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母校・成城学園を愛した世界的指揮者、小澤征爾さんを偲ぶ

 2024年2月に88歳で逝去した世界的指揮者、小澤征爾さんは中学1年生から高校1年生までを過ごし、その後も生涯にわたって成城学園にご支援・ご協力を賜りました。成城学園広報誌「sful成城だより」のニュース欄にご登場いただいたこともありました。今回の「sful取材ノートより」では、哀悼の意を捧げるとともに、4月14日に行われたお別れの会についてもお伝えいたします。

祭壇の写真© Shintaro Shiratori

成城学園で音楽人生がスタート

 4月14日、成城学園の講堂には、美しい合唱や管弦楽の調べが響きました。この日行われた小澤征爾氏お別れの会では1300名以上の学園関係者や地域の人々が献花を捧げました。
 祭壇に飾られたのは、音楽の波紋や広がりをテーマにデザインされた約1万本の胡蝶蘭やバラ。花々に彩られた会場では、小澤さんが中学時代に同級生と結成して初めて指揮に挑戦した合唱団「城の音」を初め、ゆかりの深い音楽家たちが演奏し、厳かながらも和やかなムードに包まれました。

 小澤さんが成城中学校に入学したのは、1949年。当時、「男がピアノをやるなんて軟弱というような時代の雰囲気だったが、成城はそんなところが全然なく、自由だった。ここから、僕の音楽人生が始まった」と語っていたという小澤さん。個々の個性を重んじる大らかな校風を愛した小澤さんにとって、成城学園で学んだ3年間は、人生の中でも特に楽しい時間だったようです。

卒業後も母校の後輩たちと交流

 音楽家になるために成城学園に入学したものの、中学生の時にラグビー部に入部。ハードな練習に明け暮れていたある日、指を怪我し、ピアニストになる夢を断念。後に、そんな悲しい出来事さえも楽しい思い出だと振り返っています。また、ピアノから指揮者への転向時には、先生や級友、ラグビー部の仲間たちから「やりたいならやったらいいと、成城学園らしいポジティブな声で励まされた」とも。
 音楽を学ぶために高校在学中に転校し、その後世界を舞台に活躍するようになってからも、折りに触れて成城学園を訪れていた小澤さん。かつて属したラグビー部の練習にも顔を出して、「頑張ったな」「最高だよ」と選手を大声でねぎらい、激励することもあったそうです。また、近年では芸術や文化の支援者に贈られるモンブラン国際文化賞の受賞時に、初等学校合唱部が歌のお祝いに駆けつけたことも話題になりました。

音楽を通じて学生たちと心通わせた

 お別れ会では、成城学園卒業生の小澤さんの長男、征悦さんが挨拶。「教室によくふらりと遊びにきていた父が、子供たちに『ド』『ミ』『ソ』と同時に歌わせて和音のハーモニーをつくり、『これが音楽なんだ』と教えてくれた」と、子供たちとの温かな交流のあった小澤さんのエピソードが披露されました。
 2017年には、成城大学名誉博士の第一号を授与された小澤さん。一人ひとりの個性を大事にする成城学園のスピリットに深く共感し、成城の子供たちに音楽を通じて学園生活の楽しさを伝えてきた小澤さんの意思は、時を超えて受け継がれていくことでしょう。

文=sful取材チーム 写真=三宅菜央、成城学園
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