Mくんの「ありがと」
先日、交通安全教室を開催しました。横断歩道の渡り方、信号機の見方などを教員の手作り信号機を使いながら実際に練習しました。
成城幼稚園では、降園の時に、出入り口のところに守衛さんか園長が立っています。門から緩やかな階段を下って、仙川沿いの細い道に出る場所です。安全教室ではその時の危険についても話をしました。
「園長先生の立っている場所でいったん立ち止まるのはなぜかな」と担当の教員が問いかけると「自転車とぶつかるから~」などという答えが返ってきます。細い道ですから自動車は来ないのですが、自転車はかなりのスピードで走ってきます。たいがいの園児たちはちゃんと立ち止まって、保護者と手をつなぎ「さようなら」の挨拶をしてくれます。でも中には先に出た友達が気になって飛び出そうとする子も当然いるわけです。下のお子さんをバギーに乗せている時などには、先に園児だけが階段を降りてきて、その場所で待たなくてはいけない。そういう時についつい道に出たくなってしまうのも無理はありません。「いったん止まってお迎えの方と手をつないでね」と確認をしました。
安全教室が終わり、園庭での遊びが始まった時のことです。庭に出るために私が靴を履き替えている後ろから、年中組のMくんがやってきました。「石井先生。いつもみんなを守ってくれてありがと」と言って通り過ぎていきました。「えぇ?」驚きました。
というのは、さっきの安全教室は、そういう流れでは全くなかったからです。担当の教員も、園長がいるところでは立ち止まるんだよ、という説明はしましたが、別に、園長はみんながケガをしないように毎日頑張っているんだよ、みたいなことは一切言っていません。
つまり、Mくんの頭はフル回転して「園長があそこに毎日いること」から、それは「自分たちを守ってくれていること」へと意味を変換、あるいは想像を巡らせたということなのでしょう。しかもMくんは極めてさりげなく、立ち止まることもなく、そう言って遊びに出ていきました。
お礼を言われた喜びももちろんあるのですが、あまりに自然なその言動に感動してしまいました。幼稚園児は何でもわかっているんだなぁ。
中高から幼稚園に異動してきて、個々の具体的な活動については、知らないことばかりで、日々ビックリさせられています。職員会議でも、常に「へー」とか「ほー」とか言って驚いているようで、最近は私が「へー」って言うと、また石井が「へー」って言ってるよという顔で、先生たちに笑われています。
でも一方で、中高生と幼稚園児、何も変わらないな。ということも感じます。もちろん知識の量は圧倒的に違います。園児は因数分解も大化の改新も知りません。でも、優しさや好奇心、善悪や好き嫌いの基準。そういう人としての基本的な感覚はすでに身に着けています。そしてそれは、よほどの大事件(戦争のような)でも味わわない限り、一生変わることのない、個人の基礎となる部分なのではないかと思うのです。
ですから、先のMくんの言葉を噛みしめてみると、やっぱりちゃんと感じる心を身に着けて成長しているんだなぁと、こちらが感謝したくなる気持ちになるわけです。あれから、もう数日たっていますから、きっと本人はそんなことを口走ったことすら忘れているでしょう。何の作意もない言葉だからこそ無限の価値がそこにはあります。
執筆:成城幼稚園園長 石井弘之
2024年6月19日掲載