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政治用語bot更新原文(2023.03.29)

9ヶ月ぶりの更新。
12月にかなり手が空くと思っていたのだが実際のところ特にそんなこともなく、ダラダラと引き延ばしてしまった。
といっても更新作業に手を付けたのは3月1日で、それから調べて書いて調べて直して一通りまとまってから140字に縮めて…とやっていたら一ヶ月経っていたのだ(と、言い訳しておく)。1語増やすと関連語であれも書こう、これも書こうがループして際限なく増え続ける。今回「行政罰」についてはマジでわからんところがあったから専門の人に聞いた。
結果今回の更新は136語+大幅改訂2語(「憲法」「行政裁判所」)。改訂語は既に登録があったのだが、登録してないと思い込んで新規に書いてしまい、差し替えることにした。
前の記述と現在の記述を見比べるとちょっと面白いので別記事に書こうと思う。

さて、今回の更新は要望のあったものをできるだけ詰め込んだ。
「公平/平等」関連が一つ(要望は「垂直的公平/水平的公平」「結果の業平等/機会の平等)
「憲法」関連語をかなり増やしたのが一つ。
「橋本行革」関連を増やしたのがもう一つ(要望では「中央省庁等改革基本法」だが)。
「世襲議員」が一つ。

他には時事的なものがいくつかある。
安倍晋三国葬の際に問題になった「国葬」それ自体と、「行政の裁量」に関連する語(「○○留保説」)。
最近(?)話題の「新電力」。
ちょっと一瞬ぽっとTwitterで見かけてそういえば書いてねえなとなった「非弁活動」とその関連で弁護士・司法関係をいくつか。
他は基本的に個人的な趣味か、ずーっと前から登録候補に入っていたが書いていなかったものばかり。

ところで最近話題のChatGPTに色々政治用語をぶちこんで遊んでみたのだが、どうも無茶苦茶な答えしか返ってこない。
そっちは技術の進歩でなんとかなるかもしれんが、それとは別の話として、Twitterなんかでは「AIは理系の仕事を奪わないが芸術や人文社会科学の仕事は奪う」みたいな話が出がちだが、それはAIがどうというんじゃなくて「そのように考えるお前らが」芸術・人文社会科学舐めてんじゃねえの?と常々思う。

その他①

「同害報復」

タリオ。刑罰制度の一つ。「目には目を、歯には歯を」の言葉で象徴される、加害者に対して被害者が受けた苦痛や障害と同じ苦痛や障害を与えることをもって刑罰とする仕組み。古代の刑罰制度として採用され、現在でもイスラーム法などに残っている。現在の近代法の下では人権侵害にあたる可能性が高く、また凄惨な刑罰だとして採用されることは想定しづらい。しかし、単純明快であるため裁判の迅速化・法の予測可能性に役立つ側面や、凄惨であるが故の犯罪抑止効果の高さ、犯罪行為に対する道徳的な応報の実現、経済力の差が刑罰の実質的な軽重に関わりにくいなどの利点があるとして、学問上で再評価する向きもある。なお、これまでの同害報復の採用例の多くは、過失犯には適用せず、また恩赦が推奨されていたり、ある程度金銭による代替が可能という前提があることに注意。

「アナクロニズム」

時代錯誤のこと。ただし、あえて英語から訳さずにカタカナで用いる場合、「過去の出来事について分析する際に、当時はまだ存在しない現代特有の概念・常識・感覚を前提としてしまい、その結果として誤った結論を導き出すこと」を指す。例えば「アジア」という言葉は少なくとも中世までは現代の西アジア周辺を指す言葉であるにもかかわらず、中世までの史料に登場するアジアを東アジアを含むものとして読んでしまうこと。「国民国家」概念は近代に登場したものであるにも関わらず、近代以前の「国」を国民国家として理解することなど。但し、ある概念が現代に登場した概念であることは、それが指す現象や事物が過去に存在しなかったことを意味するわけではないことに注意。

「国」

多義的な概念。国家(state)の略語として用いる場合もあれば、国―地方関係のように国家の中央政府(national government)を指して用いる場合もあれば、いわゆるクニや故郷といった、政治制度・法制度上の存在というわけではない社会的・文化的な共同体(nation、ethnicity)を指す場合もある。これらはどれも異なるものを指し示しているにもかかわらず混同・混用されやすい一方、事実上重なる部分もあるため、その混同・混用を一律に問題とすることもまた適切ではない。

平等・公平

「租税公平主義」

租税平等主義とも。税金の負担は、国民の間で公平なものでなければならないという原則のこと。法の下の平等を租税負担に適用したもの。日本においては日本国憲法第14条1項が根拠となる。なお、ここでの「公平」という言葉の意味内容は時代と共に移り変わっているが、少なくとも単に「全ての国民が同じ税を負担する」という意味としては捉えられていない。かつては国家による税金の使用で恩恵を受ける者がより多くの税を支払うことをもって公平としたが、現在では同じ税負担能力を持つものは同じ税を支払うこと(水平的公平)と、より高い税負担能力を持つ者はより多くの税を支払うこと(垂直的公平)の両方を意味すると理解されている。ただし、ここから具体的にどのような税制が公平であるかについてはなお多岐にわたる論点がある。

「垂直的公平/水平的公平」

税負担における「公平」という言葉の持ちうる代表的な二つの意味。より経済力を持つ者がより多くの税を負担することをもって「公平」とするのが「垂直的公平」。同じ経済力を持つ者であれば同じ税を負担するということをもって「公平」とするのが「水平的公平」である。垂直的公平は「応能原則」に対応し、水平的公平は「応益原則」に対応する。なお、この二つの意味は相互に排他的なわけではなく、あらゆる所得を合算して累進的に課税する「包括的所得税」や、あらゆる消費に同程度の課税を行う「消費税」は、両方を完全ではないがよく満たすものとして挙げられる。またこれらの言葉は税負担以外の事柄にも援用されることも。

「結果の平等/機会の平等」

いわゆる「平等」についての代表的な二つの考え方。何らかの事柄について、全ての人々の経済力・地位・名誉その他の「最終的な結果が」同等となる状態を「結果の平等」。全ての人々がそれらを得るための「最初の機会を」同等に保有している状態を「機会の平等」という。なお、機会の平等は、全くの同条件を持つ者が同等の機会を得れば最終的な結果も同等となることを含意しており、この二つの違いは相対的である。また「最終的な結果」「最初の機会」もそれぞれ具体的内容は自明ではない。

「形式的平等/実質的平等」

いわゆる「平等」を達成するための仕組みや考え方を分類したもの。「形式的平等」は、全ての人々を個人間の差異を捨象した上で単に抽象的な一個人として平等に取り扱うもの。「実質的平等」は、個人の置かれた具体的な状況に着目し、何からの特別な働きかけによって不平等を是正することを指す。それぞれ「機会の平等」「結果の平等」と同一視されやすいが、実質的平等は形式的平等によっては機会の平等が実質的に未達成である状況に応じて登場していることから、単純に同一視できない。例えば、一定の学力さえあれば誰でも入学できる学校は、入学機会の形式的平等を達成している。しかし、そもそも経済的困窮や差別によって教育から排除された結果学力が不足する者にとっては、入学機会の平等が与えられているとは言い難くなる。

「特権」

何か特殊な地位や立場、属性などを持つことを条件として付与される特別の権利や権限。ほとんど何の条件もなく付与される「人権」や「基本権」とは対義語の関係にあるが、その関係は相対的。この言葉の用いられ方は様々であり、その地位や立場にとって必要であるとして法的根拠を持つものを指すだけでなく、特段の根拠なく事実上保持されている権益や、そもそも人権や基本権の範疇に収まるものに対するレッテルとしても用いられる。

憲法

「立憲主義」

国家や権力者による権力の濫用を防止するために、「憲法」を制定し、権力を行使する際には憲法を遵守することを求める立場。ここでの「憲法」は、何らかの意味で国家の権限とその行使について規定するものであれば全て当てはまりうるが、立憲主義の確立自体が権力分立・人権・民主主義を規定する「近代憲法」の成立と共にあったことから、基本的には近代憲法かその発展形である現代憲法を指す。またそのために事実上近代立憲主義・現代立憲主義の略称となっている。

「日本国憲法」

1946年に「大日本帝国憲法」の改正として成立した、現在の日本の憲法。国民主権、基本的人権の尊重、権力分立、法の支配といった「近代的意味の憲法」の要素に加え、違憲立法審査権や社会権規定をも備える「現代的意味の憲法」の一つ。また平和的生存権や戦力不保持といった厳格な平和主義も大きな特徴としており、国民主権・基本的人権の尊重と共に三大原則として扱われている。その改正が比較的難しい硬性憲法であり、成立から一度も改正されることなく2023年3月現在まで維持されている。

「国民主権」

国民主権原理、人民主権とも。国家の最終的な意思決定権を有するのが国民一般であること、もしくは国民一般であるべきという考え方。君主のみが決定権を持つとする君主主権と対置され、またある国家が国民主権を採ることは多くの場合その国家が民主主義国家であることを意味する。ただし、国民主権という言葉はあくまで「少なくとも法的・形式的な意味で、国家の最終的な意思の決定権が国民に属する」ことを意味するに過ぎず、それ故に、国民主権であれば必然的に民主主義である、もしくは民主主義であれば必然的に国民主権でもあるというわけではない。なお、ここでの「主権」は「主権国家」などにおける「主権」(ある領域や人々に対する統治権、対外的な独立性)とは少し異なるが、現代では事実上一致する。

「象徴天皇制」

日本の天皇を、主権者としての君主ではなく、日本国・日本国民統合の象徴として位置づける仕組みのこと。日本国憲法1条に規定され、2~8条でより具体化している。戦前までの「国体」概念と国民主権の妥協として成立したもの。そのため、天皇はなんらの政治的権力も持たず、天皇の地位とその継承や、政治的権力の伴わない象徴としての儀礼的行為に至るまで、主権を保持する国民の意思に従属する。なお、天皇が君主や元首にあたるかには議論があるものの、そもそも議論する意味に乏しいとも言われる。

「象徴君主制」

制度の上では「君主」が存在するものの、その君主は政治的権限を形式的にも実質的にも有しておらず、国家や国民統合の象徴としての役割のみを担う君主制のこと。スウェーデンや日本がその例とされる。従来の君主という概念は、そもそも君主が何らかの政治的権限を持つことを前提とした概念であり、それゆえに君主が統治権を持つ「君主主権」や、それを憲法で制限する「立憲君主制」という概念が登場した。しかしこの枠組みでは「そもそも政治的権限を持たないが君主とされているもの」の位置づけに困難が生じたため、その対応として提示されたのが象徴君主制である。

「押しつけ憲法論」

1946年、GHQによる占領下で、なおかつGHQが作成した草案を元に成立した「日本国憲法」について、それをGHQから「押しつけられたもの」であり日本自ら制定した憲法ではないとして問題視する立場のこと。憲法改正の根拠として援用されたり、極端な場合は日本国憲法が無効であるとの主張に繋がる。ただし、実際の日本国憲法の制定過程を見ると、日本政府の意向も多分に反映されていること、民間の憲法草案も参照していること、国会での加筆・修正の上成立していること、世論の高い支持を得ていたと推察される世論調査があることなど、GHQと日本の共同制作物と見ることもできる程に事態は複雑。またそもそも日本国憲法に基づく法秩序がこれまで維持・発展していることから、押しつけ憲法論を主張すること自体が意味をなさなくなっているとも指摘される。

「形式的意味の憲法」

ある国家において存在する「憲法」の分類の一つ。「憲法やそれに類する名のつく法典として存在している」憲法のこと。とにかく「憲法」と名付けられている法典であれば該当し、その内容が自由主義的であるか、共産主義的であるか、民主主義的であるか、専制主義的であるかは問わない。ほとんどの場合「成文憲法」と同じ意味の言葉であり、成文憲法を持たないイギリスは、形式的な意味の憲法も持たない。

「実質的意味の憲法」

ある国家において存在する「憲法」の分類の一つ。法典としての形をとるか、成文化されているかを問わず、「国家の権限とその行使に関する原理原則」にあたるもののこと。国家はこれなしに「国家として」行為することは不可能である(=国家の行為と国家によらない行為の区別がつかなくなる)ため、あらゆる国家はこの意味の憲法を備えている。またこの実質的な意味の憲法は、「固有の意味の憲法」と「立憲的意味の憲法」の下位分類を持つ。

「固有の意味の憲法/立憲的な意味の憲法」

憲法のうち、その具体的内容や形式に関わらず、「国家の権限とその行使に関する原理原則」にあたるものを「固有の意味の憲法」と呼ぶ。「実質的な意味の憲法」は全て「固有の意味の憲法」でもあり、これを持たない国家は存在しない。対して、「立憲的意味の憲法」は、憲法の具体的な内容に着目し、あらゆる憲法のうち、「国民の権利・自由を保障する目的のもとで国家の権限を制限する」内容をもつ憲法のみを指す。日本国憲法はその例。

「近代的意味の憲法」

近代憲法。ブルジョア憲法という場合も。憲法のうち、権力分立・民主主義・人権といった要素を備えるもののこと。(古典的)自由主義を前提とする憲法であり、ここでの人権はもっぱら自由権、私的所有権を指すため、社会・経済への介入を最小限に抑えて社会秩序の維持にのみ注力する自由主義国家(消極国家・夜警国家)が理想的な国家モデルとなる。アメリカ独立革命・フランス革命で確立したが、自由放任を良しとするこの憲法の下では社会・経済的不平等の拡大と固定化に対応できず、やがて「現代的意味の憲法」への変容や、「社会主義憲法」への移行、「ファシズム憲法」への移行が発生した。

「現代的意味の憲法」

現代憲法。憲法のうち、権力分立・民主主義・人権といった要素を備え、なおかつその人権が自由権・私的所有権のみならず「社会権」を含み込むもののこと。国家が社会正義の実現のために、所得再分配などで社会・経済に積極的に介入する社会国家・福祉国家を理想的な国家モデルとする。それ以前の古典的自由主義の影響を強く受け、自由権・私的所有権のみを重視する「近代的意味の憲法」の下では拡大する社会・経済的不平等に対応できなかったことから、現実の国家の振る舞いの変化とともに成立したもの。

「法典」

法や法律のうち、特定の分野について、その分野における法の一般的な原則を定めつつ、体系的に編纂された成文法のこと。成文法のうち、個別具体的な問題に応じて単発的に制定される法律ではないものと言い換えても良い。日本における憲法や民法、刑法などいわゆる「六法」はその代表例。なお、この意味での法典の編纂が活発化したのは18世紀半ばごろ、つまり啓蒙思想が全盛を迎え、自由主義・民主主義思想が影響力を増しつつあった時期のヨーロッパであり、その動きを法典編纂運動という。

「大日本帝国憲法」

1889年に制定され、1946年の日本国憲法への改正まで存続した日本の「憲法」。明治憲法とも。自由民権運動と明治政府の妥協の産物にして対外的に国家として承認されるための法整備の結実の一つ。君主の統治権を強調する非近代立憲主義的な原理を中心に置きながら、合う程度自由主義的・民主主義的な要素も取り入れた内容を持つ。ただし、あくまでも君主の統治権を留保しているため、大日本帝国憲法の運用は国家による人民の権利保障から抑圧の正当化まで、その時々の政治状況に大きく左右された。

「法令違憲/適用違憲」

憲法訴訟において下される違憲判決のうち、争点となっている法令それ自体が憲法に違反しているとするものを「法令違憲」。法令そのものが憲法に違反しているわけではないが、それを当該裁判で争点となっている事例に適用することが憲法に違反しているとするものを「適用違憲」という。法令違憲の場合はそれがどのような事例に適用されたとしても憲法訴訟を起こせば違憲となることが想定されるため、法令違憲の確定判決が行われた時点から、当該法令を事実上存在しないものとして扱う運用がとられる場合がある。

「違憲判決の一般的効力説/個別的効力説」(botでは分割)

日本における裁判所による違憲判決の効力に関する二つの学説。どちらもある法令そのものを違憲とする「法令違憲」に関するもの。法令違憲判決はその裁判で争われた事件について法令を無効とするのみならず当該法令を廃止する一般的な効力を持つとするのが「一般的効力説」。そうではなく、あくまでもその裁判で争われた事件についてのみ法令を無効とするのが「個別的効力説」である。しかしどちらの説もその純粋な形では問題が多いため、現在は行政に対し当該法令を執行しない義務を課すという修正を加えた上での個別的効力説が通説(実質的一般的効力説)。

「漠然性のゆえに無効の法理」

漠然性の法理、明確性の法理など。裁判などでの考え方の一つ。法律の文言が曖昧で明確さを欠き、一般の人々がどのような行為が違法となるのかを判断できないならば、その法律は無効とするというもの。「法の支配」および「罪刑法定主義」の観点から、法律には合法な行為と違法な行為を明確に線引きして人々に示すことで権力による恣意性を排した秩序をもたらす役割が期待される。そのため、曖昧で不明確な法律はその用を成さないとして無効となる。

「過度の広汎性のゆえに無効の法理」

過度広汎性故に無効の法理など表記揺れあり。裁判などでの考え方の一つ。法律が禁止する事物や行為の範囲がその法律で禁止すべき事物や行為を超えて過度に広汎にわたっており、そのために本来であれば禁止が正当化されない事物や行為まで禁止されるならば、その法律はそれ自体無効とするというもの。その法律の存在による事物や行為への萎縮効果を問題視する考え方。但し、この考え方を頻用すると本来的に禁止すべき事物や行為をも見逃すことになりかねないことや、裁判外の仮想の第三者の利益を考慮して審査している状態になるなど問題もあるとして、あまり積極的には用いられない。※ただし、仮想の第三者の利益を考慮するとしても、それによって法令自体に瑕疵があると判断されるならば問題はないはず。

「合憲限定解釈」

裁判所が法令の合憲性について審査する際にしばしば行われる解釈手法。その文言を字義通りに解釈すれば違憲となる法令について、その意味内容が憲法上正当化される範囲にまで狭くした解釈を試み、法令が違憲となることを回避しようとすること。「合憲性推定の原則」に適合的。ただし、当該法令を元々の立法目的や立法意思よりも狭い意味内容に書き換える実質的な効果を持つことが問題になり得る。また、限定解釈の結果、当該裁判で争われている行為・事物がそもそも当該法令の適用外となることもありうる。

「合憲拡張解釈」

裁判所が法令の合憲性について審査する際に行われうる解釈手法の一つ。その文言を字義通りに解釈すれば違憲となる法令について、その意味内容が憲法上正当化される程度まで意味を拡大・補充した解釈を行うもの。例えば、人に何らかの権利を付与する法律が特定の人々を差別的に扱って権利を付与しないことが争いとなった場合、その原告にとっての利益は当該法律に規定された権利を得ることである。ここで単に当該法律が違憲無効とするのみでは、原告がその権利を得られないため、却って不合理な判断となる。

「事情判決」

主に行政訴訟での判決の一種。ある行政処分が違法であることを宣言する一方で、その行政処分を取り消す請求については、取り消すことが公共の福祉を害するとして棄却する判決。行政事件訴訟法31条に規定がある。行政処分を取り消すと、当該行政処分を前提に確立された他者の権利義務関係や法的地位も失効して社会に多大な悪影響をもたらす場合があるため、それを回避するための措置。「一票の格差」などの憲法訴訟でも「違憲だが有効」判決として用いられることがあるが、これはあくまで「事情判決の考え方を用いた」ものであって、行訴法31条に基づいてはいない。

「強い違憲審査/弱い違憲審査」

各国の違憲審査制度のうち、一度違憲との判断が確定すれば他の国家機関がその判断に拘束され、法令または憲法の改正が必要となる仕組みを「強い違憲審査」と呼び、例えばアメリカやドイツの違憲審査制が当てはまる。そうではない仕組み、つまり一度違憲との判断が確定しても、立法府による議決によってそれを覆すことができる仕組みを「弱い違憲審査」と呼び、カナダが当てはまる。日本がどちらに当てはまるかは明確ではないが、一般には強い違憲審査とされる。

「日本国憲法第10条」

日本国憲法第三章冒頭にある、日本国民(日本国の構成員)の資格要件つまり国籍の取得・喪失の条件を立法府の裁量に委ねる条文(国籍法律主義)。ただしその裁量は無制限ではなく、日本国憲法14条(法の下の平等)などに当然制約され、立法目的に合理的な根拠が無い場合や、立法目的と合理的関連性がないような区別を設けている場合、それは合理的理由のない「差別」とみなされて違憲となる。またこの条文には日本国憲法前文の「日本国民」との関係をどう捉えるべきか、また1条の「日本国民」との関係をどう捉えるべきか(論理循環の可能性がある)、天皇は日本国民に含まれるかなどの論点がある。日本国憲法制定時の衆議院での審議により追加された条文の一つ。

「検閲」

広義には、もっぱら公権力による、出版物などの表現物が公に発表される前にその内容を審査し、不適当と判断した場合にその発表を禁止する行為のこと。「表現の自由」を直接的に侵害する行為であり、また表現者に対しても特定の表現を差し控えさせることで間接的にも表現の自由を侵害しうる。自由民主主義をとる国家では禁止されることが通例だが、より具体的に何をもって検閲とするかは各々の法制度・慣行により異なる。

「自己検閲」

特にマスメディアや民間企業、個人によって行われる、自らの出版物など表現物から特定の内容を持つものを排除し、公に発表しない行為のこと。いわゆる自主規制。自らの社会的評価への悪影響を恐れる結果として、国家等公権力からの処罰を恐れる結果として、また経済的利益のためなど様々な理由で行われる。もっぱら公権力によって行われることを前提とする「検閲」との類似に着目した、「表現の自由」の実質的制限というニュアンスを含む言葉。

「日本国憲法第21条」

日本国憲法における、「表現の自由(および言論の自由)」「集会の自由」「結社の自由」「検閲・事前抑制の禁止」「通信の秘密」について定めた条文。前の3つは全て表現の自由とそれに類するものとして1項に、後の2つは表現の自由を保障するために必要な措置として2項にまとめて規定されている。現在の日本において最も争点になりやすい条文の一つであり、個人、マスメディアそしてインターネットとなど多様な要素と論点が絡み合う。

「検閲・事前抑制の禁止」

日本国憲法第21条に定められる、日本における検閲と、それに準ずる表現活動の事前抑制の禁止のこと。検閲は絶対的に禁止されているが、2023年3月現在の判例において「検閲」と言った場合には行政による網羅的・一般的な事前審査による検閲のみを指しており、司法の判断による場合や、発表後の差し止めはこれにあたらない。「事前抑制」は、この意味での検閲に当たらないが、表現活動を発表前に禁ずる措置を指しており、こちらは厳格かつ明確な条件の下許されうる。

「有権解釈」

公権解釈などとも。必要に応じてある法や法律の意味内容を具体化し、決定づける「法解釈」のうち、自らの解釈に法的拘束力を持たせる権限を持つ国家機関によって行われるもののこと。行政府によるものを行政解釈、立法府によるものを立法解釈、司法府によるものを司法解釈といい、究極的には司法解釈が他の有権解釈に優位する。なお、有権解釈ではない法解釈、つまり法的拘束力を持たない個人等による(学問的な)解釈を学理解釈という。

「特別裁判所」

特定の地位や属性を持つ人々や、特定の事件について裁判を行うために、通常の裁判所とは別に置かれる裁判所のこと。行政裁判所や憲法裁判所がその例。そもそも司法権に属さずに、司法権以外の権能・権限の行使として裁判を行うものもあれば、あくまでも司法権に属するが通常の裁判所とは異なる系列にあるものもある。日本で言えば終審が最高裁判所とならない裁判所がこれにあたるが、日本国憲法76条2項により設置は禁止されており、存在しない。大陸法系国家にとっては伝統的な仕組みであり、その代表例たるドイツには憲法、行政、税務、労働、社会と多数の特別裁判所が置かれている。

「憲法裁判所」

違憲審査のみを専門に扱う裁判所のこと。もっぱら司法権に属しながらも通常の裁判所とは別系列の「特別裁判所」として置かれるものを指し、この意味での憲法裁判所はドイツや韓国のものが有名。特定の具体的な事件と関わりなく違憲審査が可能な「抽象的違憲審査制」を採る国家に設置の例があり、必ず具体的な事件に関わる範囲のみでしか違憲審査を行わない「付随的違憲審査制」の国家ではそもそも設置する意味を持たない。より広義には通常の裁判所の系統に属するもの、そもそも司法権に属さないものも憲法裁判所に準ずるものも一応含まれうる。

「行政裁判所」

行政事件、すなわち行政権の発動たる行政活動の違法性についての争いを専門に扱う裁判所のこと。司法権ではなく行政権に属する一機関として置かれるものを指すことが多い。フランスはこの例であり、行政の司法からの独立を前提とした行政の自己規律と、専門性に基づく事件解決を図る目的を持つ。一方、そのような行政裁判所は行政側に有利な裁判を行いがちであるとし、現在ではあくまで司法に属するものとして構成し直している場合もある。ドイツはその例。

地方自治

「地方自治」

国家がその領域の全てを一律に直接統治するのではなく、各地に存在する組織や人々自らの裁量による統治をある程度認めること。治者と被治者の一致という民主主義的な理念や、各地域の問題や課題を解決するための情報の得やすさや一律的な統治では各地域の細かい状況に対応しにくいという合理性の観点から要求される。一口に地方自治といってもその内容は多様でありえ、領域、権限、手続、参加資格など、何をもって地方自治であるとするかは一つの論点となりうる。

「日本国憲法第92条」

日本国憲法において「地方自治」に関して定めた条文の一つ。地方自治のための組織である「地方公共団体」(都道府県や市町村など)に関する法制度が「地方自治の本旨に基づいて」定められなければならないと規定する。ここでの「地方自治の本旨」の意味内容は不明確だが、地方自治が当該地域の住民の意思に基づいて行われるべきとする「住民自治」と、各地域毎に国から独立した団体を設置して地方自治をそれに委ねるべきとする「団体自治」を指すと広く理解されている。

「団体自治の原則」

地方自治に関わる考え方の一つ。地方自治の担い手は国から独立した団体でなければならず、その実施もその団体の独自の権限によらなければならないという原則。この原則から各地の地方自治体(地方公共団体)の設置とその権限が導き出される。日本においては日本国憲法92条に規定される「地方自治の本旨」の一翼を成し、94条もこの旨を前提とする。この原則はつまり地方自治は国の事業の下請けや委任であってはならず、どのような事業を行うかも含めて各地方の団体の自己決定によるべきとするものであるため、地方自治の自由主義的な側面と理解される。

「住民自治の原則」

地方自治に関わる考え方の一つ。地方自治はその地方の住民の参加によって、その意思と責任の下行われなければならないという原則のこと。この原則から各地方自治体の首長の公選制や、選挙を経た議会制、直接請求、住民投票、住民監査請求や住民訴訟が導き出される。日本においては日本国憲法92条に規定される「地方自治の本旨」の一翼を成し、93条、95条もその旨を前提とする。住民自治は民主主義的な地方自治のために要求される原則であるが、このことは同時に、住民自治なき地方自治(非民主主義的な地方自治)が現実に成立する危険性があることも意味している。

「補完性の原則」

行政活動や政策決定はその影響を受ける住民に最も近い組織・共同体によって行われるべきであり、それより上位の組織・共同体による介入は原則として許されない。しかし住民に最も近い組織・共同体のみでは行い得ない場合に限り、それらが自らで行うことを補助する程度の介入を行わなければならないという原則。国家など上位レベルの統治組織に対し「人々の自律性の尊重とその保障」を義務づける原則。この原則は西洋における政治・社会思想の伝統に発しており、1931年のローマ教皇による社会回勅において当時隆盛しつつあった全体主義への対抗として初めて明示された。その後ドイツ基本法やスイス憲法に規定され、さらに欧州連合(EU)結成に至るまでの過程で地方自治改革論と結び付きながら影響力を増し、欧州地方自治憲章およびEUの原則としてEU―国家―地方の関係を規定するものとして採用され、その後日本においても地方自治改革論に取り入れられるようになった。

「一般財源/特定財源」

日本の自治体(都道府県・市町村)の財源のうち、各自治体の意思により自由に使途を決定できるものを「一般財源」。そうではなく、その使途が予め指定されているものを「特定財源」という。一般財源には地方税や地方交付金など自治体自らによる収入と言えるものが当てはまり、特定財源には国庫支出金のように国などから特定事業に供するために支出されて得た収入や、地方債や各種負担金・手数料のようにそもそも使途を限定して得る収入が当てはまる。自治体財源のうち特定財源の割合が高いことは、その自治体の自由な判断による行政が難しいことを意味するため、問題となる。

「機関委任事務」

かつて日本に存在した地方自治体の事務区分の一つ。本来国が直接処理すべき事務であるものの、事務効率性などの観点から自治体に委任され、自治体が国の出先機関として処理する事務。飲食店の営業許可やパスポート発給はその例。国はその事務に必要な範囲内で自治体に対する広範な指揮監督権を得る。機関委任事務は年々増大して自治体行政を圧迫し、また自治体に裁量の余地がないという、地方自治に背反する性質を持つことから、1999年の地方分権一括法によって廃止・整理され、現在の仕組みでは本来国の事務であってもあくまで自治体の事務として行われるか、それがそぐわない場合には国が直接処理するようになっている。

国会・議会

「二院制議会」

両院制議会とも。議会制のうち、概ね同等の権限を持ち独立した二つの議会が存在するもの。議員数の多い方を下院、少ない方を上院と呼ぶのが通例。アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、日本など採用国は多い。議会制民主主義において国民の代表たる議会を複数置く意味はないとも言えるため、それぞれの議会の性格や構成議員を少なくとも理念的には別種として独自の役割を持たせるのが通例。例えばアメリカ議会は国民の代表と州の代表、かつてのイギリス議会は中産階級の代表と上流階級の代表、日本の国会はいずれも国民の代表だが片方はブレーキ役といった形だが、役割分担の形骸化が問題となることも。

「みなし否決」

二院制の議会において、一方の議院で可決した法案等が他方の議院で一定期間内に採決されない場合に、「その法案は後者の議院で否決された」と扱うこと。片方の議院が優越権を持ち、もう一方が否決した場合には再可決で当該法案を成立させることができる議会で、優越権を持たない議院が採決を先延ばしにして再可決させないという手段に出ることを防止するもの。日本においては衆議院で可決した法案を参議院に送付・回付した後60日以内に採決されなかった場合に発生する。

「重要広範議案」

衆議院議院運営委員会の理事会によって与野党の合意に基づき指定される、内容が重要かつ広範であり、その審議の際に内閣総理大臣が本会議や委員会で自ら答弁することが必要な議案(法案)のこと。通常国会では4つまで、臨時国会では2つまで指定されるのが通例。2000年の「党首討論」導入(「国家基本製作委員会」の設置)に伴い、首相の負担増大が予測されたことへの対応として首相が出席すべき議案を絞り込むべく、慣例的に成立した仕組み。なお、主に野党からの要望を受けて指定される。なお、参議院では特にこのような仕組みは取っていない。

「議院運営委員会」

議運と略。日本の国会において衆議院・参議院にそれぞれ置かれる常任委員会の一つ。国会で審議される議案の各委員会への振り分け、本会議日程、時間、発言者、採決方法から審議の国会外への中継など、国会の運営に関わる事項全般を取り扱う。あらゆる法案の成否に関わる重要な委員会であることから、委員長は閣僚級の人物が充てられる。また他の所属委員は各党の「国会対策委員会(国対)」の幹部級委員を兼ねることが多く、各国対の公式な調整の場として位置づけられる。

「国会議員の不逮捕特権」

日本の国会議員の持つ、原則として国会の会期中には逮捕されず、会期前に逮捕されていたとしても議院の要求があれば会期中は釈放されるという特権のこと。日本国憲法50条に定められている。(特に政府に反対する)国会議員の職務を妨害する目的での不当逮捕を防ぐことと、議院での審議を滞りなく行うことを目的とする。なお、ここでの「逮捕」には一般に想像される刑事訴訟法上の逮捕だけでなく、措置入院など行政措置としての身柄の拘束も含む。ただし、院外での現行犯逮捕の場合や、逮捕を許諾する議決が議院によって行われた場合は、そもそも不当逮捕の可能性が極めて小さいとして逮捕でき、また起訴するとは可能。

「国会議員の免責特権」

日本の国会議員の持つ、議院における演説・討論・表決その他議員としての職務上の行為が何らかの法令に違反するものであっても、議院の外で法的な責任(名誉毀損や不法行為など)を問われないという特権のこと。国会議員の自由な活動を担保する趣旨として、日本国憲法51条に定められている。なお、ここでの議院における職務上の行為とは物理的な場所としての国会議事堂での行為のことではなく、議院の正規の手続に基づく正当な職務行為のことを指す。また議院の外で法的責任を問われないというだけであり、議院による懲罰を免れるわけでもなく、批判を受けたり選挙で落選したり政党から処罰されるなどの政治的責任から免れるわけでもない。なお、国会議員が免責されるからといってその活動で生じた被害が救済されないわけではなく、国に対して国家賠償請求を提起することができ、また行為の性質によっては正当な職務行為とみなされずに免責を受けないこともある。

「世襲議員」

世襲政治家とも。政治家(特に議会議員)のうち、その親や祖父母も政治家である者や、政治家を事実上家業として営む者のこと。親が議員であった者を二世議員、祖父母と親が議員であった者を三世議員と呼ぶことも。先代の支持基盤や人脈を引き継ぐことから選挙での当選率が高くなりやすいとされるが、実際には選挙制度の仕組み、有権者の動向、政党の人材登用のあり方など様々な政治制度・構造の中でそれが有利に働く場合のみ当選率が高くなるという方が正確。日本では他の先進国よりも世襲議員の割合が高い傾向にある。なお、「世襲によって本人の能力に見合わない地位を得ている」ニュアンスで揶揄的に用いることが多い言葉。

「統一地方選挙」

統一地方選ということが多い。日本において1947年4月以降、任期に合わせて4年毎に行われている、地方自治体の首長・議会議員の選挙のこと。本来、自治体の選挙期日は各自治体が自ら決定するが、行政処理や選挙運動の便宜、有権者の関心を高める目的などから、毎回特例法を制定して日程を統一する慣行となっている。また2000年からは衆参議員の補欠選挙も共に行うこととなった。自治体レベルではあるが全国的な選挙であるため、その結果は国政にも影響力を持ちうる。なお、統一といっても全て統一しているわけではなく、都道府県や政令市の選挙は4月上旬、その他市町村等の選挙は4月下旬となっており、また何らかの理由で任期がズレている場合などもここでは選挙しない。

「郵便投票」

選挙での投票を、直接投票所に赴かず、郵送によって行うこと。もしくはその仕組み。病気や障害など何らかの理由によって投票所に赴くことが困難な者が投票するための仕組みとして発案・制度化された。日本では身体障害者の一部と、国外在住者に認められている。簡便な投票方法であるが、投票所での投票と異なり投票の秘密性が担保できないという欠陥を抱えているため、例外的な仕組みとして扱われる。

「戦略投票」

選挙においてしばしば有権者が行う、自らの政治的意思や支持を純粋に示すためというよりは、自らの投じる票が選挙結果から見て無駄にならないことを優先する投票のこと。選挙の帰趨を予測した上で戦略的に自らの投票権を用いる行為であるためこのように呼ばれる。例えば選挙予測報道などから自らが最も支持する候補者の落選がほぼ確実であると予想し、より当選しそうだが自らが最も支持しているわけではない次善の候補者に投票する行為が当てはまる。この戦略投票によって、小選挙区では二大政党制になりやすいとする「デュヴェルジェの法則」などが成立することになる。

「コンドルセの陪審定理」

単に陪審定理とも。多数決の信頼性を数学的に示した定理の一つ。片方の選択肢が正しく、もう一方が間違っている二者択一の選択肢から、どちらの選択肢を選ぶかを複数人の投票で決める場合、各投票者が正しい選択肢に投票する確率が50%を超えており、なおかつ十分な数の投票者が自らの判断のみで投票したならば、確実に正しい選択肢が選ばれるというもの。例えば平均正解率が51%であれば、1万人ほどの投票者で確率が収束し、ほぼ確実に正しい選択肢が51%の得票を得て勝利することになる。但し、この定理は正しい選択肢に投票する確率が50%を下回る場合や、実際に投票者が自らの判断のみで投票することがあり得ないことを考慮すると、むしろ多数決の信頼性のなさを示すことにもなる。

「多様性が能力に勝る定理」

発案者の名前からホン=ペイジ定理とも。解決を要する何らかの問題について、その問題について誰も自らのみで全員にとって最適な解決を見いだす程の能力を持たないが、全員が少なくともそれぞれ同程度かそれ以上の解決を見いだす能力を持ち、さらに誰か一人が常に先に提示されたよりは良い解決を見いだすことができるような状況下では、個々の能力は低いが、各々が多種多様な方法で解決を考案しつづけられるほどの人数・多様性を持つような集団の方が、個々の能力は高いが多様性のない専門家の集団よりも良い解決策を見いだせる、という数学的モデルのこと。

「中位投票者定理」

多数決の信頼性を数学的に示した定理の一つ。ある社会において複数の選択肢からどの選択肢を選ぶかを多数決で決定する場合、その選択肢が例えば右派―左派のように一直線に並んでおり、各投票者にとっての選択肢の望ましさが、最も望ましい選択肢から遠くなるに従い減少するものであり、投票者にとっての最も望ましい選択肢が二極化していない場合、投票者全体にとってもっとも中間にあたる選択肢に最大の票が集まるとするもの。右派側を望む者にとっては左派側よりも右派側の選択肢が、左派側を望む者にとっては右派側よりも左派側の選択肢がよりマシな選択肢であることによる。

「集計の奇跡」

多数決の信頼性を数学的に示した定理の一つ。与えられた選択肢についてほとんどの投票者が無知であり、ごく一部の投票者だけが正しい選択をなしえる状況で多数決を行うと、無知な投票者はランダムに投票し、正しい選択をなしえる投票者は正しい選択肢に投票する。すると投票結果では必ず正しい選択肢が勝利することになる、というもの。なお、現実の選挙でこれが成立することは様々な要因により困難。

「調整問題」

なんらかの決定を要する問題のうち、その決定の具体的内容が何かが重要というわけではなく、とにかく何らかの決定がなされていることが重要な問題のこと。道路を右側通行にするか左側通行にするかという問題はその例。この問題の場合、人々にとって右側通行であるか左側通行であるかはどうでもよく、「道路は○側通行とする」というルールに全員が従うことで安全に通行することが重要である。なお、調整問題的な側面はあらゆる問題に少なからず存在することに注意。

行政法

「大平三原則」

日本政府が他国と結ぶ条約について、国会の承認を必要とするもの(国会承認条約)と、そうでないもの(行政取極)を分ける基準。1974年に大平正芳外相による報告以後現在に至るまで慣行として成立している。第一は、当該条約を締結した場合に新たに国内法の制定・改廃が必要な場合。第二は、当該条約を締結した場合に既に予算や法律で認められた財政支出以上に財政支出を行わなければならない場合、そして第三は、政治的に重要な条約であり発効のために批准が必要な場合である。なお、この原則はそれまでの幾多の条約締結の際の政府答弁を整理・抽象化したものであって、それまでの全ての条約が国会の承認を必要としていたというわけではなく、個別に議論していた。

「国会承認条約/行政取極」

日本政府が他国政府と結ぶ「条約」のうち、国会の承認を経る必要があるものを国会承認条約、承認を経ずとも取り結ぶことのできるものを「行政取極」という。現在その区別は「大平三原則」と呼ばれる慣行によって行われており、国会つまり立法府の役割・権限に属さない事項を定める条約は「行政取極」にあたる。ただし、政治的に重要と考えられる条約であればその限りではなく、実際に国会承認条約とすべきかについて議論となったこともある。なお、日本国憲法73条3号によって条約を締結する際には国会の承認を経ることが必要とされているが、ここでの条約はありとあらゆる条約全てを指し示すものではない。

「侵害留保説」

行政権の行使つまり行政活動のうち、どこまでが法律による根拠(=立法府による行政府への授権)を要し、どこまでが要さないかについての学説の一つ。個人の自由や財産を侵害する行政活動については法律による根拠が必要とし、それ以外は行政権の裁量でよいとするもの。例えば特定個人や集団に対して金銭を給付するような行為や、あくまで指導や助言にとどまる行政指導には法律の根拠を要さない。「法律の留保」概念の登場後最初期、つまり民主主義国家を前提にせず、また行政の役割もかなり狭い時期に成立した学説であるが故に、民主的正統性なき行政活動を広範に許す点、積極的な社会・経済への介入を行い、社会形成機能を果たす現代の行政はこの説にとって想定外であることなど問題が多く、それを補おうとする新たな学説が多数登場している。なお、現在でも実務・判例においては通説とされる。

「全部留保説」

行政権の行使つまり行政活動のうち、どこまでが法律による根拠(=立法府による行政府への授権)を要し、どこまでが要さないかについての学説の一つ。権力的・非権力的を問わず、あらゆる行政活動に法律による根拠が必要とするもの。国民主権・民主主義そして法治主義の要請として、そもそも行政活動が法律の根拠なく行われることは許されない、という考え方。この説は論理的には一貫しているものの、行政に一切の裁量を許さないことから現実に運用することが極めて難しく、それを解決するには結局行政に広範な裁量を認める法律を制定するほかなくなるため、わざわざ全部留保説をとる必要がなくなるという問題がある。

「権力留保説」

行政権の行使つまり行政活動のうち、どこまでが法律による根拠(=立法府による行政府への授権)を要し、どこまでが要さないかについての学説の一つ。公権力の行使として行われる行政活動であれば全て法律による根拠が必要とするもの。そもそも民主主義・法治国家において公権力が公権力たりえるのは法律の根拠がある場合のみであり、もしも行政活動が公権力の行使となるならばそれは法律によってその権限を与えられている場合に限られるとする。そもそも本当に法律の根拠がなければ権力の行使と言えないのかという問題、これ自体は権力の所在論であって法律の留保論となっていないという指摘、さらに循環論法に陥っているとの批判がある。

「社会留保説」

行政権の行使つまり行政活動のうち、どこまでが法律による根拠(=立法府による行政府への授権)を要し、どこまでが要さないかについての学説の一つ。「侵害留保説」で法律の根拠を要するとされた「個人の自由や財産を侵害する行政活動」に加え、国民の生存権を確保するための、例えば金銭給付のような「個人の自由や財産を増加させる行政活動」にも法律の根拠を有するとするもの。国民の生存権の確保が現代の行政活動において重要な位置を占めていることを理由とする。しかし、この説では災害時など緊急時の金銭給付すら行政の裁量で行えないことや、ある程度の裁量を許すとしてもどこまでなら許されないかの線引が難しいという問題を抱える。

「重要事項留保説」

行政権の行使つまり行政活動のうち、どこまでが法律による根拠(=立法府による行政府への授権)を要し、どこまでが要さないかについての学説の一つ。行政活動に関する本質的事項や重要事項については法律による根拠が必要であるとする学説。ここでの本質的・重要事項の内容は多義的だが、もっぱら例えば国土開発計画や公共工事のような、国民の将来の生活に多大な影響を及ぼすような、議会において法案として審議され、国民の目に触れるべき政治的重要性を持つ事項をさす。

「組織規範/根拠規範/規制規範」(botでは規制規範を分割)

行政法の分類の一つ。各行政機関の設置、所掌事務そして各機関の関係を定める法律を「組織規範」。組織規範の存在を前提に、その所掌事務の範囲内の行政活動であるが、さらに特別の根拠を要するとして定められた追加的な法律を「根拠規範」。そして、行政機関により行政活動を適正なものとするための手続などを規定する法律を「規制規範」という。現在のところ、いかなる行政活動に根拠規範が必要であるかについては様々な学説があるが、少なくとも個人の自由や財産を侵害する行政活動はそれにあたるという点では一致している。なお、ある規定が組織規範なのか根拠規範なのかが不明確である場合もある。

「行政罰」

行政上の義務違反に対して科される罰のこと。これに対して刑法上規定された反社会的・反道徳的行為に対して科される罰のことを刑事罰という。行政罰は、その義務違反に対して刑法上の罰(死刑・懲役・罰金など)を課す行政刑罰と、刑法上の規定がない秩序罰(過料)に区別される。行政刑罰は行政法上規定がある場合を除き、刑事罰と同様に刑事訴訟法に基づいて裁判を行い、その判決によって科され、前科もつく。秩序罰については、法律によるものの場合には非訟事件訴訟法に基づく裁判所の決定によって、条例の場合は当該条例を制定した自治体の首長による行政処分によって科され、前科はつかない。なお、交通違反の反則金は行政罰の一種だが、行政刑罰と秩序罰のどちらにあたるかは不明確(多数説は、簡素化した行政刑罰の一種としている)。

経済関係

「東証一部/東証二部」

それぞれ、かつて東京証券取引所(東証)に存在した株式市場区分である「第一部市場」「第二部市場」の通称。どちらも厳格な審査基準(流通株式数などの形式要件と、企業の健全性・継続性に基づく実質要件)を満たした企業のみが上場でき、結果として優良大手企業・中堅企業が集まる株式市場である。特に東証一部は審査基準がより厳しい。2022年4月4日の市場区分見直しによって、一部上場企業はは「プライム市場」および「スタンダード市場」に、二部上場企業は「スタンダード市場」に移行した。

「東証マザーズ」

かつて東京証券取引所(東証)に存在した市場区分の一つ。新興企業・成長企業・ベンチャー企業を対象とする株式市場。同じ東証が運営する「JASDAQ」も新興企業・成長企業・ベンチャー企業を対象とするが、マザーズはより審査基準が緩いこと、JASDAQはその歴史の長さによりもはや新興とは呼べない企業も上場し続けていたことといった違いがあった。2022年4月4日の市場区分見直しによって、マザーズ上場企業の多くは「東証グロース」に移行した。

「JASDAQ」

ジャスダック。かつて東京証券取引所(東証)に存在した株式市場の一つ。より正確にはある程度安定した成長企業を対象とする「JASDAQスタンダード」、ベンチャー企業を対象とする「JASDAQグロース」の二つの市場区分の総称。日本初の新興成長企業・ベンチャー企業向けの株式市場である。元々は証券取引所ではなく、東証が運営するものでもなかったが、様々な経緯を経て東証の管理下となった経緯を持ち、長きにわたる上場によってもはや新興企業とは言えなくなった企業も上場し続けていた。2022年4月4日の東証市場区分見直しによって廃止され、多くの企業は「東証スタンダード」と「東証グロース」に移行した。

「東証プライム」

2022年4月4日の東京証券取引所の市場区分見直しによって誕生した市場区分の一つ。多くの機関投資家の投資対象になりうる時価総額と非常に高いガバナンス水準を備え、投資家との建設的な対話(=高い透明性・公開性など)を中心に据えた企業向けの証券市場。東証の株式市場の最上位であり、海外からの投資も見込まれる最大手の企業が中心となっている。かつての「東証一部」の後継ともいえるが、上場基準・上場維持基準はより厳しくなっており、東証一部上場企業の2割はこちらではなく「東証スタンダード」に移行した。

「東証スタンダード」

2022年4月4日の東京証券取引所の市場区分見直しによって誕生した市場区分の一つ。公開市場での投資対象として十分な時価総額とガバナンス水準を備えた企業向けの株式市場。ある程度の成長性と安定性を持つ大手企業・中堅企業の株式がここで取引される。かつての「東証二部」および「JASDAQスタンダード」の後継にあたり、それらに上場していた企業の多くがこちらに移行している他、「東証一部」の後継にあたる「東証プライム」の上場維持条件の厳しさなどから、東証一部上場企業の2割もこちらに移行している。

「東証グロース」

2022年4月4日の東京証券取引所の市場区分見直しによって誕生した市場区分の一つ。高い成長性が期待できるが投資リスクも高くなりがちな新興企業向けに設けられた株式市場。いわゆるベンチャー企業を中心とする株式市場である。かつての「東証マザーズ」と「JASDAQグロース」に上場していた企業の多くはこの東証グロースに移行している。

「インサイダー取引」

内部者取引とも。上場企業の関係者等による、自らの職務で得た株価に影響を与えうる未公開情報を利用した、株売買で利益を得ようとする行為のこと。自らの企業業績の上方修正を知った役員が、その公開前に自社株を購入し、上方修正公表後の株価上昇後に売却する、というのが典型例。株式市場の公正性を害する行為であるため、違法とされている。

「官製相場」

政府による財政政策や中央銀行による金融政策、その他政府系金融機関などの政府系組織による大規模な取引によって金融市場が大きく動き、相場が形成されることを指す言葉。日本においては特に日本の中央銀行である「日本銀行」による金融政策、株式・為替市場への介入の他、「年金積立金管理運用独立行政法人」による株式購入によるものが有名。金融経済の実体経済との乖離を揶揄するニュアンス、官製相場の終焉に伴うであろう金融市場の混乱を危険視するニュアンスで用いられることが多い言葉。

「アジア通貨危機」

1997年に発生した、東アジア・東南アジアにおける急激な通貨安と、それによる経済成長の大幅後退のこと。米国を主とするヘッジファンドによる通貨価値暴落を狙った大規模なタイ・バーツ空売りを発端とする。東アジア・東南アジアで多く採用されていた「ドルペッグ制」(ドル―自国通貨限定の固定相場制)の下、実体経済と通貨価値に乖離が発生していたところを狙われたもの。タイ中央銀行はドルペッグ制を維持すべく為替介入を実施したが、中途で断念して変動相場制に移行せざるをえなくなり、バーツはさらに急落。さらにその影響で他のアジア諸国も変動相場制に移行せざるを得なくなり、連鎖的に各国通貨も急落した。この影響は当時ドルペッグ制を採っていた国以外にも及び、また経済的混乱だけでなく政治的混乱の発端ともなった。

「ドルペッグ制」

固定相場制の一種で、自国通貨価値を米ドルに対して固定するもの。つまり米ドルを基軸とする固定相場制。本来の適正な通貨価値との差分は政府・中央銀行による金利調整・為替介入によって埋め合わせる。現在では主に政治・経済が不安定であり、自国通貨価値が乱高下しやすい国家、かつ米国と経済的な関係の深い国家において、自国通貨価値を安定させるために採用される。中東の産油国で多く採用。ただしこの仕組みは、米国の金融政策の影響を自国通貨も被ること、本来の通貨価値との差分が過大になると通貨危機・経済危機を招くといった問題を持つ。

「労働集約型産業」

様々な産業のうち、人間の労働力に依拠する割合が高く、資本(機械など)に依拠する割合が小さい産業のこと。飲食業や介護業を代表とする多くのサービス業はこれにあたる。労働者の人数や能力に頼るため、人件費が嵩みやすいが、一方で大規模な生産設備を比較的要しないため、初期投資は小さくなりやすい傾向を持つ。

「資本集約型産業」

様々な産業のうち、産業機械などの資本(生産設備)に依拠する割合が高く、人間の労働力に依拠する割合の低い産業のこと。重工業やインフラ事業はその代表例。大規模な生産設備を要するため初期投資が高くなりやすいが、労働者の数や人件費は相対的に抑えることが可能。

「知識集約型産業」

様々な産業のうち、知識労働・頭脳労働に依拠する割合が高く、それ以外の意味での労働や資本(機械など)への依拠が小さい産業のこと。研究開発業や弁護士など何らかの専門的知識を要するサービス業はこれにあたる。「労働集約型産業」の一種とも捉えられるが、単に労働者を増加させるだけでは必ずしも業績は向上しない。

国際開発

「アジア」

ユーラシア大陸のうちヨーロッパ(に加えてシベリア)を除いた地域を広く指す言葉。さらに地域により西アジア、中央アジア、南アジアという形で呼び分けることも。元々は地中海東岸地域のみを指す言葉としてギリシャ・ローマ人により用いられた言葉だが、ヨーロッパ人の地理認識の拡大と共に、アジアの範囲も拡大した。そのため、一口にアジアと言ってもその内には多種多様な地理的特徴、文化的特徴を持つ地域を含んでいるため、例えば「アジア的」という言い方は不正確なきらいがあり、またヨーロッパ中心主義的な言葉として批判・忌避された歴史もある言葉だが、現在では一応広く受け入れられている。

「アジア開発銀行」

ADBと略。「国際開発金融機関(MDBs)」の一つで、アジア・太平洋地域を対象とするもの。1966年設立。本部はフィリピンのマニラにある。アジア・太平洋地域における中進国・途上国の経済成長・貧困削減を目的に、政府や企業、NGOへの融資・技術協力・政策提言を行っている。加盟国29・加盟地域49(域外加盟も含む)の出資によって運営されており、最大の出資国は米国と日本。設立前も含め日本・米国の主導力が大きく、これまでの総裁は全て日本人となっている。さらに最貧国を対象とした融資基金としてアジア開発基金(ADF)を運営しているが、「アフリカ開発銀行グループ」とは異なり、何故かADBとADFをまとめてアジア開発銀行と呼ぶ例はない。中国主導で2013年に設置された「アジアインフラ投資銀行(AIIB)」とはある程度協調関係にある。

「アジアインフラ投資銀行」

AIIBと略。主にアジア太平洋地域を対象とする「国際開発金融機関(MDBs)」の一つ。中華人民共和国の主導で2013年に設立され、MDBsとしては最も新しい。「アジア開発銀行(ADB)」による中進国・途上国支援を、主にインフラ整備において補完することを目的としている。加盟国数は103とADBを超える。ADBが対象としていない中東地域も対象とすることや、融資先を加盟国組織に限定しないなど小回りが利くことが特徴。中国の「一帯一路」構想の一環で設立されたこと、小回りが利く一方で運営方針が不透明といった理由から、日本・米国は加盟していない。

「米州開発銀行」

IDBと略。中進国・途上国の経済成長・貧困削減を目的に、政府や企業、NGOへの融資・技術協力・政策提言を行う「国際開発金融機関(MDBs)」の一つで、ラテンアメリカ・カリブ地域を対象とするもの。1959年設立。本部はワシントンD.C.にある。加盟国48の出資により運営されており、米国を最大の出資国とし、ブラジル、アルゼンチンがそれに続く。地域内経済統合にも注力しており、他のMDBsに対する特色の一つ。また下部組織である米州投資公社(IDB Invest, IIC)、多数国間投資基金(IDB Lab, MIF)とまとめて米州開発銀行グループともいう。

「欧州復興開発銀行」

EBRDと略。中進国・途上国の経済成長・貧困削減を目的に、政府や企業、NGOへの融資・技術協力・政策提言を行う「国際開発金融機関(MDBs)」の一つで、欧州の旧社会主義国(=中東欧諸国)を対象とするもの。通常の意味での経済成長推進・貧困削減ではなく、社会主義体制から自由主義体制への移行促進を目的としており、そのため民間セクターへの投融資・支援を主とし、また複数政党制、多元主義をとる、取ろうとする国家以外は支援しないという特色を持つ。加盟国数は71で、さらにEUと欧州投資銀行が加盟する。

「アフリカ開発銀行」

AfDBと略。中進国・途上国の経済成長・貧困削減を目的に、政府や企業、NGOへの融資・技術協力・政策提言を行う「国際開発金融機関(MDBs)」の一つで、アフリカ地域を対象とするもの。1964年に設立された。本部はコートジボワールのアビジャンにある。アフリカ諸国全てを含む81ヶ国が加盟する。またアフリカ開発銀行によって最貧国支援のために設立されたアフリカ開発基金(ADF)、ナイジェリア政府が出資し、ある程度安定した国の政策プロジェクト等に対する譲許的融資のみを行うナイジェリア信託基金(NTF)とまとめてアフリカ開発銀行グループという。

「譲許的融資」

ODAや「国際開発金融機関(MDBs)などによる中進国・発展途上国向けの融資で用いられる言葉。一般の金融市場を介した融資よりも借手に有利な融資のこと。あくまでも融資であるため返済義務が生じる。特に発展途上国の政府や企業にとって一般の金融市場における融資はリスクが高いとして受けられないか、受けたとしても返済が困難になりやすい(単なる経営難だけでなく、必要だが収益性の低い公共インフラ事業など)ため、譲許的融資が頼りとなる。譲許的融資がどれほど借手に有利か(譲許性が高いか)は、グラント・エレメントと呼ばれる指標によって示される。

「グラント・エレメント」

GE。発展途上国に対する融資について、その融資がどれほど途上国支援としての性質を持っているかを示す指標。「(融資の額面価値 - 将来の元利返済額の現在価値)÷融資の額面価値」で計算し、%で表記する。ここで「将来の元利返済額の現在価値」は、今後毎期毎に支払う返済額を事前に仮定した一定の金利(割引率)を用いて融資時点の価値に直して合算したものであり、これが小さいことは実質的な返済額が安いことを示す。つまりGEが大きいほど借手である途上国に有利な融資と言うことになり、支援としての性質が大きい。「開発援助委員会(DAC)」が1968年に提示した指標であり、GEが25%以上であることは融資がODAとみなされるための条件の一つ。なお、実際のODA内でのGE平均は90%を超えているが、日本のGEはその中で一貫して低いことが指摘されている。

「将来価値/現在価値」(botでは分割)

現在価値は割引現在価値とも言う。投資や企業買収などで用いられる概念。現在の価値に金利などの収益を加えて将来のある時点での価値に換算したものが「将来価値」、将来得られる価値から金利などを割り引いて現在の価値に換算したものが「現在価値」である。貨幣の価値が時間によって変化することを踏まえて金融商品等を評価する際に用いられる。例えばここにある100万円を年利10%で1年満期の定期預金に預けると、来年には110万円になる。このことは現在の100万円の1年後の将来価値が110万円であることを意味し、同時に1年後の110万円の現在価値が100万円であることも意味している。なお、この例では金利以外の要素を考慮していないが、実際の計算の際には金利以外の要素も考慮した収益率・割引率を設定する。収益率は将来価値における概念、割引率は現在価値における概念だが、その実質は同じ。

「資源ナショナリズム」

自国領域内で産出される天然資源は自国で開発・管理すべきという考え方と、この考え方に類する諸政策のこと。外資系資源採掘企業やその設備の国有化、産出資源の価格・産出量管理はその例。特に経済力・技術力の不足や政治的事情から天然資源開発を先進国企業に掌握された後発国・旧植民地国の政策として1930年代頃のソ連による外資系企業国有化から現れ、1951年のイランにおける石油部門国有化の試み、52年の国連総会決議、60年のOPEC創設、61年の国連「天然資源に対する恒久主権の権利」宣言を経て、70年代頃に最盛期を迎えて国連「新国際経済秩序樹立に関する宣言」「国家の経済権利義務憲章」で明確化された。80年代、90年代には一時後退したが、2000年代になって再度隆盛しつつあると言われる。しかしこの資源ナショナリズムは「第一次オイルショック」のように世界経済に悪影響を与える側面や、長期的には各国経済が資源ナショナリズムの影響によって悪化して原油需要が減少したり、資源調達を多角化して資源産出国への依存度を下げることで却って資源ナショナリズム政策を採る国家に損失をもたらすことも指摘されている。なお、この資源ナショナリズムは、自ら資源開発・管理できるほどの技術力を保有できるほどに発展した国家の主張であると言え、そもそもその程度まで発展を遂げていない国家は資源ナショナリズムを実効性あるものとして主張することができないことに注意。

「石油輸出国機構」

OPEC。1960年に石油産出国(産油国)によって結成された、産油国の共同行動のための調整・協議体、それ以前の石油市場を寡占によって事実上支配していた欧米系多国籍企業(国際石油資本、石油メジャー)から石油権益を奪回し、産油国の利益を保全することを目指していた。その試みは70年代に成果を収め、「第一次オイルショック」を引き起こしながら原油市場の掌握に成功した。しかし80年代以降はOPECの影響を嫌った各国による新たな原油開発やOPEC内の不調和によって市場での影響力を喪失した。しかし2000年代になってから新興国の発展による原油需要増大や政治的・軍事的紛争による原油価格の高騰により再度その影響力を取り戻している。

橋本行革

「中央省庁等改革基本法」

いわゆる「橋本行革」の一環として1998年に成立した法律。それまでの「1府22省庁」の中央省庁を「1府12省庁」に統廃合した上で、総理府を内閣府へ改組して首相・内閣のリーダーシップ機能を強化するという方針を示し、またその具体化・実施組織として「中央省庁等改革推進本部」を設置するもの。本法に基づく中央省庁再編は2001年に達成された。首相直属の「行政改革会議」の最終報告に基づき成立したもので、当時の政治・経済状況において、内閣が与党議員・各省庁の意思を調整し実現するという従来の政治手法が不能化したという認識を背景とする。

「橋本行革」

1996年に発足した第二次橋本内閣(自民党単独・社民さきがけ閣外協力)により行われた行政改革のこと。「バブル経済」の崩壊に象徴される経済停滞と、「五五年体制」の崩壊に象徴される従来の政治手法の不能化に対応すべく、執政(内閣・首相)のリーダーシップ機能を強化することを目的とする。首相直属組織として設置された「行政改革会議」に基づいて進められた。中央省庁再編(1府22省庁→1府12省庁)と内閣機能強化(総理府の内閣府への改組と権限集中)を主な骨子とし、前者については1998年の「中央省庁等改革基本法」成立と2001年のその実行により達成されたが、後者については一度頓挫して後の小泉政権を待つことになった。なお、第二次橋本内閣の掲げた改革はこの限りではなく、経済・財政・金融・社会保障・教育それぞれの改革を含み込んでいたが、「橋本行革」とは一応区別される。

「中央省庁再編」

1998年に成立した「中央省庁等改革基本法」に基づき2001年に達成された、中央省庁の統廃合・再編。「橋本行革」は主にこの改革を指す。首相・内閣のリーダーシップ機能を強化するべく、それまでの「1府22省庁」の中央省庁を「1府12省庁」に統廃合した上で、総理府を内閣府へ改組した。当時の政治・経済状況において、内閣が与党議員・各省庁の意思を調整し実現するという従来の政治手法が不能化したという認識を背景とし、橋本首相直属の「行政改革会議」最終報告に基づき、さらに「中央省庁等改革推進本部」によって具体化されたもの。ただしこの改革は完全なものと言えず、省庁間の連絡・調整に齟齬があったため、後に新設された省庁もある。

司法

「弁護士」

他人からの依頼を受けて、もっぱら依頼者の利益のために法・法律に関する業務を行う専門職のこと。日本においてはさらにそのうち弁護士法に規定される者を指す。その成立は法・法律の発展と一体であるため、各国の法・法律が異なるのと同様に、各国の弁護士の性格や地位も各国ごとにかなりの多様性がある。弁護士の活動はもっぱら依頼者の利益のためではあるものの、「法の支配」の観点からはむしろそのことによって国家の成員全員にあまねく法を行き渡らせる役割を担う重要な職業と位置づけられ、職務上必要な特別の権限を持ち、また保護・規制を受ける。

「非弁活動」

非弁行為とも。弁護士資格を持たない者が弁護士を名乗ったり、弁護士にのみ許された事務を報酬を得る目的で反復継続して行うこと。弁護士資格のない、専門性を欠いた者が法律事務に関与することは法秩序の混乱・紛争の不適切な解決に繋がることから、違法とされるのが通例。ただし、司法書士など「隣接法律専門職」は弁護士の扱える事務の一部を扱うことができる。

「弁護士会」

弁護士によって組織される団体の総称。「法の支配」の担い手として重要であり、国家からの自律性が求められる「弁護士」の活動に関して、弁護士自らによって規律する(弁護士自治)ための組織として各国に存在し、各弁護士への指導監督や養成、所属弁護士の情報交換・研鑽や、法律相談・弁護士への仲介などを行う。ただしその実態は各国の法制度によって様々であり、日本のように加入しなければそもそも弁護士としての活動が不可能な場合もあれば、アメリカの一部州のように任意加入であったり、そもそも弁護士自治のためではなく国家による弁護士統制のための組織であることまである。

「日本弁護士連合会」

日弁連と略。弁護士法に基づいて設立されている、日本全国の弁護士・弁護士法人・弁護士会の指導・連絡・監督、入会資格審査や懲戒を行うための組織。弁護士自治の実現、つまり弁護士の自律性を担保するべく各地に置かれた「弁護士会」が全国単位で連合したもの。強制加入団体であり、入会しなければ弁護士業務を行うことはできない。なお、その構成上自ずから弁護士の利益団体もしくは代表としての性質も持ち、社会貢献活動や提言活動も行うが、労働組合のそれと同様に、強制加入団体でありながら特定の政治的活動を行うことの是非がしばしば指摘される。

「司法アクセス障害」

貧困、知識の不足、障がい、物理的距離、心理的な忌避感といった様々な事情により、司法および法律専門家によるサービスを受けることが困難な事態のこと。「法治主義」や「法の支配」の理念に照らせば、ある国家の法・法律は当該国家領域においてあまねく適用されていなければならない。司法アクセス障害が蔓延している状況は、法・法律の適用を事実上受けていない人々が多く存在することを意味するため、問題視される。「法テラス」はこの解決を目的とする仕組みの一つ。

「法テラス」

日本司法支援センターの通称。総合法律支援法に基づき全国に設置されている、法的問題の解決支援機関。貧困・知識不足・心理的抵抗・物理的距離などによって人々が十分に司法を利用できていないという問題の緩和を目的とし、法律情報の提供や弁護士事務所などの案内、貧困者への無料法律相談・弁護士費用立て替えなど、司法サービス利用に関する様々な支援活動を行う。2000年代の「司法制度改革」の成果の一つ。

「心証」

特に裁判官について用いられる、裁判官による事実認定や証拠評価に関する判断を指す言葉。裁判において提出された証拠がどの程度信頼に値するか、当該裁判の争点にどの程度関わり、最終的な判決にどれだけ影響するかに関する、経験則や論理整合性に基づく合理的な判断。誤解されやすいが、「主観的な好き嫌い」や「なんとなくの印象」のことでは一応ない。

「執行力」

民事裁判の判決・決定や公正証書など人々の間の権利義務関係を確定する文書の持つ、当該判決・決定や文書によって確定した権利を公権力によって強制的に実現・確保する効力。すなわち、財産差押えなどの「強制執行」を行うことのできる効力のこと。なお、この執行力を持つ文書のことを債務名義と言う。さらに、強制執行を行う効力はないが、それ以外の手続(行政上の記録処理など)で確定した権利を実現できる効力があれば、それは広義の執行力を持つと表現されることもある。

「既判力」

ある確定した裁判判決の持つ、当該裁判で確定した権利義務関係について別の裁判で争えず、裁判所もその判決に抵触する判決を出せないという拘束力のこと。一度確定した判決を覆すことがあり得ることは裁判の目的に反すること、一度審理を行ったからにはそこでの立証不足は当事者の自己責任であるといった理由による。なお、刑事訴訟においては「一事再不理原則」のことを指すため注意が必要。

「(司法上の)強制執行」

民事裁判の判決・決定や公正証書などにより確定した権利義務を、公権力の行使によって強制的に実現・履行させる措置のこと。財産差押えによる借金の強制的返済を代表例とする金銭執行と、建築物を不法に占拠する者を強制的に立ち退かせるような非金銭執行に分けられる。あくまで私人(債権者)の権利を実現する措置であり、行政上の義務を強制的に果たさせる「行政上の強制執行」とは異なる。

「実質的証拠力/形式的証拠力」

民事裁判において証拠として用いられる文書について、その文書がなんらかの事実を証明することに役立ち裁判判決に影響を与えうること、もしくはその程度を「実質的証拠力」という。対して、その文書が文書を作成したとされる者の意思に基づき作成され、その意思や判断を示すものであること(文書の成立が真正であると認められること。偽造でなく、下書きなどでないこと)を「形式的証拠力」という。形式的証拠力は実質的証拠力を得るための前提であり、形式的証拠力のない文書には実質的証拠力もない。

「証拠能力/証拠力」

裁判において、ある事物や供述が裁判において証拠として用いられる資格のことを「証拠能力」。その事物が証拠として裁判所で審理された結果持ちうる、裁判官の心証に影響を及ぼし判決を左右する力を「証拠力」という。証拠能力のない事物はそもそも審理の対象にならず、証拠能力があっても審理の結果その真実性の低さなどにより裁判官の心証に影響を及ぼさないならば証拠力はない。証拠力は民事訴訟においては証明力ともいう。

「伝聞証拠禁止の法則」

伝聞法則と略。法廷の外に存在する人物の供述を記した文書や、その供述の又聞きを内容とするような法廷での供述(まとめて伝聞証拠という)には原則として証拠能力を認めないという訴訟法上の原則のこと。裁判において供述の真実性を判断するためには、法廷においてその供述者に尋問をしなければならない。ここで、本来の供述者が法廷にいない伝聞証拠は、そもそも尋問が不可能であり、よって真実性を判断することもできないため、証拠能力がないとみなされる。但し、検察官のとる調書など、例外的に証拠能力を認めることもある。また日本においてこの伝聞法則は刑事訴訟についてのみ法制化されている。

「公判前整理手続」

刑事訴訟において公判前に行われる、裁判の争点とその審査のための証拠を厳選し、公判のための審理計画を立てる手続のこと。裁判官が検察官・弁護人双方の主張を聞いて争点を絞り込み、それに基づいて裁判官・検察官・弁護人がその争点について争うに必要な証拠とその審査方法を検討した上で、さらにそれに基づき公判のスケジュールを決定する。「司法制度改革」の一環として、裁判の迅速化・裁判員の負担軽減のための措置として2005年に整備された仕組み。

その他②

「着弾距離説」

国際法における「領海」の範囲について、大砲の着弾距離を限度とする学説のこと。領海概念が誕生した18世紀半ばにおいてその距離を3海里として各国に広く受け入れられ、国際慣習法として機能した。ある国家の領土が当該国家の実効支配が及ぶ陸地(=武力を行使できる)であるのと同様に、領海も当該国家の実行支配が及ぶ範囲(当時の武力=大砲で攻撃可能な範囲)と定義づけたもの。後に軍事技術の発展もあって19世紀半ば頃から崩れることとなった。

「官製ワーキングプア」

ワーキングプア、つまり労働しているにもかかわらず貧困状態にある人々のうち、国・自治体が営む事業・公共サービスに従事する者のこと。非正規公務員や、国・自治体からの事業委託を受ける民間事業者、公社、NPOなどの従事者に当てはまる例がある。主な発生の原因には、国・自治体の予算の不十分さ、それに伴う人員削減・人件費削減や、事業委託の際の委託料の低さがあり、事実上国・自治体によって生み出されたワーキングプアとして問題視される。2007年頃から登場した用語。

「新電力」

日本において1990年代から進行した電力自由化(特に2016年の家庭向け電力小売市場の自由化)に伴い多数登場した、東京電力・四国電力など大手電力会社「以外の」電力小売り事業者のこと。発電事業や何らかの送配電事業は行わない小売り専業のものが大半を占めるが、ある地域で発電した電力を当該地域で消費する地産地消型新電力や、ソーラー発電など再生可能エネルギーを重視する新電力、ガス会社などによる他サービスと抱き合わせる形態など、実態は多様。なお、2023年3月現在、燃料費高騰などに伴う発電コストの増大や、参入障壁の低さの反面としての企業体力のなさなどによって破綻・撤退する例が多く問題となっている。

「電力自由化」

電力市場の規制緩和のこと。それまで電力供給の安定化の観点から電力市場への新規参入を限定して地域的な独占市場を公認・維持していた状態から、新規参入を認める方針に転換すること。市場競争の導入による電力事業の効率化・電気料金の低減を目的とする。発送電技術の進歩、電力需要の拡大により、電力供給の安定に度地域的な独占を要さなくなったという認識などを背景に行われる。日本では1995年に発電事業が自由化され、その後00年代から段階的に小売事業が自由化されることとなり、また従来の大手電力会社を発電・配送電・小売それぞれの事業に分割した。但し配送電事業に関してはやはり独占を要すとして自由化されていない。

「ギグワーカー・クラウドワーカー」

主にインターネット上の仲介事業者・仲介サイトを通じて単発の仕事を請け負う労働者のこと。インターネット上でのものに限るかどうかどうかなど、態様によって定義が揺れやすい。事業所など現実の場所を拠点とし、継続的に雇用関係を結ぶ従来の労働者と異なり、場所に拘束されず雇用関係も結ばないという特徴を持つ。これは従来の労働者よりも自律的でありうることを意味するが、従来の労働者に与えられていた保護を受けない・保護から漏れるということも意味する。ギグワーカーやクラウドワーカーを中心とする市場をギグエコノミーと言うこともある。

「マスメディア集中排除原則」

基幹放送(TVやラジオなど)を手段とする表現の自由を担保するために、基幹放送をする機会を多くの者に与えるという放送法91条の理念を実現するために採用されている、放送の多元性・多様性・地域性を担保するための様々な規制、特に株式保有による基幹放送事業者の所有・支配に関する規制の総称。放送法93条や電波法7条などに規定される。これにより原則としては1都道府県につき一つの独立した基幹放送が少なくとも存在することを求めるが、時代と共に規制は緩和されている。またインターネットが普及した現在においてはこの原則の必要性自体も論点となっている。

「国葬」

国家による葬儀のこと。君主制国家における君主や、その他国家に対して何らかの地位や功績があった者の葬儀として行われるのが通例だが、実際の事例やその具体的内容は当該国家の制度・慣行に依る。日本においては天皇・上皇の葬儀である大喪の礼が国葬の一つとされる他、(国葬儀として一応区別した上で)吉田茂元首相、安倍晋三元首相についても行われたと言われるが、特に国葬について定める法や制度がないため、何をもってして国葬とするかは曖昧。

「待機児童」

日本における、保育所への入所を申請しているが、保育所定員の問題から入所することができず、定員に空きができるまでの入所待ちとなっている子どものこと。現在では1990年代末頃からその増加が社会問題となったことで有名だが、60年代、70年代にも問題となっている。自らの子が待機児童となると親が家庭で育児をせざるを得ないため、結果として育児負担だけでなく経済的負担も重くなることによる相対的な貧困化、それを恐れるが故の出生率の低下、そして親が働けないことでの労働人口の減少が予想されることから大きな問題となり、2000年代から様々な施策がとられた。現在では待機児童数はかなり減少したものの、「隠れ待機児童」の問題が残っている。

「隠れ待機児童」

日本において、利用したい認可保育所に入所できていないが、「待機児童」として数えられない子どものこと。距離の問題など何らかの理由で特定の保育所のみを希望しているが定員を超えるため入所できない場合や、入所できないために親が求職活動を停止して保育している場合、認可保育所ではない保育サービスを受けている場合、入所している場合などが当てはまる。待機児童数の減少した2022年においても7万人を超える隠れ待機児童が存在する。また一方で定員割れを起こす保育所も発生しており、需要と供給のミスマッチも指摘される。

「教育権」

誰かに対する教育の内容や方法を決定し、それを実施する権利もしくは権限のこと。一般に国家や親が持つとされる。教育権を保有する者が誰であるかは、被教育者にどのような内容・方法の教育が施されるかと密接に関わることもあり、誰が教育権を持つのか、誰が持つのかが明らかになったとしてどこまでが教育権による裁量として認められるのかが問題となる。なお「教育を受ける権利」とは異なる。

「請願・陳情」

主に政治家ではない私人が、政府に対して直接、意見したり、要望を出したり、苦情を言うこと。法的拘束力は持たず、もっぱら政治的効果のみを持つ。民主制に欠くべからざるものとして捉えられることが多いが、近代民主制の成立以前や非民主主義国家においても見られる政治参加手段でもある。日本国憲法では16条に「請願権」の規定を置く。また、請願と陳情の区別は曖昧だが、日本では議会議員の紹介のあるものを請願、それ以外を陳情とすることが多い。建白や嘆願もほとんど同じ意味の言葉。

差別

「寝た子を起こすな論」

なんらかの差別の解決方法としてしばしば挙げられる、当該差別の存在に言及しないことで当該差別が社会的に忘却されることを目指す手法、もしくはそのような主張。自然解消論とも。当該差別がある程度解消されつつあると認識された状況下で主張されやすい。現在および過去の差別の事実の隠蔽を手段とすること、誤解やデマの発信への対抗手段を自ら捨てる点、実効性が不明である点など問題が多い。部落差別問題において批判的に言及されたことを発祥とする。

「種差別」

ヒト以外の生物に対する差別のこと。生物「種」に基づく「差別」。動物の権利を擁護する際に用いられる言葉。例えば「功利主義」のように、ヒトとその他の生物種の間の区別を前提としない、もしくはその区別が理論的に意味をなさない政治哲学的立場によって、ヒトとその他の生物種の区別は、ヒトとその他の生物種の間の取り扱いの差異や持ちうる権利の差異を正当化する根拠たりえないとして主張される。

「統計的差別」

統計データに基づく合理的判断によって結果として生じる「差別」のこと。ある属性を持つ人物は「○○する傾向がある」ことを根拠に、その属性を持つ個人を「○○する」者として不利な取り扱いをすること。合理的判断によって生じるもののみを指し、差別をする意図のある差別は含まない。女性は結婚に伴う退社や育児休業を取る傾向があることを根拠に、女性労働者を重用しなかったりそもそも雇用しないというのは典型例。

「人権三法」

それぞれ2016年度に施行された「障がい者差別解消法」「ヘイトスピーチ解消法」「部落差別解消推進法」の総称。どれもそれぞれが指定する対象についての差別を解消することを目的に制定された法律である。また、全て罰則を規定せず、行政機関や民間企業などに対してこれら法律が示す理念の実現を求める「理念法」でもある。これらに対して、対象が個別的に過ぎ、また実効性も不足するとして、より包括的な差別禁止法・解消法の制定を求める意見もある。

政治学系

「政治理論」

政治における規範的な価値の探究、もしくは「政治」そのものの性質の探究と、それらから得られる知見を前提とした望ましい政治制度・政治秩序の模索を目的とする政治学のこと。政治哲学とほぼ同義だが、特に規範的な価値の探究を行うものを(規範的)政治哲学、「政治」そのもの性質を探究するものを政治理論とする場合もある。但しこの区別は厳密なものではなく、実際の研究ではこれら両方の要素が交差もしくは混合するのが通常。

「科学的政治学」

自然科学の手法(計量分析や実験等)を積極的に導入し、政治の経験的分析をもっぱらの目的とする政治学のこと。1960年代の「行動論革命」の影響を強く受け、研究者自身の価値判断を極力排した客観的な学知としての政治学、すなわち「政治学の科学化」を目指して生まれた。しばしばアメリカ型の政治科学(political science)がその代表とされ、ポリサイと略すことも。ただし、このタイプの政治学の強調は、政治学の規範性・独自性・潜在力の自己否定に繋がることにも注意。

「政治的なもの」

政治的なるもの、ともthe politicalの訳語。狭義の「政治理論」において、現実に行われている「政治」と区別された、「政治」の根底にあるもの、「政治」の存在条件、「政治」の基盤、現存秩序を根底から揺るがすものを指す概念。その具体的性質・定義付けは論者により大きな幅があるものの、いずれもこの概念を政治理論の中核に据えることで、政治そのものを経済や合理性に還元しない形で把握することを目指した。

「民主的正統性」

国家の活動、公務員や議員などの地位や権限、法制度・政治制度などなど(以下、政治制度等)で問題となる、それらがどれほど人民の意志に基づいているか、どれほど人民にとって合法的なものとして受け入れられうるかの程度のこと。政治学・法学が特に民主主義体制における政治制度等について検討する際に用いられる概念であり、それらの「望ましさ」や「与えるべき権限の大きさ」を判定する際の重要な一基準。高ければ高いほど望ましい。逆に民主的正統性が欠如した政治制度等は、他の要素(合理性・能力・利益など)がどれほど優れていたとしても、「望ましくなく、採用すべきでない」という評価が下される場合すらある。なお、民主的「正当性」ではない。

「社会国家」

一定以上の生活水準の確保、経済的・社会的不平等の是正、劣悪な労働環境の是正などの社会正義の実現を目的に、社会・経済に積極的に介入する国家のこと。国民の「社会権」を重視する国家社会保障制度が登場した19世紀以降広がりをみせ、現代では少なくとも先進国は程度の差こそあれ全て当てはまる。従来の国家(夜警国家・自由主義国家)は、国家の役割を最小限に留め、なるべく社会・経済に介入しない消極的な方法で「自由権」を実現する国家であったが、その自由権はあくまで法的・形式的なものにとどまり、現実の社会経済的不平等によってそもそも自由権を十分行使できない人々が多数生じることになった。この不平等を事前・事後の両方から是正すべく成立したのが社会保障制度や社会権概念、そして社会国家である。なお「福祉国家」の類語だが、「社会国家」はより法学的ニュアンスを持ち、福祉国家はより政治学的なニュアンスを持つ。

「行政国家」

立法・行政・司法からなる三権のうち、行政権が優位性を持つ国家のこと。19世紀後半から20世紀にかけて発達した。それ以前の(古典的)自由主義を前提としたもっぱら秩序維持のみを役割とする国家では行政権の役割も小さく、その活動の全てを立法議会の制定する法律で規律することができた。しかし、国家が社会・経済的不平等の進行に対応すべく社会・経済への広範な積極的介入を行うようになると、行政権の役割が拡大。法律による規律に限界が生じたことから、委任立法などによって行政機関に広範な裁量を認め、ある程度の問題は行政権の範囲内で解決することが通例化した。またこのことは官僚の実質的な権限の高まりも意味し、このことは民主的正統性を重視する立場から批判されうる。

「立法国家」

立法・行政・司法からなる三権のうち、立法権が優位性を持つ国家のこと。18世紀末ごろから19世紀、つまり近代の開始、近代立憲主義の確立と共に発達した。立法議会の制定する法律が国家のほぼ全ての権限の根拠であり、特に行政機関の裁量の余地が小さいことを特徴とする。夜警国家・消極国家とも言われるような、(古典的)自由主義を前提に、社会・経済への介入を最小限とする国家と不可分に存在した。しかし後に社会・経済的不平等が進行し、その国家による解決が必要となるにつれこの国家形態は維持出来なくなり、行政権の広範な裁量を認める「行政国家」に実質的に移行していった。

「男性稼ぎ手モデル」

女性は家庭で子どもを育て、男性は家庭の外で働いて生活資金を稼ぐという理念的な家族形態。性別役割分業の一種。この形態の家族は賃金労働者の増加と賃金所得の増加に伴い、18世紀末頃に登場してから20世紀半ばに先進国の多くで主流化したとされる。このモデルは長らく各国の家族政策や労働政策・社会保障政策、そして産業構造・市場構造の前提として扱われ、またこのモデル自体もそれらによって補強されてきた。

「強制的同一化」

Gleichschaltung。均質化政策とも。かつてナチス・ドイツによって行われた一連の集権化政策とその過程の総称。司法、立法、各行政機関、ナチス党以外の政党、地方自治体、労働組合や産業団体・職業団体、宗教団体、私的なサークルなど国家以外のあらゆる共同体を解体・統一することで、ドイツ人であること以外の属性を持たない諸個人と、彼らを強力に導く国家・ナチス党指導者という一元的関係を構築しようとしたもの。これによってドイツにおける自由主義および民主主義も解体されたが、民主主義を最も純粋な形で実現しようとしたもの、非自由主義的民主主義の行き着く先ということもできる。なお、実際には完全な強制的同一化の達成にはいたらず、ドイツ社会は残存した旧来団体とナチスにより新設された団体が入交る複雑な状態となったが、これはむしろナチスによる恣意的な権力行使の隠れ蓑となった。

「社団」

ある一定の目的によって人々が集まった集団で、さらにその集団そのものが一個の存在として活動するもの。英語ではassociation。少し不正確だが「○○が××する」という一文で「○○」になることのできる集団(何らかの動詞の主語になりうる集団)は、大抵の場合社団である。さらにこの社団が「法人格」を得れば社団法人となる。会社、NPO、慈善団体、宗教団体、政治団体、学術団体などなどさまざまなものが当てはまりうる。

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