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2023年春闘労使交渉一問一答(2.物価上昇への対応について)

2023年1月31日
一般社団法人成果配分調査会代表理事 浅井茂利

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 「2023年春闘労使交渉一問一答」は、調査会レポート「2023年春闘の論点」にこれまで掲載してきた論考を、一問一答形式で整理するとともに、掲載後の状況も踏まえ、さらに補強したものです。
 なお、賛助会員のみなさまには、ご希望に応じて、バックデータなどを提供いたします。

2.物価上昇への対応について

(1) そろそろ物価上昇もピークを迎えているのではないか。

*本稿執筆時点では、2022年12月の消費者物価上昇率(総合)は、前年同月比で4.0%となっています。都区部の速報値から計算した2023年1月の推計値は4.4%となりますので、2022年4月~2023年1月の平均上昇率(推計値)は3.2%となります。2022年度の平均上昇率が3%に達するのは確実な状況です。

*物価上昇率もそろそろピークを迎えているのではないか、という観測が広がっていますが、一方で、4月1日から値上げを予定している企業も多いのではないか、という見方もあります。どちらにしろ重要なのは、
・2022年度には3%に達する消費者物価の上昇があり、これをカバーする賃上げ(ベースアップ)によって、実質賃金を回復する必要がある。
・物価上昇率は、いずれピークを迎え、鈍化する。しかしながら、それは物価水準=物価指数のピークではなく、物価指数の低下を意味するものではない。
月ごとに見れば、前月に比べて物価指数が低下し、物価上昇率が前月比でマイナスになるのは普通にあるとしても、年度平均で前年比上昇率がマイナスになるという事態は、今後、想定しにくい。(この件については、(4)を参照)
ということだと思います。

*消費者物価指数については、マスコミで報道されるのが主に「生鮮食品を除く総合」であるため、企業によっては「総合」ではなく、「生鮮食品を除く総合」を賃上げの検討材料としているところもあると思います。なぜ「生鮮食品を除く総合」が報道で取り上げられるのかというと、各月の数値から天候要因で値動きが激しい生鮮食品を除外し、一時的な要因を排除することによって、基調的な動きを示すため、ということになります。しかしながら、賃上げの検討材料、根拠となるのは基本的に年度の数値であり、各月の数値を見るとしても、方向性を探るための参考にするだけですから、「生鮮食品を除く総合」を用いる理由はありません。

*もうひとつ、賃上げの検討材料、根拠として「総合」を用いるべき理由としては、当たり前のことですが、生鮮食品は最も重要な生活必需品のひとつである、ということです。2000年度から2010年度にかけての上昇率を見ると、10年間で「総合」はマイナス2.6%、「生鮮食品を除く総合」はマイナス2.9%となっており、その差は0.3%ポイントでした。一方、2010年度から2020年度の10年間では、消費税率引き上げ分を除いて、「総合」が3.1%、「生鮮食品を除く総合」が2.5%で、その差は0.6%ポイントに拡大しています。生鮮食品については、「天候要因」による一時的な値上がり・値下がりに加えて、「気候変動」による長期的な値上がりが生じている可能性もありますので、賃上げの検討材料、根拠として、生鮮食品の価格動向を外すのは適当ではありません。

*なお、厚生労働省「毎月勤労統計」や総務省統計局「家計調査」で実質賃金や実質消費支出などの算出に用いられる消費者物価指数「持家の帰属家賃を除く総合」は、2022年12月の前年同月比上昇率が4.8%、その中でも節約、倹約、買い控えが困難な「基礎的支出項目」の上昇率が6.1%に達しており、物価上昇による生活への打撃は、実際には「総合」の上昇率が示す以上に大きいものとなっています。
(注)消費者物価指数では持家について、家賃を自分自身に支払っているものとして指数に組み入れている。しかしながら、実際には支払っていないので、これを除外したのが「持家の帰属家賃を除く総合」である。

(2) 物価上昇で従業員の生活が苦しいのは承知しているが、わが社もコスト増で利益が圧迫されており、物価上昇をカバーする賃上げを行う余裕はない。

*会社が、資源価格高騰をきっかけとしたコスト増により利益が圧迫されているということは理解できますが、コスト増を理由に物価上昇をカバーする賃上げができないということであれば、それは、
・資源価格高騰をきっかけとした企業のコスト増を、従業員の生活水準の切り下げによって吸収する。
・物価上昇による「労働力の再生産費用」の上昇に対し、企業が正当な対価を支払わない。

ということを意味します。企業は、従業員の生活防衛、および労働力の適正取引という両面から、物価上昇をカバーする賃上げを行う社会的・経済的責任があると言えます。

*もちろん、企業業績が極度に悪化し、一時帰休など雇用調整も実施されているような状況では、物価上昇をカバーする賃上げを行うことは困難かもしれません。しかしながら2022年12月調査の日銀短観(日本銀行「全国企業短期経済観測調査」)によれば、2022年度の経常利益は、おおむねコロナ禍前の2018年度、2019年度を上回ることが予測されています。会社として、本当に従業員の生活防衛と労働力の適正取引という責任を放棄しなくてはならない状況に追い込まれているのかどうか、労使で適切に判断していくことが重要です。もし仮に、労使とも「賃上げが利益に影響を与えてはならない」という前提に縛られているのであれば、生活防衛と利益確保とのバランス感覚を取り戻す必要があります。バリューチェーンにおける公正取引を確立し、コスト増の適正な価格転嫁を行っていくことがきわめて重要な課題であることは言うまでもありませんが、価格転嫁できないことを、賃上げできない理由にすべきではありません。

*なお、2023年の賃上げで実質賃金を回復できない場合には、たとえば2024年のベースアップを通常よりも上乗せする、といった対応もあってしかるべきです。経団連『経営労働政策特別委員会報告』でも、「収益状況がコロナ禍前の水準を十分回復していない企業」に対し、「できる限りの対応」、「複数年度にわたる賃金引上げ」などを求めています。

*実質賃金、実質可処分所得の低下は、実質消費支出の減少に結び付き、企業にとって、売上高は維持できても、販売数量が維持できない、ということになりかねません。仮に売上高人件費比率を15%とすると、3%のベースアップは売上高の0.45%ということになりますが、日本全体で物価上昇をカバーする賃上げを行い、売上高のコンマ以下の割合の負担増で販売数量を維持することができるとすれば、これは企業にとって合理的な判断と言えるのではないでしょうか。

(3) ベースアップだけでなく、定期昇給(相当分)込みの賃上げで、物価上昇をカバーしてはどうか。

*定期昇給や、定期昇給相当分(賃金構造維持分、賃金カーブ維持分)は、
・職務遂行能力の向上を賃金に反映させる習熟昇給。
であるとともに、
・従業員の年齢の上昇に伴う、教育費など生計費の増加を賄うもの。
です。従って、たとえば現行で30歳30万円、31歳30万6,000円の賃金水準だとすると、それがその会社として従業員に提供する、
・30歳、31歳それぞれの職務遂行能力に見合った、
かつ、
・30歳、31歳それぞれに必要な生計費を踏まえた、
購買力ということになります。

*30歳の従業員が31歳になった時に3%の物価上昇があると、31歳の賃金は31万5,180円(30万6,000円×1.03)ないと購買力が目減りしてしまいますので、30歳→31歳の定期昇給6,000円に加え、9,180円のベースアップが必要となります。
*もし仮に、定期昇給とベースアップを合わせて3%の賃金上昇に止まるとすると、30万9,000円(30万円×1.03)にしかなりませんので、31歳として必要な31万5,180円に対し、6,180円不足することになり、その分、生活水準が低下することになるわけです。

(4) 物価上昇をカバーする賃上げということであれば、物価上昇率がマイナスとなった時には、賃下げということにならざるをえないのではないか。

*物価上昇率がプラスになることもあれば、マイナスになることもあるというような状況では、物価上昇率を賃上げ根拠にすると、「では、物価が下がった時は賃下げですね」ということになってしまいます。労働組合として、人員整理の次に避けたいのが賃下げですから、消費者物価上昇率を賃上げ根拠に挙げにくい状況が続いてきたわけです。しかしながら、物価情勢は様変わりしています。「物価上昇率がマイナスになったら賃下げ」という「デフレマインド」的発想こそ、払拭しなければなりません。

*本来、消費者物価上昇率が年単位でマイナスになるというのは異例なことです。たとえば、日本を除く主要先進国プラス韓国の7カ国について、最近50年間における年ごとの消費者物価上昇率を見てみると、イタリアで2回、米国とドイツで1回ずつあるだけです。50年間×7カ国の計350年間のうち、消費者物価上昇率がマイナスになったのは4回、まさに「100年に1度」と言ってもよいほどで、物価上昇率がマイナスになるということがいかに異例なことかわかります。

*日本は50年間のうち12回(暦年)ですが、これはすべてバブル崩壊以降であり、主に日銀の速水、白川両総裁の下での、デフレ誘導型の特異な金融政策によるものです。黒田現総裁が交代し、金融引き締めが強化される可能性はありますが、デフレ政策に戻ることはない、と考えてよいと思いますので、「物価上昇率がマイナスになったら」を想定する必要はありません。「物価上昇率がマイナスになったら賃下げしなくてはならない」という理由で賃上げを抑制することこそが、デフレを根絶しようとする金融政策の足を引っ張っていることを認識する必要があります。

*実際、ニッセイ基礎研の「中期経済見通し(2022~2032年度)」(2022年10月発表)を見ても、内閣府の「中長期の経済財政に関する試算」(2023年1月発表)による2032年度までの見通しを見ても、消費者物価上昇率がマイナスになるという事態は、まったく想定されていません。急激かつ大規模なコストプッシュインフレが発生したわけですから、コストプッシュ要因が収束すれば物価水準は下落する、と考えてもおかしくないのですが、そんな予測はありません。

*日銀短観では、消費者物価上昇率に関する企業の見通しを調査していますが、平均的には、2022年12月の調査で、1年後には2.7%、3年後には2.2%、5年後には2.0%の上昇率が見込まれています。上昇率は「鈍化」する見通しですが、物価水準が「下落」するわけではありません。企業の割合を見ても、「-1%程度」以下と見ている企業はコンマ以下しか存在せず、「0%程度」を含めても10%程度にすぎません。企業の見方としても、もうデフレ経済には戻らない、というのがコンセンサスになっています。マイナスの物価上昇率を想定していないのに、賃上げ交渉において、「物価上昇率がマイナスになったら」という仮定を持ち出すべきではないと思います。

*物価上昇は継続的なものであり、もし仮に物価下落があったとしても、それは例外的、短期的なものです。継続的な物価上昇にはベースアップで対応する必要がありますが、例外的、短期的な物価下落に対しては、
・所定外労働時間が減少して、自動的に人件費が圧縮される。
・業績の悪化に伴い一時金が抑制され、人件費が圧縮される。
ということで、企業は対処することができます。賃下げを検討する必要はありません。


*ちなみに、「賃金の下方硬直性」という言葉がありますが、日本では、所定外賃金の割合、一時金の割合が高いために、人件費はきわめて柔軟であり、「賃金の下方硬直性」という言葉は通用しません。「賃金の下方硬直性」があれば、不況期には労働分配率が上昇するはずですが、日本では必ずしもそうなっておらず、不況期でも労働分配率が低下することがあります。景気が悪化した時に、景気悪化の度合いよりも人件費の減少のほうが大きい、ということになります。

*たとえ物価が上昇した時は賃上げ、下落した時は賃下げ、と労使で合意したとしても、物価下落より物価上昇のほうが圧倒的に多いわけですから、賃下げを恐れて賃上げしないよりも、ずっとまし、ということになります。

(5) 物価上昇による賃金の目減りを回復させるために、(賃上げではなく)「インフレ手当」を別途支給することで対処してはどうか。

*インフレ手当が注目を浴びています。
・4月の賃金改定までの間、賃金の目減り分を臨時手当として支給する。
・物価水準が一時的に上昇したが、短期間で下落し、元の水準に戻ったので、その間の目減り分を補填する。
というのであれば、臨時のインフレ手当で物価上昇に対応することは可能です。しかしながら、継続的な物価上昇が見込まれている場合、賃金の目減り分がどんどん累積していくことになりますので、将来にわたってインフレ手当で対応するというのは現実的ではありません。

*たとえば、基本賃金30万円で3%の物価上昇があったら、目減り分は9,000円となりますが、
・1年間だけ物価が上昇し、そのあと下落して元の物価水準に戻るのであれば、月額9,000円をインフレ手当として、1年間分支給すればよい。
のですが、
・3%の物価上昇は1年間だけで、そのあとは仮に物価が上昇しなかったとしても、物価が元の水準に下落しない限り、月額9,000円のインフレ手当を支払い続ける必要がある。
・3%の物価上昇が仮に5年間続いたとしたら、5年後のインフレ手当は、月額約48,000円にしないと、基本賃金30万円の目減りを補填できない。インフレ手当の割合が大きすぎて、賃金体系が歪んだものになってしまう。
ということになります。継続的な物価上昇に対して、インフレ手当で対応し続けることは不可能です。

*ただし、注意しなくてはいけないのは、たとえば現行で5,000円の何らかの手当が、3%の物価上昇で目減りしてしまうので、5,150円に増額する、というのは、必要な対応であり、インフレ手当と混同してはなりません。

(6) 物価上昇による賃金の目減りを回復させるために、(賃上げではなく)一時金の特別加算で対処してはどうか。

*一時金の特別加算の場合も、まったく同様です。
・4月の賃金改定までの間、賃金の目減り分を一時金の特別加算で支給する。
・物価水準が一時的に上昇したが、短期間で下落し、もとの水準に戻ったので、その間の目減り分を補填する。
というのであれば、一時金の特別加算で物価上昇に対応することは可能です。しかしながら、継続的な物価上昇が見込まれている場合、賃金の目減り分がどんどん累積していくことになりますので、将来にわたって一時金の特別加算で対応するというのは現実的ではありません。

*たとえば、基本賃金30万円で3%の物価上昇があったら、目減り分は9,000円となりますが、
・1年間だけ物価が上昇し、そのあと下落して元の物価水準に戻るのであれば、月額9,000円×12か月=108,000円を一時金の特別加算として支給すればよい。
のですが、
・3%の物価上昇は1年間だけで、そのあとは仮に物価が上昇しなかったとしても、物価が元の水準に下落しない以上は、年間108,000円の一時金の特別加算を支払い続ける必要がある。
・3%の物価上昇が仮に5年間続いたとしたら、5年後には、特別加算を57万円以上(月額約48,000円×12か月)にしないと、基本賃金30万円の目減りを補填できない。会社にとっては一時金の固定部分が増大するリスクが生じ、従業員にとっては変動部分が削られてしまう可能性というリスクが生じる。
ということになります。継続的な物価上昇に対して、一時金の特別加算で対応し続けることは不可能です。

*ただし、注意しなくてはいけないのは、たとえば現行で100万円の一時金が、3%の物価上昇で目減りしてしまうので、103万円に増額する、というのは、必要な対応であり、一時金の特別加算と混同してはなりません。

(7) 賃上げは、子育て世代である若年世代を中心に配分してはどうか。

*ベースアップはもともと従業員一律というわけではなく、労使で配分交渉を行うのが普通です。しかしながら、物価上昇を反映したベースアップについては、従業員の生活防衛という観点から、一律的な配分が望ましいと言えます。

*消費者物価上昇率を世帯主の年齢層別に見ると、2022暦年の上昇率は、全年齢平均が2.5%なのに対し、「29歳以下」が2.0%、30代が2.2%、40代が2.2%、50代が2.2%となっていますので、物価上昇への対応という点では、とくに若年世代に重点的に配分すべき理由はないように思われます。また、
・中高年世代も「子育て世代」であり、重い教育費負担を負っていること。
・1990年代後半以降、中高年世代の賃金水準が引き下げられてきたこと。
にとくに留意する必要があります。

(8) 物価上昇をカバーする賃上げを行うと、物価上昇を加速させるのではないか。

*物価上昇をカバーする賃上げを行った場合、それが企業にとってコスト増となり、コストプッシュインフレを加速させるのではないか、という主張があるかもしれません。
 しかしながら、物価上昇をカバーする賃上げは物価の「後追い」をしているだけであり、物価上昇を加速させることにはなりません。

*海外の資源価格が高騰し、企業にとってコスト増となり、販売価格が引き上げられ、物価が上昇しているというのが今回のメカニズムです。多くの企業が値上げしているはずですが、
・値上げによって売上高が増加した企業では、物価上昇をカバーするベースアップを行っても、売上高人件費比率は変わらなかったり、むしろ低下したりするので、新たな価格引き上げ要因とはならず、物価上昇を加速させることにはならない。
・値上げをしても売上高が増えない、あるいは減少してしまった企業では、ベースアップで売上高人件費比率は上昇するものの、値上げが市場に受け入れられていないので、これ以上の値上げは困難で、やはり物価上昇にはつながりにくい。
と言えます。後者の場合、人件費増は企業の利益の減少で賄うことになりますので、それを避ける口実として、「物価上昇を加速させる」という主張が行われないようにする必要があります。

*20世紀を代表する経済学者ミルトン・フリードマンも、
「労働の生産性を上回る賃金の上昇はインフレの結果ではあるが、その原因ではない」
と指摘しています。

(このレポートは、お知らせなく内容の補強を行うことがあります)

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