけではなく、厳正に運用されていれば労働者にとって不利にならず、むしろ便益をもたらす可能性が高いものであれば、労使協定によって労使の意思を確認し合った上で実施する、ということがあってよいのだろうと思います。

 一方、②については、たとえば変形労働時間制は、労働者の生活の安定を損なう代償を節約して、人件費コスト削減を図る仕組みですから、強行法(当事者間の合意の如何を問わずに適用される規定)である労働基準法の規定を骨抜きにするものであり、本来、許されるべきではありません。所定外労働を行うための36協定にしても、労使協定に委ねるのではなく、
*所定外労働それ自体は自由化し、
*ただし、その上限について適切かつ実効的な法規制を行い、
*割増率については、所定外労働の時間あたりコストが明確に所定内労働のコストを上回るよう設定する
というのが、本筋だと思います。ちなみに高度プロフェッショナル制度は、過半数代表の仕組みではありませんが、労働者に不利な仕組みを労使委員会の判断に委ねている点では同様です。

 もし仮に、すべての労使関係において、完全に労使対等による交渉が実現できるのであれば、そもそも労働基準法など廃止してもよいかもしれません。しかしながら、労使対等による交渉が実現せず、労働基準法によって労使の交渉力のアンバランスを補完している(後述)以上、労使協定によって「労働基準法制にある最低基準」よりも労働者に不利な労働条件を容認するという仕組みの適用範囲を拡大することは、労働基準法の定めた労働条件の原則、すなわち「この法律で定める労働条件の基準は最低のものであるから、労働関係の当事者は、(中略)その向上を図るように努めなければならない」(第1条2項)の規定に自ら反することなるのは明らかです。

労働市場における労使の立場のアンバランスについて

 市場経済においてもっとも重要なことは、市場参加者、すなわち、
*売り手と買い手
*売り手同士
*買い手同士
の対等性の確保です。市場経済では、市場参加者が取引を行うのに際し、売り手と買い手の双方がWin-winで自分の利益を得ることのできる合理的な決定ができなければなりません。もし、市場参加者の対等性が確保されなければ、そうした合理的な決定を下すことは不可能です。どちらか片方が一方的に利益を得るような取引を強いられるようであれば、市場経済は成り立ちません。

 市場には、商品・サービス市場、金融市場、労働市場の3つがありますが、3つの市場のうち、労働市場における労働力の売り手である労働者と、買い手である会社側との対等性確保は、商品・サービス市場や金融市場における売り手と買い手の対等性確保に比べ、著しく困難です。
 それは、労働力という「売り物」の特性、すなわち、今日、労働力を売ることができなければ、今日の労働力を明日売ることができない、ということもありますが、それとともに、労働市場では、労働力の売り手である労働者と買い手である会社側との間で、
①立場のアンバランス
②情報のアンバランス
③リスクのアンバランス
が顕著だということがあります。労働市場では、商品・サービス市場や金融市場とは異なり、「立場」「情報」「リスク」のいずれもが買い手優位であり、しかも「立場」の優位が圧倒的となっています。

 まず「立場」のアンバランスですが、企業における業務遂行においては、労働者(従業員)は当然のことながら会社側の指揮命令に従っており、人事権も会社側にあります。ですから、たとえ法律で、
*労使交渉において、労働者と使用者は対等の立場に立つ
*労使交渉に起因して、使用者は労働者に対し、不利益な取扱いをしてはならない
などと決めてあったとしても、「ここからは労使交渉です。さあ対等で」などと簡単に切り替えることはできません。法律で禁止されていたとしても、労使交渉で特定の労働者が会社側の不興を買い、その後の仕事や評価、昇進に支障が出る、ということも当然予想されます。
 政府の「新しい資本主義実現会議」のとりまとめた「三位一体の労働市場改革の指針」では、「働き手と企業の関係も、対等に『選び、選ばれる』関係へと変化する」などと呑気なことが書かれていますが、後日、ノーベル賞をもらうような研究者ですら会社側から粗末に扱われ、結局、退職せざるを得なかったような事例もあるわけですから、従業員個人と会社側とで対等な関係を築ける、などというのは絵空事です。

 労使対等での交渉を実現するためには、労働者が個人個人ではなく、労働組合を組織し、団体として、団結力と争議権を背景に交渉する以外に方法はありません。
 もともと労働組合や労使交渉といった仕組みは、為政者の意図で作られたものではなく、市場経済の中で、自然発生的に生まれてきたものです。アダム・スミスは『国富論』において、政府による労働組合に対する弾圧や、弾圧を求める資本家を厳しく批判しています。アダム・スミスの「自由放任」には、政府が労働組合を弾圧しないで労働者の自由に任せるという意味も含まれるのだろうと思います。

労働市場における情報のアンバランス

 次に「情報」のアンバランスですが、当然、経営情報は会社側がすべて握っています。一部の企業では、いわゆる「ほう・れん・そう(報告・連絡・相談)」は上司から部下に行うもの、とされているようですが、ほとんどの企業ではそうなっていないでしょう。労働者が会社側と交渉するにしても、交渉の基礎となる正確な情報が会社側から得られなければ、対等な交渉など不可能です。
 こうした点でも、労働組合のほうが、労働者個人個人よりも会社側から情報を引き出しやすいということは、当然あると思います。会社側としても、労働組合であれば、ある程度機密を保持しやすく、また情報を整理した上で組合員に伝えたり、その後の対応に向け必要な準備をしてくれるため、情報を伝えるメリットがあります。
 また、労働組合は日頃の職場活動、相談活動を通じて、会社が把握できない現場情報を握っているはずです。労使協議において会社側の経営情報と労働組合の現場情報をともに共有化することは、企業の健全な発展にとってきわめて重要です。

労働市場におけるリスクのアンバランス

 そして「リスク」のアンバランスですが、一般的に、株主や経営者に比べ、従業員の経済的基盤は脆弱です。企業を退職したその瞬間から生活に困窮するということも少なくありません。会社が苦境に陥って人員整理などが検討される場合、会社側に対し、
*人員整理がぎりぎりまで回避されるように、
*退職する従業員に適切な補償が行われるように、
交渉することは、労働組合にしかできない仕事です。
 かつては、会社側が整理解雇や希望退職を募る場合には、人事部長や労務担当役員も自ら退職を覚悟し、一定程度とはいえ、リスクの共有が図られていました。しかしながら、いまはそうではなく、逆に人員整理を行った責任者が評価されて昇進するなどということもあると思います。
 もちろん従業員の首切りに対しては、「整理解雇の四要件」のように制限が設けられています。しかしながら、そうした法的な保護も、会社側が破ろうと思えば、従業員は裁判に持ち込まない限りこれを守らせることができません。裁判をすること自体、従業員にとって金銭的、時間的、心理的にきわめて大きな負担となってしまいます。結局、現実的なリスク回避の方法は、労働組合による交渉しかありません。

産業別労働組合の活動

 しかしながら、たとえ労働組合が組織化されていたとしても、企業ごとに労働組合を結成したり、労働組合に加入したりするだけでは不十分です。労働組合の組織化とともに、
*企業別労働組合(単組)が産業別労働組合(産別)に加盟して、そのサポートを受けていること
*労働組合が争議権を行使する意思と力を背景に、交渉していること
*労働基準法や最低賃金法、労働安全衛生法などの労働法制や労働行政によって、賃金・労働諸条件、職場環境などが底支えされていること
がきわめて重要です。

 まず産別についてですが、前述のように、企業における通常の業務遂行では、労働者(従業員)は経営側の指揮命令に従っており、人事権も経営側にあるわけですから、たとえ企業において労働組合が組織化されていても、同業他社の単組と密接な連携を持たない孤立した単組では、単組の委員長や執行部の人たちが労使交渉で経営側の不興を買った場合、組合役員退任後の仕事や評価、昇進に支障が出る、ということも実態としてはあるかもしれません。単組の力だけでは、情報やリスクのアンバランスを解消することも困難です。孤立した単組では、経営側に対抗する力がどうしても弱くなってしまいますが、こうした単組の弱さを補完するのが産別です。

 たとえば春闘において、産別では、
*連合のようなナショナルセンター(労働組合の中央組織)、金属労協のような大産別の方針に基づき、産別として要求基準をとりまとめ、それに沿って、単組が統一的な要求を提出し、
*統一的な日程で交渉し、
*統一的な回答を引き出す
ということが基本となります。もちろんすべての単組の要求、日程、回答が揃うわけではありませんが、産別の要求基準に基づいて要求を提出し、交渉すると、
①要求の客観性・合理性・正当性が高まる
②実際の交渉は個社ごとに行われるにしても、日本の経済力に相応しい賃金水準、経済情勢に見合った賃上げ、社会的な賃金・労働諸条件改善の必要性、産業全体の状況を踏まえた賃金水準や賃上げのあり方など、まずはマクロ的な観点が交渉の出発点となる
③産業内の競争条件に対し、中立的な要求になる
という効果があります。

 ①については、たとえば経済情勢、産業動向を分析するにしても、単組だけで行うよりも、ナショナルセンター、大産別、産別、単組での検討を集積した分析のほうが、より精緻なものとなっているはずです。また、ナショナルセンター、大産別、産別、単組で重層的に議論を積み重ねてきた結果の要求ですから、単組が自分たちだけで組み立てた要求よりも客観性・合理性・正当性が高まっていることは明らかです。労働組合全体、ひいては組織労働者全体の意思を結集した要求ということになりますから、要求の「重み」が増し、経営側に対する圧力が高まることになります。弱気な単組委員長や執行部が経営側の顔色を窺って要求を遠慮してしまうとか、逆に単組委員長や執行部が個人的に経営側の不興を買ってしまうなどということも避けることができます。まさに「暗い夜道を1人で歩くのは不安だ。みんなでお手々つないで進めばこわくない」(春闘の発案者である太田薫・合化労連委員長)ということになります。

 ②については、賃金・労働諸条件は本来、社会性を持つものであり、個社の事情の反映は一定程度でなくてはなりません。しかしながら、単組が自分たちだけで組み立てた要求では、自社の事情を優先した要求になりがちですし、回答も当然、もっぱら自社の事情を反映したものとなってしまいます。しかも「自社の事情」が反映されるのはもっぱら業績が悪い時であって、業績がよい時の賃上げは「自社の事情」ではなく世間の動向が優先されがちです。その結果、業績の悪い時は低い賃上げで、業績のよい時はそれが賃上げに反映されないという、アシンメトリーな状況になってしまいます。結果的に、賃金水準は適正な水準よりも低いものとなっていきます。

 ③については、経営側は、同業他社よりも人件費コスト増が大きいことによる競争力低下を恐れますので、産業内で賃上げ要求がばらばらであれば、回答はどうしても低い要求に引っ張られてしまい、その産業に相応しい賃上げよりも低い賃上げとなってしまいます。産業内で同じ要求をし、回答が得られれば、人件費コスト増によって産業内の競争条件が変化することがないので、経営側は安心して賃上げを行うことができるはずです。
 また、同業他社よりも低い賃金水準にすることによって競争力を確保しようとする、低賃金競争の防止にもつながります。日本の法定最低賃金制度は静岡缶詰協会の「業者間協定」をルーツにしていますが、低賃金競争を防止し、公正競争を行っていこうとする経営側の意思の表れでした。

 労働組合と経営側との情報のアンバランスへの対処という点でも、産別は、労使交渉における交渉材料や法改正への対応策など、単組執行部に詳細な情報提供を行っています。とくに、
*産業動向の分析
*産業内の各社・各単組における賃金・労働諸条件の制度や実態
*労使交渉の状況
などといった情報の共有は、単組の活動にとって非常に大きな力になっています。近年、経営側からの圧力により、労働組合同士での情報共有を避けようとする傾向も見られますが、まさに労働組合の弱体化につながるものであるということを認識する必要があります。

 リスクのアンバランスについても、たとえば労使交渉が難航している場合、産別から人的・資金的支援が行われたり、産別が世論形成を図ったりします。経営側から人員整理を提案されたような場合には、産別は当該の単組に対し、特別な支援体制を組み、必要な場合には、政府、地方自治体なども巻き込んだ対策を講じていくはずです。

 日本の企業別労働組合という仕組みに対しては、海外から「御用組合」との誤解があることは否定できません。しかしながら、「組織の基盤は企業別でも、運動の基盤は産業別労働組合である」と反論することができれば、「御用組合」との誤解を跳ね返すことができると思います。民主的な意思決定に基づき、単組を適切に指導できる産別に加入してはじめて、企業別労働組合は一人前ということになります。

争議権

 日本国憲法第28条では、「勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する」として、団結権、団体交渉権、争議権の労働基本権(労働三権)を規定しており、このうち争議権については、労働組合法第8条において、「使用者は、同盟罷業その他の争議行為であつて正当なものによつて損害を受けたことの故をもつて、労働組合又はその組合員に対し賠償を請求することができない」と規定することにより、具体的に保障しています。

 争議行為は、単組委員長や執行部も含めて、通常の業務遂行では労働者(従業員)は経営側の指揮命令に従っており、人事権も経営側にあるという、経営側に対する労働組合の「立場」の脆弱性を補完し、市場経済原理の下で労使対等を確保するためにきわめて重要なツールということになります。
 もちろん、経営側の回答が不満だからと言って、のべつ幕なしに行使するものではありませんが、労働組合として、いつでも争議行為に入れるという意思や力を経営側に示しておくことが、経営側から適正な回答を引き出すための圧力となります。また、本当にひどい回答の時、ここぞという時には、争議行為に踏み切ることも必要です。

 2023年8月31日、西武池袋本店において、そごう・西武労働組合がストライキに突入し、経団連会長がこれを支持するなど、異例の展開となりました。新聞報道によれば、親会社のセブン&アイ・ホールディングスの取締役会において、「労組のストに屈するようでは時代錯誤だ。(そごう・西武売却の)延期はすべきではない」という発言があったということですが、売却の是非はともかく、少なくともこうした発言は、市場経済原理に反する時代錯誤のもの、と言わざるを得ません。

 争議行為の結果、回答が前進する場合もありますし、前進しない場合もあります。留意する必要があるのは、本当に必要性があって、慎重な検討を重ねた上で決行した争議行為であるならば、前進しなかった場合に、単組内で争議行為は失敗だったとか、前進しないならやらなければよかった、などという雰囲気が広がらないようにすることです。たとえ争議行為が成功しなかったとしても、その後の春闘において、争議行為に入らざるを得ないような回答をあらかじめ阻止する効果が、間違いなくあるだろうと思われるからです。争議行為を否定的にとらえることは、長期的な労働組合の弱体化につながります。

 なお産別によっては、回答の事前にスト権投票を済ませ、産別にスト指令権を委譲することにしているところがあります。ストを決行するかどうか決定するのは産別ですから、これも争議行為の客観性・合理性・正当性を強化し、単組の委員長や執行部を守ることによって、労使の対等性を高めるやり方だと言えます。

労働基準法などの労働法制、労働行政による賃金・労働諸条件、職場環境の下支え

 繰り返しになりますが、賃金・労働諸条件は、労使対等の交渉によって決定するというのが基本です。しかしながら、労使対等の交渉のための第一歩である労働組合は、その組織率が16.3%(厚生労働省「令和5年労働組合基礎調査」)にすぎません。そして全労働組合員のうち、ナショナルセンター・連合に加盟しているのは7割に止まっています。なお、このほかにも産別や単組を束ねる労働組合組織は存在しますが、たとえば市場経済に対し後ろ向きな姿勢の場合には、そうした組織が市場経済下の労使交渉において力を発揮し得るのか、多くを期待できないように思います。
 大雑把に言えば、連合に加盟する組合員が労働者の1割、そうではない労働者が9割ということになるわけです。仮に、労働者の1割に相当する組合員の交渉では労使対等が確保されていると仮定して、その交渉結果が他の9割に波及すればよいのですが、そうではなく、9割の状況に1割が引っ張られるということも考えられます。ビジネスの上では、労使対等が確保されている企業も、確保されていない企業も、同じ土俵で競争しなければならないからです。
 これを避けるためには、労働基準法や最低賃金法、労働安全衛生法などの労働法制や労働行政によって、9割の労働者の賃金・労働諸条件、職場環境の底支えをすることが不可欠となります。

 たとえば、あくまで一般論で言えば、法定最低賃金を引き上げると失業者が増えるということになっているわけですが、それは法定最低賃金の水準が、「労使対等の交渉で決定された賃金水準」の下限と同一か、これを上回る場合です。(特定の単組ではなく)労働市場全体で労使対等が確保されていなければ、労働市場における現実の賃金水準は「労使対等の交渉であれば実現するであろう賃金水準」を下回っているので、商品・サービス市場において需要不足が生じているはずです。法定最低賃金の引き上げなどを通じて、「労使対等の交渉であれば実現するであろう賃金水準」を実現すれば、需要が拡大し、雇用はむしろ維持・創出されることになります。 

従業員の過半数代表は、産別に加盟し、かつ争議権のある労働組合の代替とはならない

 繰り返しになりますが、労使対等の交渉が確保されるためには、
*過半数労働組合が組織化されていること
*企業別労働組合(単組)が産業別労働組合(産別)に加盟して、そのサポートを受けていること
*労働組合が争議権を行使する意思と力を背景に、交渉していること
*労働基準法や最低賃金法、労働安全衛生法などの労働法制や労働行政によって、賃金・労働諸条件、職場環境などが底支えされていること
が不可欠です。従業員の過半数代表は産別の指導を受けておらず、また争議権を持っていないので、労使対等の協議・交渉を期待することはできず、労働組合の代替とはなりません。

 労働組合の組織率が低い中で、労働市場において適切な賃金・労働諸条件を確保していくために必要な方策は、見掛け倒しの「労使コミュニケーション」ではなく、労使対等の下で決定された賃金・労働諸条件を、決定に参加していない同地域・同種の労働者にも適用する「労働協約の地域的拡張適用」(注)の要件を緩和し、広く一般化を図ることであろうと思います。
 なお「労使コミュニケーション」については、労働法の範疇というよりは、むしろ商法(会社法)の分野にその概念を持ち込んで、労働組合や従業員の過半数代表による経営のチェックや人権デュー・ディリジェンスへの参画などを制度化していくべきだと思います。

(注)2024年9月時点で、茨城県の大型家電量販店に雇用される無期雇用フルタイム労働者に適用されるもの、青森県・岩手県・秋田県の大型家電量販店に雇用される無期雇用フルタイム労働者に適用されるもの、の2件である。

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