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(浅井茂利著作集)ふたたび「多様な正社員モデル」について考える

株式会社労働開発研究会『労働と経済』
NO.1571(2013年10月25日)掲載
金属労協政策企画局次長 浅井茂利

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 前々回(8月25日号)の本欄では、政府の「日本再興戦略」で打ち出された「多様な正社員モデル」の本質が、
*解雇権濫用法理や整理解雇4要件の適用を除外・緩和した無期雇用制度
*有期雇用における契約期間と更新の上限撤廃、雇止め法理の適用除外
であることを紹介しました。
 「多様な正社員モデル」については、現在、厚生労働省の「多様な正社員の普及・拡大のための有識者懇談会」で検討が進められていますが、本稿執筆時点では詳細が明らかでないので、今回は、規制改革会議の雇用ワーキング・グループ(以下、WG)の議論を振り返ることにより、論点を整理してみたいと思います。

ジョブ型正社員拡大のロジック

 日本再興戦略では、「多様な正社員モデル」という表現になっていますが、WGが2013年5月にとりまとめた報告書では、従来型の正社員を勤務地、職務、労働時間が限定されていない「無限定正社員」と位置づけた上で、勤務地、職務、労働時間のいずれかが限定された正社員を「ジョブ型正社員」と定義し、次のような理由により、その拡大を主張しています。
①金融政策と賃金上昇がデフレ脱却の両輪だが、「失われた20年」の中で、企業は雇用維持に力点を置く一方、賃金の抑制・低下、非正規雇用の活用に頼りすぎた。偏りすぎた雇用調整のバランスを取り戻し、賃金上昇を図るためには、雇用の柔軟性を高める政策が必要である。
②正社員を希望する不本意型非正規社員が、転勤や残業が強制される無限定な働き方を望んでいるとは限らない。ジョブ型正社員の普及・定着により、有期雇用から無期雇用への転換を容易にする。
③ファミリーフレンドリーでワーク・ライフ・バランスが達成できる働き方を促進する。
④女性が家庭の家事を支えるという考え方がある中で、ジョブ型正社員制度の普及により、女性の労働参加や活躍の場の広がりが期待できる。
⑤子育て期にはジョブ型になり、その後、また無限定型に戻るなど、無限定型とジョブ型を相互に移動できればキャリアの継続が期待できる。
⑥職務限定型正社員の場合、自分のキャリア・強み・価値を明確化することで、転職可能性が高まる。
 ①については、あとで詳しく説明しますが、そのほかの点については、
*労働時間無限定というような働き方が放置されていることがおかしい。従来型の正社員であっても、ファミリーフレンドリーな働き方、ワーク・ライフ・バランスが達成されなくてはならない。
*ジョブ型正社員でも、労働時間限定型でなければ、ワーク・ライフ・バランスを確保できない恐れがある。
*女性はジョブ型正社員、非正規から転換する場合はジョブ型正社員、といった固定観念を生むのではないか。
*職務限定型正社員だから、自分のキャリア・強み・価値を明確化できるというわけではないし、従来型の正社員だから明確化できないというわけでもない。
*従業員は、自分の職務をなくすような仕事をしなければならないこともある。職務限定型正社員では、そのモチベーションを維持できない。雇用の安定なしに、従業員が変化に積極的に対応することは不可能であり、きわめて保守的な仕事の進め方になってしまう。
*生産性向上で過剰人員が生じても、配置転換により、失業を防止するとした「生産性三原則」とは相容れない。
といった問題点があると思います。

賃上げと、雇用の柔軟性

 理由①の賃上げと雇用の柔軟性の問題については、鶴光太郎座長(慶応義塾大学大学院教授)が、WGの会合で次のような説明をされています。
①デフレ脱却のためには、金融政策とともに、賃金上昇が必要である。
②安倍政権は産業界に賃金上昇を要請しているが、企業の状況は厳しく、無理やり賃金をどんどん上げていったらいいというわけではない。
③「失われた20年」における雇用情勢を考えると、あまりにも価格調整、賃金を低く抑えて雇用を守るところに行き過ぎた。名目賃金の硬直性が失われ、春闘は形骸化した。
④雇用と賃金のバランスを取り戻すべきであり、賃金を上げるなら、雇用の柔軟性を図ることが必要である。
⑤具体的には、企業から人を動かす正社員改革である。労働市場の二極化、正社員と非正社員の格差の問題も、正社員改革で人を動かさなければ、抜本的な解決は非常に難しい。
⑥無限定正社員を地域・職務で限定化していくことが、改革の突破口になる。
 座長の認識では、企業の状況が厳しく、現状のままでは賃金を上げられないということですが、その根拠が何も示されていません。国際的な賃金比較、労働分配率の動向、企業の財務状況などからすれば、日本全体として、賃上げの余地は十分にあるのではないかと思われます(賃金の国際比較については、次号で紹介する予定です)。
 賃上げのための雇用の柔軟化という理屈は、一見、ロジックとしては成り立っていて、賛否は価値観の問題であるがのように思いがちですが、実はロジックとしても問題があります。

賃上げと、雇用の柔軟性

 成長成果に見合った適正な賃上げを実現するためには、労使の「交渉上の地歩」の対等性が不可欠です。長期のデフレと新興国の台頭が、労働側の交渉力にマイナスの影響を与えてきました。しかしながら、ようやくデフレから脱却しつつあり、また、人件費削減では強い競争力を確保できない、という認識が復活しつつあるように思われます。労働側の交渉力を損なっていた要因が、解消されつつあるのです。しかしながら、ジョブ型正社員の解雇が容易になれば、労働側の交渉力は再び低下し、賃上げにも悪影響を与えることになりかねません。
 非正規労働者がジョブ型正社員に転換すれば、賃金増になるかもしれません。しかしながら一方で、従来型の正社員がジョブ型に転換する、ジョブ型に置き換えられていくということになれば、日本全体としての賃金水準は、低下する可能性が大きいと思われます。賃金を引き上げるためのジョブ型正社員拡大というロジックには、無理があります。
 また、もし雇用を柔軟化するのであれば、まずは賃金の「硬直性」を確保しなくてはなりません。報告書や鶴座長も指摘していますが、「失われた20年」の間に賃金水準が低下するとともに、わが国では所定外賃金と一時金の比率が高いため、景気による人件費の変動、とくに不況時の人件費の低下がきわめて大きくなっています。
 まず、賃金が低下してきた分の回復が大前提であり、その上で、雇用を柔軟化するのであれば、一時金を月例賃金に組み入れるとか、無限定正社員も含めたすべての勤労者の所定外労働を厳しく制限するとかによって、「賃金の下方硬直性」を構築する必要があります。
 賃金は柔軟で雇用を維持するか、賃金は硬直的で雇用を柔軟にするかという選択ならば、まさに価値観の問題です。しかしながら、賃金が柔軟なままで雇用も柔軟にするというのは、フェアな取引とは言えないでしょう。

具体的な解雇規制緩和

 ジョブ型正社員のような仕組みは、すでに多くの企業で導入されています。導入を阻害する制度的な不都合が、あるわけではありません。WGが意図しているのは、ジョブ型正社員で解雇規制を緩和し、かつ、その基準を明確にしようということです。
 WGの報告書では、既存のジョブ型正社員制度では、事業所閉鎖や業務縮小の際の人事上の取り扱いが、通常の正社員と同じ場合が多いので、新しい勤務地限定型、職務限定型の正社員については、就業規則の解雇事由に、「就業の場所及び従事すべき業務が消失したこと」を追加するよう提案しています。その上で、ジョブ型正社員にも解雇権濫用法理、整理解雇4要件は適用されるものの、「勤務地・職務が限定されている点を考慮し、無限定正社員とは異なる」こと、具体的には、解雇回避努力や解雇する人選の合理性を求められることなしに解雇ができるよう、法律や解釈通達で明確化することを求めています。
 職場や仕事がある間の雇用ということになりますので、もはや「期間の定めのない雇用」というよりは、「解除条件つきの雇用」というべきです。

能力不足を理由とした解雇

 解雇規制の緩和は、事業所の縮小や閉鎖、業務の縮小や業態転換の場合だけではありません。WG報告書では、従業員の能力や適格性の低下・喪失を理由とする解雇の場合、従来型の正社員については、従事していた職務の遂行能力ではなく、会社の中で従事可能な職務があるかどうかが問題となるのに対し、職務限定型正社員は、限定された職務を遂行する能力があるかどうかが問題となる、としています。
 能力と成果はまったく別のものですが、往々にして、成果が能力の評価基準となっています。しかしながら、従業員個々人の能力だけで、成果が得られるわけではありません。経営環境をはじめ上司の指導、職場の人間関係、教育訓練など、様々な要因が個人の成果に作用します。それなのに、個々の従業員に全責任を負わせ、成果があがらなければ環境を変えることもなく解雇するというのは、無理があるのではないでしょうか。
 人間を解雇するという行為の重さと、労働契約で勤務地や職務を限定した重さ、このふたつを比較衡量した場合、ジョブ型正社員であっても、従来型の正社員と同様の保護が行われてしかるべきです。
 ちなみに、WGの報告書では、従来型の正社員とジョブ型正社員の壁を低くし、本人の意思を前提に、相互転換を円滑にすることが提案されています。本当に壁が低ければ、解雇されそうになったら、本人の意思で従来型の正社員に転換すればよいということになります。現実的な話ではありませんが、少なくとも、勤務地や職務を変更する選択肢は、与えられることが不可欠です。

賃金水準の問題

 WGの報告書では、「無限定正社員とジョブ型正社員との均衡処遇」を打ち出しています。この場合の均衡処遇は従来型の正社員を限定化していくわけですから、「労働者の職務の内容及び配置の変更その他の事情を考慮」した均衡処遇は、ジョブ型正社員の賃金引き下げを意味します。また、勤務地と職務を二重に限定された正社員の賃金水準も懸念されます。個々人としては、従来型正社員からジョブ型への転換を拒否できるとしても、徐々に従来型からジョブ型への置き換えが進めば、日本全体の賃金水準が低下し、アベノミクスのめざすところとはまったく逆となってしまいます。
 ジョブ型正社員という考え方自体が悪いのではなく、所定労働時間の短い短時間正社員などの仕組みは、今後重要となってくるでしょう。しかしながら、解雇規制の緩和や賃金引き下げがセットになったジョブ型正社員は、「名ばかり正社員」となりかねません。
 日本のものづくり産業では、現場の従業員が技術や技能、ノウハウや知恵を継承・育成し、それを活用し、創意工夫を重ね、様々な環境変化、技術変化に積極的に対応してきました。ジョブ型正社員をはじめとする雇用の柔軟化は、日本のものづくり産業の強みである「現場力」に打撃を与えることになるでしょう。

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