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803回目のお誕生日の門祖会

2025年、令和7年2月16日、お祖師さまの803回目のお誕生日に、妙深寺は歴史的な御会式を奉修させていただきました。

まず、妙深寺はこの春の御会式、この門祖会から、令和13年、2031年にお迎えする高祖日蓮大士750回御遠諱に向かって6年間の本格的なご奉公を開始します。とてもとても大切な節目、スタートラインです。

今回、小野山日鷲御導師にご唱導いただき、祖父・大僧正日峰上人や祖母・小千代からのご縁とご恩を痛感し、万感の想いでご教導を頂戴いたしました。見えない力に導かれるかのように小野山淳鷲師とご奉公させていただくようになりました。もう20年も前のことになります。

妙不可思議で、考えられないほど膨大なご因縁が集積されています。両祖父母、先住に心から感謝し、今生人界、小野山日鷲御導師や奥さまにいつかしっかり御礼をさせていただかなくてはならないと思ってきました。それが昨日叶いました。

本当にありがたく、御導師の御法門を心の奥深くへ刻むように聴聞させていただきました。しかも、御導師の御法門は第一座目の私の御法門をご相談していたかのように完全にシンクロニシティしていました。初めてのことで過去にはありません。本当にありがたいです。

そして、昨日の門祖会第二座で兼子清顕師を妙深寺の副住職に任命し、ご講有からの辞令を下附いたしました。兼子清顕師は青山学院大学を卒業し、在家から決定して出家得度した筋金入りの佛立教務です。

実はぴったり20年前の2005年3月、大学生だった。彼はスマトラ沖地震・津波の支援活動でスリランカに行きました。そのスリランカで小野山淳鷲師と一緒に支援活動していました。

さらに2005年4月、彼と一緒にアメリカを横断しました。松本現薫師、小泉博さんと共に、中田さんが経営されていたロサンゼルス在住の日本人向けラジオ局の番組収録でした。ロサンゼルスからニューヨークのグランドゼロまでを走り抜けた珍道中でした。この時から私はブログをスタートしました。そうブログは丸20年分あります。

妙深寺には彼の先輩もたくさんいるのですが、とにかく兼子清顕師に副住職としてご奉公してもらいたいと思いました。私の足りないところを補い、私にイザという時が来ても妙深寺を断固として魂ごと守り抜いてくれると確信しています。

私の個人的な感覚ですが、すでに数百年に一度、いや千年に一度、いやそれ以上の恐るべき大転換期を迎えています。人の心も、性格も、生活も、この数年で圧倒的に変化します。

お寺の中も岩盤層のような方々がいなくなっています。因循頑固、旧態依然の感覚では問題がどこにあるのかも分からず、手も打てません。そのままではお寺が潰れます。なかなかお寺は潰れませんが少なくとも佛立らしいお寺ではなくなります。他宗のお寺と大差ないお寺になります。

佛立魂と開化第一。このシンプルなアイデンティティが大事。それ以外に立脚していたら必ず外します。外したらお寺が潰れる仏説「油断」のような状況です。今こそみんなで奮闘しなくてはなりません。

そんな決意や決断、何十年もかけた思い、何十年も絡まった思いを全て込めた妙深寺の春の御会式、門祖会でした。ここが大きなターニングポイント、節目であり出発点です。今生人界のターニングポイントにします。

小野山日鷲御導師、小野山淳鷲ご住職、奥さま、ご家族、高松妙泉寺、丸亀本門寺、琴平別院、それぞれの教講一同みなさまに伏して御礼申し上げます。ありがとうございました。

重ねて、相模原妙現寺の鈴江昭薫ご住職、大和法深寺の清水清康ご住職、並びに団参いただきました皆さま、ありがとうございました。

そして、何よりも妙深寺のみなさま、お参詣いただいたみなさま、ご奉公いただいた皆皆さま、本当に、本当に、ありがとうございました。さらに、さらに、本物の佛立信行、信心修行、菩薩行が出来るように、精進いたしましょう。新しい時代の生きたお寺はさらにその存在価値を高めます。

803回目のお祖師さまのお誕生日。

法華経本門八品限定、本化の菩薩方の最上首、上行菩薩の後身、高祖日蓮大菩薩が久遠本仏とのお約束の通りに末法悪世にご出現されたことを意味します。特別な特別な2月16日でした。

今は野崎清翔師と車で京都へ移動しています。京都佛立ミュージアムの展示準備がスタートします。

ありがとうございます。

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