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第33回 映画は成城で見る(とりあえずの最終回)
二年半に亘ってお読みいただいた本連載「成城映画だより」ですが、今回をもって第1シーズンを終了させていただきます。
思い起こせば、映画の中に成城の風景を見つける、すなわち「映画を成城で見る」という行為を本格的に始めたのは15年程前のこと。シネマヴェーラ渋谷や神保町シアターなどのミニシアターが、邦画の旧作を次々と上映するようになったのがきっかけでした。
幼少期より家業の関係で東宝映画を見続けてきた筆者にとって、本学に入学したばかりの74年5月に通学路で『青春の蹉跌』のロケ(ショーケンこと萩原健一と檀一雄の娘・檀ふみが出演)を目撃したことが、成城と映画の深い関係を意識するきっかけとなりました。
ロケ現場は、かつて俳優・宇津井健の家があったいちょう並木の北方、成城学園の正門を出て最初の交差点を右折したところ。残念ながらフィルムに筆者の姿は写っていませんでしたが、成城の街では、このように映画のロケが頻繁に行われていたのではないか、そうした気づきを得るには十分な体験でした。
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加山雄三の人気シリーズの一篇『ハワイの若大将』(63)が成城大学構内で撮られたことを知ったのは、池袋の文芸坐地下で行われたオールナイト上映の折。その後、〈ビデオの時代〉が到来。好きなときに繰り返し映画を見られる環境が整い、まず発見したのが『ニッポン無責任野郎』(62)で植木等が「無責任一代男」を歌う場面が、成城北口商店街で撮られていたことでした。よくよく見れば、今では高級スーパー「成城石井」となった石井食料品店(元は果物店)や、「成城学園前」の駅舎まで写っています。映画では、植木等は自由が丘駅で降りたはずなのに、歩き出すと、そこは成城の街になってしまうのです。
撮影所が成城にあった東宝が近場でロケしていることは、ある意味当然のことですが、調布に撮影所があった大映や日活の映画も、見れば見るほど成城の風景が出てきます。
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続いて衝撃を受けたのは、青柳信雄監督が撮った『サザエさん』(56)で磯野家が成城にある設定だったこと(桜新町ではありません!)。江利チエミがサザエさんに扮した本シリーズ(全10作)で見られる成城の風景は、お屋敷町なのに商店街が下町的で、実に意外でした。これらは、成城という街が持つアンビバレントな魅力を知るには最適の作品であり、初めて成城駅前に降り立った日に、石井食料品店の店構えがあまりに成城らしくなかった(ミカン箱の上に果物が陳列されていた)ことや、諸橋という甘味処が故郷・山形でも見られない田舎情緒を漂わせていたことが懐かしく思い起されます。居酒屋のこじまでは、ホッピーが飲めましたし、今は姿を消した南口の飲み屋街「しょん○○横丁」のも、千円もあれば死ぬほど(!)飲めて、「ここは新宿か?」と目を疑ったものです。
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宇津井健が経営していたレストラン・葡萄屋の斜め前には古色蒼然とした成城堂書店があり、洗練された店構えの凮月堂の前には、これまた前時代的な吉田書店がありました。もはや故郷・山形にも存在しないような趣の鈴木金物店や、明舟屋という昔ながらの煎餅店にもビックリ! 今や高級洋菓子店となったアルプスは、二階の喫茶室に上がるときにはギシギシという音がしましたし、南口駅前にあった銭湯・成城湯や、八丁目にあった宮野湯にも強いノスタルジーを覚えたものです。
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(右)2016年の成城堂書店。翌2017年に建物は解体された(撮影:神田亨)
1970年代の成城学園は、学内施設も実に味があるものばかりでした。正門を入ってすぐ左手にある建物はまるで山小屋風の洋館で、ここには会計課や庶務課など、法人の事務室や教育研究所が入っていました。奥にあったトイレは何故かコンクリート製の建物でしたが、夜に入るのは遠慮したくなるような恐ろしさ(笑)。大林宣彦監督は、いつもこのトイレの屋根に座っているシャーさんという学生を見ては、一人ひとりが居場所を見出すことのできる‶成城らしさ〟を実感したとおっしゃっていました。
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(右)1968年頃まで存在した大学8号館(大学研究棟)。一階には学生部があったとされる(Ⓐ)
学食の建物もご覧のとおりで、質実剛健(?)なバンカラ学校風。成城に通うお嬢さんたちが食べるようなメニュー(価格も)ではなかったのが、実に意外でした。体育会の部室が入る体連クラブハウスも、いったいいつの時代の建物かと思ったものですが、1996年には近代的なトレーニングセンター兼部室棟「スポーツセンター」として生まれ変わります。体連ハウスの管理人・I氏や文連クラブハウス管理人のH氏(文化祭のステージでは浪曲を唸った)も今の時代では考えられない、(ちょっぴりコワイが)人間味溢れる方たちでした。
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そして、成城の街には映画人や文化人が溢れていました。筆者が最初に遭遇したのは推理作家の横溝正史。角川文庫での復刻や『犬神家の一族』の映画化でブレイク中の横溝先生は、よく大学正門までステッキを片手に散歩に来られ、もじゃもじゃ頭がまるで金田一耕助のようでした。宇津井健をはじめ神田隆、高橋悦史などの俳優諸氏(みなご近所)もよく目撃しましたし、駅前を小澤征爾や長門勇、おヒョイさんこと藤村俊二が歩き、飲み屋に入ればそこは浜田光夫の店! 喫茶店やスナックでは、伊東ゆかりや中原早苗(深作欣二監督夫人)などをお見かけしたものです。卒業生の田村正和もよく学園まで散歩に来ていましたが、世界のミフネを目撃したことがなかったのは今も悔やまれます。三船敏郎は、ハンサムだった和菓子店「青柳」の若主人に「俳優にならないか」と誘いをかけたたこともあったそうです。
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成城に多くの映画人が住んだのは、当然ながら東宝撮影所があればこそ(石原裕次郎は日活の俳優だが、なぜか会社が東宝撮影所脇の崖上に住まわせた)。歴史を調べれば調べるほど、成城学園と東宝という映画会社がこの街に及ぼした影響の大きさが痛感されます。そもそも東宝の前身P.C.L.(写真化学研究所)が当地・砧村に移ってきたのは、植村泰二社長のお嬢さんが成城小学校に通い出したから、という裏話にも驚愕したものです。
やがて東宝や三船プロとの接点も出来、多くの映画人と交流を持てたことが『成城映画散歩』、『三船敏郎、この10本』(白桃書房)や『七人の侍 ロケ地の謎を探る』(アルファベータブックス)などの出版や当連載に繋がったのですから、成城の街が筆者にとって大切な存在であることは、今さら言うまでもありません。
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成城は、成城小学校が移転してきたことで学園=文化都市となり、次にP.C.L.(のちの東宝)が来て、山本嘉次郎や高峰秀子などの映画人が住む街となります。『サザエさん』に代表されるように、ロケが頻繁に行われる環境の良さも見逃せません。小説家や音楽家が多く居を構えたのも、静謐な環境があってこそ。学園都市でありながら映画の都となり、下町風情を漂わせる商店街が併存する街。こんな場所は、日本全国を探してもここ成城しかありません。底知れぬ魅力にハマったのは、決して筆者だけではないでしょう。
以下にお示しする「成城フォト・ギャラリー」で、成城の街の歴史を振り返っていただければ幸いです。
【懐かしの成城フォト・ギャラリー】
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成城のまちも、間もなく100年の節目を迎えます。自治会による記念行事が催される折には、是非お手伝いさせていただきたいと考えていますし、現在進めている単行本企画が一段落したら、「成城に住んだ映画人」、「成城学園出身の映画人」をテーマに、『成城映画だより』第2シーズンの連載を開始する所存です。
「成城大学note」に『シン・成城映画だより』をひっさげて、戻ってくる日は果たして来るのでしょうか?
※『砧』837号(2023年1月発行)より転載(一部加筆の上、画像を大量追加)
PS:今後は、WEBマガジン「コモ・レ・バ?」連載の『成城シネマトリビア』をご愛読いただければ幸いです。
【筆者紹介】
高田雅彦(たかだ まさひこ) 日本映画研究家。学校法人成城学園の元職員で、成城の街と日本映画に関する著作を多数執筆。『成城映画散歩』(白桃書房)、『三船敏郎、この10本』(同)、『山の手「成城」の社会史』(共著/青弓社)、『「七人の侍」ロケ地の謎を探る』(アルファベータブックス)の他、近著に『今だから!植木等』(同)がある。