丑の刻参りのわら人形はなぜ呪いに「効く」のか
呪術とは「超自然的な力を利用して、自らの願望を達成しようとする行為」です。呪いもその一つであり、「呪術的な作用によって、意図的に誰かを攻撃すること」と定義することができます。
人類学者のフレイザーは、呪術を「類感呪術」と「感染呪術」の二つに大別しました。類感呪術とは、「類似の原理(似たもの同士は互いに影響し合う)」に基づく呪術であり、感染呪術とは、「接触の原理(一度接触したもの同士は、離れた後も互いに作用し合う)」に基づく呪術です。
この二つの原理によって効力を発揮する一例が、「丑の刻参り」のわら人形です。呪いたい相手に似せてわら人形を作り(類感呪術)、その中に相手の髪の毛や爪などを入れて、五寸釘を打つ(感染呪術)。そうすることで、呪いを発動させようとするわけです。
呪術を抜きにして人間は語れない
従来の研究では、自らが統御しきれない力を客体化して捉えるという呪術観が優勢でした。しかし最近は、呪術とは「人間の本性として具わった能力」だと考えられています。こうした動きは、文化人類学の変遷とも関連しています。かつて文化人類学は「異文化理解の学」だと考えられていました。大航海時代にヨーロッパ人がほかの大陸の人々と出会い、「我々が同じ人類だとしたら、その共通点と相違点は何か」と疑問を持ったことが、文化人類学の出発点となっているからです。しかし、異文化理解は文化人類学の一つの側面にすぎない。文化人類学の本義は、「人間はどのようなポテンシャルを持っているのか」を明らかにすることにあります。
このような観点から「呪術」を捉えたC・カスタネダの作品は、一読に値します。この作品には、自ら呪術師の弟子となり、呪術的観点というまったく新しいものの見方で世界を捉えるという、新鮮な経験が描かれています。
呪術的な思考や実践が、元々人間に具わっているとしたら、人間のポテンシャルはどこまで広がるのか。我々は常に合理的に行動するわけではなく、なんとなく腑に落ちないままさまざまなことを行い、日常生活を送っています。その典型が呪術だとしたら、呪術を抜きにして人間という存在を考えることはできない。そこに呪術研究の意義もあると、私は考えています。
この記事は『sful成城だより』vol.18 から転載しています。
sful最新号はこちら