小説 鳩胸出っ尻ヴィーナス(2)
1
彼女は静かに喋った。「私、名は〝ふよう〟ですが、兄さんのお名前をもう一度…何というんでしたか?」「あ、ふようさんかね。僕は薬袋健次郎なんだ。そう、健康な次郎さんなんだ。ありふれた百姓の次男坊の名前なのさ」と少しふざけていった。照れくささもあったが、真面目に名乗ったら白けるような気がした。彼女「あ、健次郎兄さんなんですね。すみません、今、聞き漏らしたんです。分かりました」とまた兄さんといった。
家で弟達は専ら「健次郎兄(あん)ちゃん」と呼ばれているのに、彼女「健次郎兄(あに)さん」である。この呼びかけは隣近所殆んど同じで珍しくないが、我が家ではあんちゃんが普通であったから、彼女のあにさんは照れくさかった。
気持に余裕が出たのだろうか、丁寧だが土地の抑揚が少し混じった喋り方であった。
あんた、ふようさんだったね」と確認するようにいった。健次郎は彼女を〝君〟から〝あんた〟に変えていた。「はい、漢字ではこう書きますの」といって、健次郎の方へ身を寄せると肉厚のふっくらした左の掌に、伸びやかな右の人差し指で〝芙蓉〟と書いて見せた。彼女の話しかたや手の仕草、それに息遣いは、健次郎が初めて知る芳ばしい女性の匂いであり、健次郎には女性そのものであった。若い娘の匂いというより赤子の乳臭さに似ていると思えたりする。いい娘だと思い男連中の場に決してない、芳しい雰囲気に健次郎は幻惑されてしまう。
「ほう、そういう字を書くのか、芙蓉…とは」気持を抑え「名札に小さく漢字が書いてあるが、小さくて読めなかったんだ。どう、見せてご覧。うん、小さいがそう書いてある。草冠りに天と、同じ草冠りに容積の容なのか。珍しいが清楚な感じかするなあ」に「は?…、兄さん、芙は天ではなく夫なんです。間違いやすいですが慣れれば何でもありませんわ」「うん?草冠りに夫なのか」「はい、夫、夫なんです」と恥ずかしそうに少し頬を赤らめたが、真面目な顔になり胸の名札をつまんで見せた。「この通りなんです。でも、普段は〝ふよう〟とひらがなで書いていますの」「うん、それが間違いなくていいな」「は、はい」
2
「ところで、兄さんは次男なんですの?」「うん、だから健…次郎なんだ。雄一という兄がいて長男だが我が家の跡取りなんだ。農学校に学び農業で生家を富まし、老境の祖母や頑張っている両親の行く末や、僕や幼い弟達の面倒までも見なければならんという苦労の多い立場なんだな。弟が二人、直ぐ下が三男だが中二、四男が小学六年と男ばかりの兄弟なんだ。弟達はこれから手がかかり父も兄もしばらく大変なんだ。僕その点自由だが、勉強して広い世間へ飛び出しうんと働くつもりなんだ。生家のため頑張る兄に協力しなければと思っている。両親や弟達のことを忘れずに努力する兄を僕は〝偉いな〟と尊敬しているんだ」
問わず語りに自分の立場と心境を彼女に話してしまった。こんな話題を引き出す彼女も聞き上手というか巧みであった。内容は一見深刻そうだが、健次郎は屈託なく気分よく笑いながら彼女に喋った。彼女もふくよかな顔に微かな笑みを湛え小さく頷いていたのであった。
健次郎のように明けっぴろげで嫌味のない性格だと、話を聞いてもらえて得である。「徒歩通学しているのか?春日村からとは長い距離ではないか。疲れやしないかね」などと彼女に話しかける。「はい、自宅から4キロメトル近いですから、遠いといえば遠いですが、慣れれば何でもないですわ、畑にいるお百姓さんと知り合いになったりと楽しいです」と屈託がない。
思い出したように健次郎が「芙蓉って優しい感じのする漢字じゃあないか、どういう意味なんだろう。あんた知っているんかね?」と聞き、突然、〽芙蓉っの峰の精をとり 吉野の花の香を奪い 清き心のますらおがァ…と、低く歌い出した。旧制一高の寮歌の第二小節であった。「これ上級生がよく口ずさんでいて覚えてしまったんだ」「はい、父が話してくれたことがありますの」「何、お父さん?お父さんって一高の出なのか?凄いな」「それは知りませんけど、父の話によれば、芙蓉とは本来、蓮の花のことなんです」「あ、そうか、花なのかね、蓮の?」「はい、白く大きな花なんだそうです。す朝、ぱっと咲いて夕方には、すーっと萎んでしまう〝一日花〟で、儚く短命なんですって」「へえ、短命なのか、その白く大きな花が…儚く?」「はい、儚く…でも寮歌にある〝芙蓉の峰〟というのは、富士山の別称なんです」
「何、富士山?富士山たと。すると、ご両親は富士山のように大きく気高く美しい娘になって欲しいと願いを込め命名したのか。蓮の花は短命かも知れないが美しいんだろうな。蓮の台といって、極楽浄土に生きる人達が坐る台のことだと聞いたが…。富士山・汚れなき蓮の花どちらを取っても意味のあるいい名前じゃあないか」と健次郎は感に堪えたようにいった。
健次郎の顔をじっと見ていた彼女が「兄さん、有り難う。でもそうでしょうか、私、そう思わないんです。もしそういう願いを込めたんなら、私って全く反対なんですわ」と呟いた。陽に焼けて健康そうな顔の表情に一瞬淋しげな陰が見えた。それを見て健次郎は話題を代えた。
3
「あんた、陽焼けしているが何かスポーツをやっているのかね」と聞いた。肌は白いようだが、顔・頚・腕・手と陽に曝される所は日焼けして紅味を帯びていたからだ。「はい、部活動でソフトボールを少し…」といってにっこり笑った。陽焼けした顔に明眸皓歯の譬え通り長く揃った白い前歯が揃い綺麗であった。膨れ瞼の下の瞳がきらきらして太い眉の濃さも目立つ。髪は〝からすの濡れ羽色〟というが、その通り漆黒で艶があり豊かである。それを短髪に整えきりりとした感じは力強く運動選手そのものであった。
「ほう、ソフトボールをね」と返事して頷いた。戦後アメリカから持ち込まれ、新制中学校や一部の女子高校の体育に採用された新しい球技だ…くらいは知っていたが健次郎は興味がなかった。「中学からやっています」に「ほう。それは経験を積んでいる」と話を合わせた。
健次郎が彼女に突然「今、何時?」と聞いた。彼女は手首を返し小さな腕時計を見た。「八時十五分です」に「あ、大変、今朝は早めに出てきたんだが、そんな時間だったんだ。あんた大丈夫かい。急がないといかんで」に「はい、私は大丈夫です。九時始まりなので時間は十分にあります」「へえ、九時始めだって?ゆっくりなんだね」「はい、でも、私も出ます」といって立ち上がった。背が高い。「あ、あんた大きいんだな」石に腰かけていて分らなかったが、背丈のある健次郎と同じくらいあり、驚いたように健次郎が呟いた。「育ち盛りなものですから」といってコートを着ようとしが、膨らんだ体に着にくい。健次郎がさりげなく後ろに回り「よいしょっと」と手伝うと「あ、兄さん有り難う。これ大きいサイズなんですが、きつくて…もうこれも着られませんね」といって健次郎と並んで立ったが横にも太く全体に大きい。「いや、助かりました。有り難うさんでした」と嬉しかったのかふざけ調子で礼をいった。
それに返事せず「俺の始業が八時半なんでこの農道を走るんだが、向こうに見える大杉を目標に飛ばして県道へ出るんだが、学校はまだそのずっと先の左側だ。あんたは、この道を左に真っすぐ行き、突き当りの県道を左へ歩くんだろ」「はい、そうなんです」「じゃあ気をつけてな」「はい、有り難うございます。じゃあ、ご免なさい」「うん、またな」「はい」といい自転車に乗り走り出した健次郎の後ろ姿が消えるまで道端に立ち見送っていた。
健次郎の使う僕が俺に、芙蓉さんへの君があんたに、変わり打解けた会話になったが、あんたがやがて、お前になりそうだ。多弁ではないが明るい性格の健次郎は雰囲気作りが巧みで、高校でもムードメーカーであり、不穏な場でも明るい雰囲気に変えるのが得意であった。
今朝、偶然、珍しい薬袋という同姓であったが、ここまで打解けるのは失礼ではなかったか、初めての邂逅で思慮を欠く〝注意人物〟として警戒され兼ねなかったと反省しきりであった。一方、彼女もそんな場であっても言葉は丁寧で、健次郎につられ応接に乱れることがなかった。親しげに語り合うが、使う言葉を選び健次郎との間に一定の間隔を保っていた。
4
自転車は早くて便利だ。この時間、農家は朝食後で畑や道路にまだ出ていない。農道の一本道は狭いが真ん中は砂礫がなく、人の足で踏み固められた表土は平でタイヤが地面を掴み走りよかった。走り慣れの健次郎は上気した気分で加速していた。授業へは何とか間に合う。
走りながら今お地蔵さんで別れてきた芙蓉のことで頭が一杯であった。「ふよう…芙蓉か、いい名前だ。それに何て感じのいい娘なんだろう」と呟き、その一方で「俺って何だ、あんな小娘に心を奪われて…そんな暇も資格もない筈だ、しっかりせい!」と心で己を叱ったが、照れ隠しであった。無意識にペタルを強く踏んで加速のし過ぎで急ブレーキをかけたりした。
終日、彼女が頭に浮かび消えなかった。強い、一目惚れである。今日まで学業に集中し、級友らと眼にする女高生や若い女子を、遠くから眺めるだけであった。〝おくて〟といえばそれまでだが、異性への関心が湧かなかった。異性からも何の音沙汰もなかった。考えれば無理もない。朝晩の通学は自転車で素っ飛ばし、職員を除き男っ気のない男ばかりの男子高である。
趣味は無骨な柔道、朝夕は決って家畜の世話に努め、日曜、祭日は家業の手伝いで田や畑で鍬を振っている。こんな若者に黙って寄ってくるのは蚊かぶよの類しかいない。
芙蓉が健次郎の無地の脳へ色濃く記憶された。初め淡い想いの健次郎であったが、やがてその想いが濃くなる。でも、これが〝恋〟というものかと自覚するのは少し先のことである。
今日逢った芙蓉は健康的で明るく、傍にいるだけで気持が和み心の温まるような優しさがあった。女性にはこんな優しさがあるんだ。そんな思いが頭の中に溢れ、健次郎は自転車に乗っていながら一緒に空を飛んでいるような気分であった。
学校には辛くも間に合い教室へ入った健次郎は、彼女との出会いや会話のあれこれを思い出していた。健次郎ば小学校の二年生まで、女の子と同じ教室で机を並べ授業を受けていたが、三年生から教室が男女に分かれ別教室になった。それが当たり前の時代であった。そのくせ帰宅すれば兄弟姉妹のいる家庭では生活は一緒である。勉強でも兄は妹に、姉は弟に勉強を教えることなどごく普通であった。健次郎の兄弟は兄の雄一が長男、弟二人の兄弟四人とも男で祖母、母以外に女ッ気がなく、父と男の子ばかりでは住いの中がかさつき〝潤い〟というものがなかった。母の話で兄が三歳の時、次を身籠ったが流産し、その子が長女だったかも知れないと涙ぐんでいたものだ。授かっていれば姉さんになっていたと知るが今更詮ない話である。近所には姉さんや妹さんのいる家が多く、兄弟と口喧嘩はするくせ仲は良く、遊んだり田畑に出て手伝いしている姿か羨ましくてならなかった。
5
芙蓉が人影のない寂しい農道を、朝・夕二キロメートルほど独りてくてく歩いていると知り、なぜ自転車を使わないか、それが無理ならバス通学という手があるのにと不思議に思った。
春日村からは大回りだが、中央本線のK駅前を通るバスの便があるのだ。駅前で大勢の男女生徒を乗せると県道へ出て、K女子高校前のバス停で女子高生は降りる。ここで彼女も降りればよく便利ではないか。その後バスは砂礫の悪道をガタゴト走り、南へ十五分ほど走ってF高校前で止まり、通学する友人の多くを降ろす。友人にいわせるとこの時間、乗客のほとんどは通学の高校生達で占められ、K女子高生も多く乗り合わせそれが楽しいのだという。
男子専科で学校が掲げる校是「文武両道・質実剛健」もF高生には無効のようだ。校風に「怠惰・軟弱の気風排除」もあったが、バス通学のF高生は「軟弱の気風大歓迎」とばかり、バス旅行のような楽しがあるとのこと。それがK女子高前のバス停で女子高生のほとんどが降りると、車内はF高生と他の男子高生や知らない通勤の大人達だけになり、気が抜けたようにシュンとなってしまうのだという。F高生に限らず、この年齢の男子は成長に早熟・晩生の差はあれ、性に目覚める年頃である。視線を忙しく動かし会話は専ら「あの娘はいいなあ、うん、こちらの娘もなかなかじゃないか」となる。女子高生も同じなのか「あの兄さん、素敵ね…陸上の選手で勉強もでき優秀なんだって」など秘めた呟きが洩れ、若い男女同舟に似たバス内は熱気がこもる。これは若い男女の特権であり、若い健康な人間の本性ともいえる姿でもあった。
6
授業は土曜日まであったが午前中で終え、午後は全生徒の〝皆運動〟に費やされた。運動嫌いな生徒とか、何かと都合があり日頃運動から遠ざかっている生徒の体力向上、健康の保持・増進のため、思いっきり運動させようという学校側の方針であった。一週間の放課後は、運動場も体育館も体育の部活動の場であったが、土曜日は一般生徒の体育増進日である。体育の各部もこの意向に賛成し、一般の生徒へ屋内・外の運動場を空け、必要なら各体育部員が技術提供や指導に協力を惜しまなかった。しかし、周囲の働きがけに仲々反応が鈍く、動かない生徒が多く関係者を驚かせたのである。
初めは及び腰ながら運動に興じていたようだがすぐに飽きてしまい見学にまわっていたようだ。健次郎は柔道であった。しかし皮肉にも柔道は授業として許可されず、部としても許可されず、広い柔道場の隅でひっそり稽古していたというのが実情であった。土曜のこの時間は正規外であったが、学校側でも暗黙に了解し大目に見ていたので、愛好する生徒に混じり興味のある一般の生徒誰もが稽古に励んでいた。
体育は屋内・外を問わず熱中すれば腹が空き喉も渇く。柔道も同じであった。稽古で腹が空いても校内に食堂はないし売店もない。F高校は古木の雑じり立つ広い田畑に囲まれた平地にあり、売店はなどなかった。腹の空くのが分っているので、こんな場合役立つのはあらかじめ用意した持参の弁当だけである。柔道での弁当は握り飯が多かった。愛好する生徒は余計にお握りを作って持ち寄り、一般の生徒に配ったのでこれは好評であった。お茶や味噌汁などの飲み物はなく、校内の井戸水や水道水で代用したが苦情はなかった。
7
健次郎の昼飯も通常は握り飯である。お茶はなかった。代わりに中型の水筒に自前の〝蜂蜜水〟を一杯に入れ、お茶代わり・味噌汁代わりに飲む習慣であった。蜂蜜水は蜂蜜を水で十倍ほどに薄め、食塩をまぶすように僅か混ぜたやや甘く、美味しい飲料水である。飲んで喉を潤し、発汗した体へ有効な水分補給のほか。特に暑熱の季節に稽古で大量の発汗から脱水状態になり、暑気あたり(熱中症)に陥る恐れがあった。この時内用すると喉越しのよさと甘味が全身に浸み込み、生き返るように爽快てあった。蜂蜜水は爽快さばかりでなく含む強いエネルギー源は、一時、空腹を満して力が沸き疲労回復に効果があった。また微量(2グラム程度)の塩分が雑ぜてあり、体温調節の維持に極めて重要だからである。蜂蜜水の内用は熱中症の予防や、応急手当としても役立つという。蜂蜜水のを常用する健次郎にとり蜂蜜水はまさに神薬であった。神薬は友人にも好評ですぐに無くなったが、暑く運動などで発汗の激しい時は、校内の井戸水も水道水も大いに利用していた。
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健次郎は中学時代から夢中で取り組んできた柔道も、戦後、当時GHQの占領政策によって学校での柔道・剣道など武道は正式教課から除かれ、授業も競技も禁止になっていた。柔道部も部活動もなくなった。全国の高校も同様の扱いであったとみえ、対外試合もなくなった。F高校には旧中学校時代に建てられた立派な柔道棟があり、畳床はバネ入りの優れた道場なのに、不用品の一時置場に使われていたりした。
健次郎も主だった一人だが、柔道好きな生徒達が集まって密かに愛好会を作り、無許可で稽古をしていた。学校側は土曜の午後に限り許可したが、好きな連中はそれだけでは物足りず、不用品を片付けほぼ毎日午後から大っぴらに道場で稽古していた。学校には黙認された。
今日の午前中、健次郎の授業は数学と物理であった。この二教科は関連した所があり、健次郎の好きな課目でいつも面白く講義を受けていたが、今日は気分散漫であった。午後は柔道愛好会に出た。道場に同級生以外に上級生も下級生も二十名ほどが集まり、自由に乱取りに励んでいたが、健次郎にいつもの覇気がなかった。原因は分っていた。
健次郎は体も大きく腕力もあった。道着をつけ道場に出て準備運動したものの突っ立ったままであった。強い上級生から「どうした、薬袋、元気がないな、ほら、来い!」と叱咤され、好きな柔道である。「おう」と応じ、彼女のことも何もかも忘れ稽古に熱中した。
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上級生との稽古を終えたところへ、入会して間もない同期の友人が「一番頼む」と薬袋の前に立った。「よし」と応じ二人は稽古を始めた。友人は柔道の新入りでまだ強くなかったので、投げ・受けの型から実際に投げ込みに胸を貸し、十分汗になり疲れたところで稽古を止めにした。互いに「有り難う」と一礼した時、薬袋の道着に眼をやり「お前、薬袋か。強くて羨ましい。俺、石和の土橋だが、町外れに富士シルクという工場がある。糸取り女工が百人ほどいる製糸工場だが、その社長の苗字がお前と同じ薬袋なんだ。お前、親戚なのか」と聞く。
健次郎が頭を横に振り「いや、知らないな。親戚じゃあないぜ」に「あの辺りでは、富士シルク製糸の社長さん、で通っていて苗字で呼ばないからだが、確か、薬袋利雄といって養蚕農家には名が知れているんだ。俺んとこでも季節毎に養蚕組合を通じて富士へ繭を出荷するんで名前を知っている。近くて便利なんだ。お前の苗字を見て親戚なのかと思ったんだ」という。
「いや、俺の家も養蚕をするから富士シルクって名は聞いていると思う。でも、その社長がうちと同じ苗字というのは初耳だ。親父か兄貴は知っているかも知れないな。帰って聞いてみよう。社長が薬袋利雄というんだな」と確認し土橋と別れた。
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午前中の授業、午後の柔道の稽古に集中できなかったのは、今朝初めて逢った芙蓉の姿が頭に浮ぶからであった。正義感が強く楷書の男と渾名される健次郎が初めて知る女性への淡い想いで、忘れろ、集中出きないだろう、と思うほどその念が大きく居坐るのである。一目で彼女の虜になってしまった。明日また会えるかも知れないがとの希みが湧くが切ない。
芙蓉への想いは健次郎の、生まれて初めて知る〝恋〟であったが、それと知らない子供のような健次郎で切ない想いが時間とともに膨らんだ。反対にその分、集中力は僅かに萎んていく。
若く純粋なだけに進行は急である。とはいえ、文武両道・質実剛健の校風下で教育された影響であろう、女々しくて親しい友人にも相談できなかった。これが恋っていうものなんだ、と何日もして自覚するほどの幼さである。そのくせ、真剣な〝本恋〟に成長するのは早かった。
どこがよかったのか健次郎はお相手の芙蓉に気に入られ、高校二年生の夏にその想いが強くなり間もなく相愛となって燃え上がり、自他ともに〝楷書の男〟で任じ、ストイックなほど堅物の健次郎が、芙蓉に〝童貞〟を捧げて報いようと考えたほど入れ込んでしまった。
ところが、土橋から富士シルクの社長云々と聞いた瞬間、彼女がその社長の娘なら、うっかりしたことはできないぞ、いや、想いを断ち切らねばならないかもと思ってしまった。一方、芙蓉は、健次郎を頼り甲斐のある兄のように強く思い込んでいるようなのだ。それが分るだけに健次郎の決心か鈍ってしまいそうだ。
その富士シルクのことは健次郎の出身地である平岩村の一部ではよく知られていた。平岩村から小学校の高等科を終えた若い娘が、糸取りで何人も富士へ働きに出ていたからである。娘達の多くは生家が養蚕兼用の農家であり糸取りが上手であった。繭には、くず繭という出荷できない繭玉が出る。これを母親が大きな鍋に入れ、煮立てて紡ぎ絹糸にして自家用の布に織っていた。娘達は子供の頃からその竈の傍で、遊びのように糸取りを覚えたのである。
初め危なっかしい手付きでも、器用ですぐ上手になった。製糸工場へ入社すると規模は違って大きいが仕事内容は同じである。短期間に早く手際よく仕事ができると評判になり、会社で即戦力として認められ、よい賃金を得ていた。これがどんなに生家の家計を助けたか分らない。中には賃金を貯蓄し自分の嫁入り資金に当てた娘もいた。糸取りに出している娘の生家には富士シル様さまであった。富士シルクで評判になると、それが立派な娘達だと一種の能力の保証にすり替わり、嫁入り条件の一つとして役立っていたのである。
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その日の授業を終え、健次郎は自転車に乗り何時ものようにお地蔵さんの角まで戻ってきた。
角に立つと今朝初めて逢った芙蓉さんが夢のように思い出された。今日はもう早くに自宅へ帰っているのではないか。また来週会えるだろう。と思いながらスタンドで自転車を立せてて止め、小川の水で手と顔を洗い清めると、地蔵尊に軽く手を合わせる。これは習慣通りであったが、、今日の角では少し違う仕草をした。今朝、芙蓉さんが腰かけていた大きな自然石の隣の石に腰掛け、片手をさりげなく伸ばし、掌を石の面へ軽く触れた。石の感触は固く冷ややかであったが、その石に深い思いを込めていたので。石に掌を触るだけで十分であった。これでよいと気持を鎮め自転車に近づいた。
荷台には唐草模様の風呂敷包みが縛りつけてある。中には稽古で汚れた柔道着が一着くるまっている。いつも稽古の後、道場の一隅にある準備室へ運び古い衣紋かけに吊るして置く。週末の下校時に必ず家に持ち帰り、すぐその夜のうちに自ら洗濯して夜干し竿にかけ、翌日天日に干し翌週の明けに乾燥を確認し、自転社の荷台へ縛りつけ登校するのである。
この荷物を包むのに使うのが古い唐草模様の風呂敷であり、これに包んで準備室の棚に置いてあれば、誰にも一目で薬袋のだと分るようになっていた。柔道着はどれも皆似ているため間違えないようにとの思いと、汗がしみ込み悪臭紛々の柔道着を夜に自ら洗濯して、翌日天日で乾燥と紫外線消毒し、さっぱりした道着で稽古したかったからである。今付けている悪臭の柔道着彼女知ったら驚くだろうななどと考えていた。さて、発とうと思ったが再び石に戻り、彼女の掛けていた石に坐りなおした。周囲の遠く近くに山々が春先の若い色彩で迫り、近くの畑には麦の葉が青みを増している。以前読んだハイネの四行詩の一節が頭に浮んだ。
山のかなたに住む愛しい女性に会いたい若者は遂に意を決した…。
はるばると家を訪ねて 口づける階段の石
偲ばれる裳裾の香り この石に触れたその足
夜は長く、辺りは寒く、唇に石は冷たい…
若者は愛しく想う女性を遠くから訪ねるが、会うことが叶わない。若者は女性が歩をしるし、その裳裾が触れたであろう石の階段を見つけ、愛しさのあまりその石に走り寄って口づけした、と恋情の吐露である。想う人へ若者の本心であろう。
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以前、この詩集は読んだが、健次郎は感動が全く湧かなかった。健次郎に想い慕う異性もいなければ、恋い患う体験がなかったからであろう。このため詩集を何回読んでも触れても感傷的で軟弱の気の漂う、寝言に過ぎないと思ったくらいであった。でも今は違う。詩を通じ想う人を恋う心が、ぱっと分かってきた。その愛しい人の靴が踏み、裳裾が触れたであろう階段の石はその愛しい人自身であり、想い焦がれる純な己の心を伝えられると自覚できたからである。
異性に惹かれる想いが〝恋〟というものだと解説にはあった。ひたすら発信する切ない想いが受け入れられない時、愛しさが何倍も燃え上がり、切なさが倍加するものらしい。
〝恋愛〟という言葉も聞いていたが、恋とは似て非なるものらしい。異性へ惹かれる切ない想いを恋と呼び、恋の思いを受け入れた異性と〝相愛〟となった時、恋は成就し恋愛に変り、心身共に安寧の境地に至るのではないか…恋は独り、恋愛はお相手と共に…ではないか、と健次郎は思う。化学の授業にあった遊離イオンの動向に似ていると思ってしまった。
健次郎の今の気持は、想いを吐露した詩人までとはいわないが、それに近かった。詩人が思いを代弁してくれ身震いした。彼女が腰かけた物言わぬ自然石へ手を伸ばし触れたのも、その彼女を密かに想えばこそ何の衒いもなかった。昨日のこの己と今日今の自分と何という相違であろう。一瞬、健次郎は瞑目した。しかし、詩を通じ恋情に浸った時間は僅かであった。
石から手を離してつっと立ち上がり、石に目礼した健次郎は自転車に跨り帰路へついた。生家まで大半は平坦の道だが、生家に近づくと緩いが長く続く上がり坂になり、若い健次郎も難儀になる。ハンドルを固く握り腰を左右に振り強くペタルを踏み込む。健次郎の通学の順路はおよそ次のようで、登校は楽だが・下校は息が切れ苦痛が続いた。
自宅は平沢村の山の麓を縦に通るだらだら坂を約一・五㎞上がった辺りにあった。両側に農家と、段々畑の上の広い平地に五~六十軒が平岩村を構成する一集落である。ほとんどが農家で健次郎の家はこの集落の中にある。裏手は低い山が迫り、一段高い奥は同じ村内ではあるが別の一集落で、裏手には山が控え、一般に山家と呼ばれる村落であった。
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登校日に自宅を出ると同村の平地な集落まで緩い村道の下り坂が続き、やがて広い村道へ出る。この下り坂は自転車へ乗ればペタルを漕がなくても、ハンドルとブレーキ操作だけて走り楽である。県道へ出ると上がり坂で続く平地の道路までペタルを踏み続けることになる。
一級河川の大川に架かるN橋の手前からは登り坂で、ペタルが一段と重くなりスピードが落ちる。N橋を渡ると隣の加納町で緩い下り道になる。この先は中央本線のK駅だが、その手前を右に折れ、低い鉄橋の下を潜り抜けると左右は広い田畑を分け平坦な細い農道が伸びる。その先に見えてくる鬱蒼とした森は八幡様の社で加納町の西外れにあたる。
社の横端を大回りして先へ走ると、幅は狭いが水量の豊かな川の淵に出る。大川の上流から引かれ、八幡神社のすぐ横端を通りゆっくり下流へ向かっているが、水は川底の水草が透けて見えるほど澄み、鯉・ハヤの類がゆったり泳ぐ長閑な景色を見せている。
水はこの一画の町民の生活と農村の灌漑用水として使われる生命の川である。川に沿って道を先へ走ると一旦杜の木立が途切れ空が明るく開け、両側に農家風の家屋が何軒も並んで建っている。どの家屋も広い庭に大きな堀があり、杜の立ち木に負けないほど太い杉や檜、それに欅の大木などの枝が辺りを広く覆い、昼でも木漏れ日だけの道は薄暗いほどであった。川は枝別れし主流は左に折れ副流は道に沿って流れ、川下の村落を潤しているのである。
ここを通り過ぎると農道が少し広がり、視界がぱっと開け見渡す限りの田畑や桑畑になり、別の農道とほぼ直角に交わる四つ角に出る。そこが前述している、地蔵尊の角地、通称、お地蔵さんである。この角地から健次郎のF高は東南の方向へ直線距離でほぼ二㎞程である。四つ角で左右に伸びる農道が芙蓉が自宅からK女子高への通学路であった。右を見ると田畑や桑畑が遠くまで広がり、農家につきものの高い木立は見えるが家屋は見えない。その先が春日橋になるという。ざっと聞いたところ自宅からK女子高まで、片道四㎞(一里)ほどのようだ。
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夕食時に健次郎は父にさりげなく聞いた。「お父さん、春日村にうちの親戚ってあったかね」「うん?どうかしたか」と父。健次郎は今朝の出来事を話した「通学途中にうちと同じ、薬袋姓のK女子高生に行き逢ったんだ。薬袋姓は珍しいんで出身地を聞いたら春日村だとのこと。春日村といっても広いがその所・番地までは聞かなかったんだ。お父さんは知ってるかと思ったんだが」「ほう、同じ苗字の娘なのか?」「うん、同じ薬袋です」「ふーん。いや、知らんな、間違いじゃあないのか」「いや、間違いじゃあない。胸の名札にそう記してあり確かなんだ」
「聞いていた兄の雄一が話をとった。兄は長男で健次郎と五つ違いだが農学校に学び農業経営に詳しい。養蚕組合の組合員でもあり交友が広い。「その娘さんというのは富士シルクと関係があるのと違うか。富士シルクの名は何回か聞いているが、社長がうちの姓と同じ人かどうかは知らないが、でも待てよ。いや、薬袋だと小耳に挟んだことがあったかな」と級友の土橋と同じようなことをいう。「養蚕組合員だといって会社を訪ねたとしても、社長ともなれば軽々しく俺達の前には出てこないんで、でも空耳ではないぜ」と確信はないようだ。父も「富士シルクの名前は聞いて知っているが、うーん、社長が薬袋姓だとはな」と心もとない。
父は知らないようだ。兄が「うん、詳しくは知らないが、どうもその社長の私宅は、春日村と隣村との境あたりにあると聞いたな。何でも生垣に囲まれた敷地に立派な建屋があるとかで、その裏手に広い土地を持ち、牧場にしているという噂だが確かめたことはないんだ」
「牧場?」健次郎が聞くと「社長の趣味らしいが、大きな畜舎を建て乳牛や肉牛それに豚など多数を飼育しているって話だった。多数の程度がどれくらいか分らないが、これらの家畜を揃えるだけでも、金額的にも日々世話するのも大変だと思うな。何人か人を入れて忙しくやっているのではないか。今はメシを食って通るのが精一杯の時代だが、生活が安定する世になれば、誰もが栄養豊富で美味しい肉を食べ、乳を飲み乳製品も摂りたくなるだろう。俺も肉料理は目がない方なんで…、縁者なら楽しみなんだが」と父がいい、「その社長、苗字は同じでもうちと親戚ではないようだな」と兄は明るく笑った。「うん」父も呟き苦笑いしていた。
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健次郎は級友の土橋から、富士シルクの社長が、薬袋利雄と聞いていたが、本当かどうか確信が持てなかったので黙って、兄の話の続きを聞いていた。兄は富士シルクの話に戻し、父や健次郎に「会社は石和の西郊にある。小規模だが近場の利点で組合の上層部の何人かが取引きしたくて交渉中なんだ。俺達下っぱは組合の役員から出る結果待ちなんだ」といって軽く笑った。「すると取引き先になるのかね?」「うん、組合がその方向で動いているから可能性はある。近いと輸送費も安くあがり、繭の品質管理が行き届き自信を持って良質といえるし、買い手も同じ評価で高額を提示してくれ、手が打てるものなんだ。そう、両者に得が行くということなんだ」とのこと。繭は意外と丈夫だが〝さなぎ〟が生きて眠る〝なまもの〟で横からの圧力に弱く、扱いには細心の注意が必要で乱暴な輸送は厳禁であった。これらのことは養蚕家では常識で健次郎もよく耳にし知っていた。特に貨車輸送で扱いが荒いと繭が潰れて商品にならない。〝油単〟という丈夫な白い大布袋に精選繭の一定量を入れて取り扱うが、定量を超えると自重で繭が押さえられ痛むことがあった。
「繭そのものは品質良好なんだから互いに近場の利点を認め合えば、高値出荷が期待でき、養蚕組合にとり富士シルクは有り難い出荷先になる。若し縁者であれば売り手・買い手の微妙な感覚を知ってもらい、無理なお願いも聞き届けてもらえるというの、赤の他人では煩がられるくらいが関の山、無理は通せない」これが兄の結論であった。父と兄のやり取りから、同姓だが血縁のない知らない他人だとはっきりさせたようだ。
彼女は社長の娘か。分らないが本当に娘だとすると気安く冗談もいえないな。付き合いもできない。会ったら態度や言葉遣いに注意しないと繭価に影響し養蚕農家の経済にも関わってくる。軽はずみなことはできない。隔たりが出来てしまったな。健次郎の眼は宙を睨んだ。
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「健次郎、お前何か気懸かりなことでもあるのか」と兄の声に「いや、ない。ただ、商売ってのは難しいんだと感じたんで」「うん、商売となれば楽なものは何もない、厳しいんだ」
「うん、そこここで眼にすることのない薬袋と同姓で、しかも女子高生で驚いたり興味が湧いたりで普通の挨拶をしたんだ。富士シルクと関係の有無など考えていなかったから、少々失礼だったかも知れないな、注意しよう。でも、取引き先にと考えていることを聞き、富士シルクの名前は忘れられなくなった。兄ちゃん、色々有り難う」兄に礼をいい、居間を出て二階の自室へ戻った。彼女への一目惚れを、父や兄に悟られたくない健次郎のカモフラージュであった。それにしても、薬袋の姓でうちの縁者ってないんだろうか、ない筈はないと思うんだが、薬袋姓について不思議に思った。
兄は五つ違いの二十二歳だが、養蚕組合に入会している若手組合員の一人で農事一般のみか養蚕業にも熱心であった。会合には必ず出席しベテランの話をよく聞いていた。養蚕業の将来についての話題を通じて経済の趨勢にも注意を払っていた。人工繊維の出現で養蚕農家の先行き先細りを心配し、県の園芸試験場に友人と専門技官を訪ね、果樹栽培への転進も聞いている。
その結果、当地が昔から果樹栽培の適地であり、特にぶどうは日本一の適地と聞いた。従来の農業より労力が少なくて済み、しかも付加価値が高く収入増につながる魅力的な分野だと教えられ、果樹栽培の将来が明るく開けていることを知りその方面への意欲を燃やしていた。
専門技官の紹介で或る果樹栽培農園の何軒かを訪ね、実情を見聞きし実際に指導を受けたりして、今後の農家の将来に最有望だとの結論を得た。すぐに父を入れた友人達と果樹栽培へのスタートし、約二反歩の畑を葡萄用に、一反歩を桃用とし将来有望な種苗を植えていた。
葡萄園には棚を張り蔓か伸び全体に広がっていた。友人達も同一歩調で行動しており、誰の眼にも先行き有望な可能性が濃く見えてきた。一方、先細りといわれながらも養蚕業はまだ農家の収入源として大きかった。現在のところ幸い繭の出荷価格は安定傾向にあり、このまま推移を見ることにしていた。「両天秤に掛(賭)けるのはよくない」というが、このところ人工繊維に押され〝糸へん景気〟の後退・衰微が密かに囁かれている昨今は移行期といえるのか、衰微や不況に備えて農家も次善の手として果樹栽培化は必然の傾向であった。
はっきり有望なら…いや、有望にしたいのだ。そのため、まだ空き畑地は五~六反歩はあり転向を早めたかった。こんな状況だったがまだ養蚕も繭価がよければ立派な収益になる。問題は組合が取引き先としている何社かの製糸会社が示す価格の動向であった。どこの製糸会社がより高値で買い取ってくれるか製糸会社の〝選別〟である。
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これまで隣県の大手製糸会社を頼っての出荷であったが、大手だけに買い手市場の高圧的な姿勢があり価格も抑え気味に推移していた。組合員の中から、「この際、大手・大手と頼らずに、それ以外に近くの、中・小製糸会社との折衝を考えたらどうか。養蚕農家の立場を考えてもらい互いに利のある製糸会社を探したらどうか」と案が出た。その一つに身近な富士シルクの名が上がり出荷を検討する会社の中に含まれたというのだ。
これを聞き健次郎は富士シルクが大事な取引き先になりそうだと分った。それ以外は級友の土橋から聞いたのと同じである。芙蓉は社長の娘らしいがはっきりしない。ここで健次郎は彼女に疑問が浮んだ。彼女が社長の娘だとして、自宅だという春日村の外れから、大川に架かる春日橋まで二㎞ぐらいの距離を歩き、春日橋を渡ってこの農道へ入りそのままK女高校へ登校するなら、彼女が自宅を出て高校まで人通りの少ない農道を含めて片道約四㎞以上、往復八㎞以上の長丁場を徒歩通学していることにである。
周囲は桑畑の混じる田畑が広がるのんびりした田園地帯であり、朝夕は人影が少ない農道を若い女子高生の一人歩きである。犬や猫なら何てことはないが〝狼〟のような気違い男が出ないとも限らない。不安がないだろうかと他人のことながら健次郎は案じてしまう。でも、彼女はそのような不安は全然感じていないようだ。それにしても社長令嬢かも知れない彼女が、登下校にてくてくと一人旅である。体も大柄で力も強そうだが何せ若い娘である。徒歩通学が彼女の意思なのか両親の指示なのか知らないが、本人の意思だとすれば健気だが、他の理由だとすれば…などと健次郎は頼まれもしないのに気を病んでしまう。
お地蔵さんの石に腰かけ休んでいたのは歩き疲れや気疲れのせいではなかったか。健次郎は急に彼女が可哀そうに思えてきた。そんな様子は少しも見せず、「F高校の兄さんですね。まあ、同姓とは」と明るく応じてくれたのだ。重そうに膨らんだ学用鞄と、約一mのテント地の細いケースを一緒に持っていた。そう重くはなさそうだが何だろう。
繭を高く買ってもらうことになるかも知れない、大事な製糸会社の社長のお嬢様かも知れないのに、初対面でやや雑な態度や言葉遣いでお相手してしまった。これもたまたま同姓であり、身内のような親しさを感じたのと、初めて会った一年下の女子高生に一瞬、世が明けたように明るい希望に包まれ、嬉しさのあまり浮ついた気分になったからである。
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常に堅く冷静な健次郎であったが、は珍しく気持ちが高揚してしまった。失敬なF高校生と思われなかったかと気になった。次に会った時は態度や言葉遣いに気をつけなければと深く反省もした。普通の女子高生であるが、背後にさまざまな分野に影響する力を持っているものだと改めて健次郎は思った。彼女が富士シルクとは無関係と信じながら、会社に対し養蚕組合の心象をよくしておきたい健次郎の揺れる心があった。そんな心で取引きを変えるような会社はあり得ないが、高額で買い取ってもらいたいとの願い一心からである。
思いが先走っていると気づき、早まるなと気持を抑えたのは健次郎の冷静さである。自分のお粗末さに気付いたが、いまは彼女の身分は確かめたかった。仮に社長の娘でなくても、彼女が片道四㎞の長い道中を徒歩通学する姿と、その健気さにすっかり感心してしまった。浮かれ心を持たずに彼女の道中が安全・安心であるよう祈ろうと心底から考えた。彼女に対する健次郎の純粋な気持であり殊勝だが、これ〝表向き〟で、本心は彼女に心を奪われていたのである。
そんな彼女の面影をと思ったがどうしたことか健次郎の記憶から芙蓉の願望がふっと消え、浮んでこないのだ。体恰好や服装、髪の黒さ、履く革靴の色など眼前に髣髴するがが、顔がまるで思い出せない。こんなことってあるのかと気持の焦れを感じながら、必死に記憶を呼ぼうとするが浮かばない「いかん」と健次郎は頭をふった。
(続く)
参考: ハイネ名詩選 満足卓訳註