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佛立法門学

おはようございます。

明日から大寒波の予報。電気代も燃料費も高騰しています。身体もお家も防寒対策をして乗り越えましょう。

暑さも寒さも激甚化。重たい雪が積もれば大災害になります。備えましょう。

南関東は雪はなくても寒さと強風が襲来します。どうか、お気をつけてお過ごしください。

さて、御法門の話。昨日の朝、得度したばかりの長松清桜師が兄弟子の指導をいただいて第二座で御法門を説きました。大丈夫かな。こんなに早く御法門当番?ひとまず教務部の指導に任せました。

初々しくてお参詣の皆さまには喜んでいただいたようですが、朝礼では厳しくお折伏、ダメ出し、指導しました。

私が考える「佛立法門学」は御教歌の解題や解説は当然で、それ以上に教務のご奉公姿勢そのものを表す全てと捉えます。

内容はもちろんのことですが、御法門する姿勢、声、速度、トーン、その目線、全身から放たれる力、色、光、全てを見て、佛立法門学として習得、修行せよ、と伝えています。

お参詣の皆さまから褒めていただいたようですが、昨日の新発意の御法門は20点にも達しない。

「メラビアンの法則」ではありませんが、コミュニケーションは文章の読み上げでは成立しません。彼らは「言語情報7%」「聴覚情報38%」「視覚情報55%」と言う。別名「3Vの法則」「7-38-55ルール」。

御法門とは、説く者の存在と発する空気、五感、すべて。つまり信心が表れる、信心そのもの。伝えたい、救いたい、という慈悲そのもの。

説き誤りなく、仏祖の御本意を学び、お伝えすることは極めて重要なことで、これを外して御法門はありません。

しかし、それだけでは「法門学」は「御教歌学」になってしまう。非言語コミュニケーションの重要性を外して御法門を学ぶことはできません。

つまり、昨日の御法門は寒参詣の御法門なので御導師方が謹製されたものを拝読させていただくものでしたが、力のない読み上げ、足りない声、頼りない姿勢、早すぎる話し方、うつろな視線、などなどを挙げて、7点。

最初はこれでいい。ここから磨いていくこと、ここから修行して、修行して、御法のお役に立つように修練してゆけば、必ずものになる。

道は果てしなく遠いのです。志と目標を、高く持つから修行になるのです。

最初がこれでよかった。佛立法門学の本質を学んで、弘通家になってもらいたい。

午後、妙深寺の無料「てらこや」では、東大生の須山くん、ニューヨーク大学の清桜師が先生役をしてくれて、すごく充実していました。もっともっと、子どもたちの成長にも役立ちたいですね。チリン君にも日本語講座。

ありがとうございます。

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