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人間として/スタンダード/って感じ
「あなたは人間としてスタンダードって感じだね」
職場の同僚から突然こんなことを言われた
意図も意味も理解できない
思考回路を停止させるウイルスの様な言葉
脳細胞を破壊する呪文なのか?
脳細胞を破壊された私は少しこの文章について考えてみたいと思った。
人間として/スタンダード/って感じ
抽象的とかのレベルではない
この言葉の直訳が「あなたは普通です。」だった場合、この後の一連の考察は無駄になる。
大体、「あなたは普通です。」なんてことは直接伝える必要がない
※「自分を特別だと思うなよ」と釘を刺す様なニュアンスで用いられることはあるのかもしれない
少なくとも何かを伝えたいことは明確であったし、伝えられる側も理解しようとする努力は必要だ。
それにこの類の考察は暇潰しになる。
少し考えてみたが、抽象的な表現であるため解釈が無限にある
なので、いくつか解釈の例を挙げてみて優秀賞を決めようと思う。
この際、真実はどうでも良い
いくつか列挙した解釈を同僚に見せて正解を聞いても良いが、それは人間としてスタンダードではなさそうだ
①人格者である。
「人間としてスタンダード」という抽象的な言葉を抽象的に解釈してミキサーで混ぜるとこうなる。
スタンダードという言葉を、「基準」という日本語に訳し、基準になる人→しっかりした人→人格者 といった具合だ。
折り紙をテキトーに折る→なんだか犬の形に見えてきた→初めから折り紙で犬を作っていることにしてしまおう ぐらいテキトーに
②中立的な立ち位置の人
スタンダードを「標準」と訳し、標準って偏りがないよね みたいなニュアンスで
職場の派閥的なものに属さないタイプだよね。
の様な、解釈もできなくはない。
③マウンティングをする人
①②の人間は「一般的な人」や単に「人」として解釈していたが、③の人間は「動物」として解釈する。
マウンティングは、人間(動物)の進化の過程で集団から排斥されないため、また自分のテリトリーを守るために必要としてきた行為である。
弱ければつがいは得られず、故に子孫も得られない。弱ければ、強くなるか、強く見せるしかない。
プライドが高く、職場で不必要なマウンティングを取り、自己肯定感を高めている人。
特定の集団から排斥されないよう、自分が弱いことを隠し、見栄を張る人。
こういった行為はまさに「人間」らしいと解釈できるのではないだろうか。
そして、溢れんばかりの皮肉と敬意を込めてこう伝える
「人間としてスタンダードですね。」
この中だと個人的に③が好きなので、優秀賞は③とし、同僚は私のことを③と認識していると暫定的に決定する。