言語とその含意―政治思想研究の変容④(Languages and their implications: the transformation of the study of political thought)
2024年5月5日 再翻訳編集
「パラダイム(探究)に対する歴史家の態度」
26 取捨選択は必要である。なぜならば、ある発話はその進展(its career)のいかなるモーメントにおいても、一つ以上の意味を持ち一つ以上の歴史に関わってきたかもしれないからだ。われわれは語るに適しているとわれわれが感ずるその歴史を選択し、その選択を表明する義務にただ答えているのである。それは主観的でもなければ独我論的(solipsistic)でもない。なぜならば、歴史家として、われわれは何らかの意味において実際に起きたいくつかの出来事を提示することを約束しているからである。例えば、マキアヴェッリは1513年にそのような意味のレベルで確かに活動していた。また、マキアヴェッリは1613年にはそのような意味のレベルにおいて解釈された。そして、マキアヴェッリが1513年に彼が意図した、あるいは意図し得た事を意味しているように1613年に解釈されたとすれば、これはつまり、こうしたことが可能であった数世紀の間においてパラダイム構造が充分に安定的であったということだ。そこで、一方でパラダイム構造は歴史的リアリティであり、その存在と特徴は歴史家が用いる方法によって発見され得るということをわれわれは主張する。他方、パラダイム構造は言論の多義的に解釈できる構造であり、非常に暗示的かつ隠された形で(to a great extent of the implicit and the covert)構成されているという事実によって、高度な種類の発見の技法(techniques of detection and discovery which are of a sophisticated kind)をわれわれは用いざるを得ないのである。
27 われわれは単なる可能性(possible)から理論的に検証可能なものへと移行し、存在し機能していたかもしれない意味の領域(a realm of meaning)についての仮説を立てなければならない。そのような仮説であれば、われわれは歴史的事実の問題としてその意味の領域がまさに存在し機能していたのかどうかについて述べることができるようになろう。こうした作業ーつまり証明(the verification)ーの後半は厳密に歴史学的である方法によって当然(obviously)行われなくてはならない。それに対し、その作業の前半もおそらく歴史学的に行われるかもしれないが、しかし歴史学的である必要はないのだ。つまり、これこれの意味の領域(あるいはパラダイム機能)はあり得た(possible)というわれわれの仮説は、話されていた言語とその言語を話す社会に対するわれわれの歴史的な感受性(historical sensitivity)によって仄めかされるかもしれないということだ。しかし同様に、言語とその可能性について歴史家の主張(affirmation)ではない何らかの主張に基づいてある仮説を構築する可能性も十分にある。われわれは哲学者や意味とコミュニケーションの専門家から、ある秩序を有している発話が別の秩序を有している発話につながるといった趣旨の見解(thesis)を借用し、われわれが探究している歴史的状況においてこうした結合が存在していたのかどうかを調べるために検証してもよいだろう。これは高度に分析的な種類の哲学が政治哲学の歴史研究(investigation)にとって役立ち得る一つの方法であり、そうした種類の協力の可能性は未だ充分に探究されていないといったことが一部の人々によって主張されている。しかし、直接的に重要な論点は、それが歴史的証拠(evidence)の諸規則によって検証されるような形態(form)で言い換えられる(reworded)までは、ヒューリスティックな構築は歴史的な仮説にはならない、ということである。
28 その論点は本著の第二論文において説明される。私は中国語を全く知らないし、中国の諸子百家時代や戦国時代についてもほんのわずかしか知らない。しかし数年前に、様々な人物らによって翻訳された古代中国哲学者のものをたまたま多数読んだ。そして、その幾らかの翻訳は明確な政治的意味を含み、そして、混じり合うことで言語的手段あるいは非言語的手段による伝達に依存している政治的価値、政治的権威、そして変化に関する観念の明確なパターンを形成しているように私〔ポーコック〕には思えた。このパターンは、ここに印刷されているこの論文にて説明されている。(このパターンは政治理論のイントロダクションに用いることができるものだと思っている)しかしそのことを書くにあたって、どのように古代の中国人は政治について実際に思考していたのかということについての言明としてそのパターンを提示することは避け、また、できる限り多くの歴史的指示対象(historical referents)を排除するよう、充分気をつけた(そうなっているといいのだが)。私は中国の歴史の時代について知らないため、実際にその時何が起こったのか、あるいは何が通用していたのか(what actually happened or obtained then)について言明したり、その言明を検証することは私にはできない。したがって、疑いなく、単に想定された状況の説明として解釈(再現)すること(reconstruction)を提示することが私の勤めであった。時あるごとに私は、歴史的事実としての古代中国に造詣が深い友人にこの断片を見せ、その時代の人々の実際の思考の説明になり得るかどうか彼らに尋ねた。彼らは大抵このように答えた。おそらく私が仮説を立てたような何らかの仕方で人々は思考していたのだろう(probable)、と。すなわち、私の解釈(再現)は歴史的仮説として検証可能(testable)ということだ。しかし、もし仮に、独自の証拠(independent evidence)に基づいて、古代中国の人々が私が描いた仕方で思考していたというのは歴史的にありえないと彼らが返答すれば、方法論的にはるかにより興味深い状況が生じるだろう。そうした事態においては、私が提示した諸観念のパターンについてのステータス(the status of the pattern of ideas)はどうなるであろうか。その諸観念のパターンは用いることができるもの(usable)ではあるが、私は歴史的仮説としてそのパターンを提言する(advance)のは控えた。だがその結果として、私が提示した諸観念のパターンは曲解された歴史的仮説(a falsified historical hypothesis)であったと述べることが、そのパターンついて述べられ得る全てを論じ尽くす(exhaust)ことになるわけではないだろう。私が提示した諸観念のパターンは別の文脈において再利用できるはずである。またそのパターンは、例えば権威と言語の間の関係性についての理論、あるいはおそらく政治的概念の社会学についての理論のような、別の種類の検証のために、仮説として提示されるはずである。本書における本論文を収録した時点では、私が提示した諸観念のパターンは開かれたコンテクストの仮説(open-conext hypothesis)であるように思われる。言い換えればそれは、複数の専門的探究の様式の目的に転用可能な仮説的構造であり、政治的言論それ自体において見られる多義的なパラダイムと同様である(not unlike)。したがっておそらく、それが示唆する可能性(might)のある仮説のために読む価値あるものである。政治思想研究のさまざまな様式の間の道筋(path)をわれわれが辿る言説の進路(way)は慎重に踏み分けられるべきものである。
29 しかし、この分野の歴史家によって組み立てられた仮説は以下のことを主張する。それは、一定の意味のレベル、つまり、一定のパラダイム状況(paradigmatic situation)は過去の精神的活動(the mental activity of the past)において存在し、それは、一定のパラダイム状況によって示された道筋(the lines)に沿って人々の思考が実際に続いていたと言われ得るような仕方で存在していたということである。われわれは多くのそういったレベルが同時に存在し作用するかもしれないということを理解している。しかし、われわれが区別するその意味のレベルの数が多くなればなるほど、われわれが著者の「意図」の外に出て、著者が意識して負わせなかった意味(he did not consciously attach to them)を有しているものとして著者の言明を解釈する可能性がより高くなるのだ。このことが不可能な状況(situation)ではないということの理由はすでに論じた。しかし、そのことで歴史家が勝手に変更をしたり(take liberties)、ディシプリンにそぐわない解釈(undisciplined interpretations)にふける気になる限り、その解釈は危険なものである。われわれは暗示的なものと明示的なものとを区別することによってその問題を対処する。われわれの思考は仮定やパラダイム(assumptions and paradigms)によって条件づけられているが、そうした仮定やパラダイムがあまりに深く根を張っているために、何かによってそれらが表面に現れない限り、それらがそこに存在しているということをわれわれは理解してこなかった、というのはよくある経験(normal)である。だが、もしわれわれが歴史家であるならば、未来の歴史(学)的モーメントによって提示される見地(vantage-points)からのみ見えるようになるために〔現在の〕われわれが決して気づかないであろう別の仮定やパラダイムが存在し作用しているのではないか、と疑うのである。そうであるならば、歴史家として、われわれが暗示的なものを明示的にし、ある人物が直接的に表現しておらず、また意識的に気づいていない思考の意味のレベルを見つけようとすることはもっともなことである。しかしながら、暗示的なものが明示的になりつつあるものとして見られる歴史(学)的モーメントを示すにあたって(これまで以上に(more careful than has sometimes been the case))、われわれは特に気をつけなければならない。著者の生きた時代の人々の批判的意識の通常のレベルの下に位置している意味のレベル、一連の仮定とパラダイムがあって、その結果、一連の仮定とパラダイムは原則として(in principle)気づいていたかもしれないが、しかし概して(as a rule)気にかけられていなかった、とわれわれは言ってもよいのかもしれない。そのような場合、われわれの仮説の歴史(学)的証明(verification)のために適用されるべきテストは比較的単純なものである。すなわち、彼らの思想がそのように条件づけられていたはずだということを妥当にするような同時代的特質の備わった理由(reasons of a contemporary nature)があるに違いない。また、人々の発話や知的行動(intellectual behaviors)は概して、そうした仮定に基づいたこれまでの言動(their having acted)と首尾一貫しているはずである。さらに可能ならば、暗示的なものが明示的になり、著者が非常に多くの言葉用いて明確に説明するために、これらのことが確かに彼らの言動の下にあった仮定である、といった状況が一つや二つあるはずだ。(there should if possible be one or two occasions on which the implicit surfaces into explicitness and authors spelled out in so many words that these were indeed the assumptions on which they acted. )これらの必要条件を満たすということは、ある言語あるいはパラダイム構造が存在していて、そしてその存在は今のところは認識されているという論証とほとんど同じことである。ちなみに、本書における「バークと古来の国制」はこうした種の試論(an exercise of the kind)である。しかしながら、明らかにされた含意のパターン(the pattern of implication revealed)が、われわれが著述している時代よりも後の歴史的時代(a historical era)においてのみ目に見えるようになったパターンであったと言いたいとすると、事態はより複雑になる。著者の一生とわれわれ自身の一生との中間の何らかの時期においてその含意のパターンが目に見えるようになったと言おうとすれば、われわれはー例えば17世紀思想のバークの分析のようにー以下のことを確かに認識していた人々に以下のことを述べなければならない。それは、本来のパラダイム構造はそうした人々の時代において存続してはいたが、しかし、これまで暗示的であったものが今や明示的になったような仕方で存在していたということ。あるいは、パラダイム構造が変化し、その結果、これまでは気づかなかった先人の思想の特徴について彼らが意識するようになったということ。あるいは、われわれ自身が行なっているのと同じような種類の歴史的解釈(再現)を試みている(performing exercises in historical reconstruction)ということ、である。これら三つの言明は相互に排他的ではない。そして、各々の言明が、本書で探求されている事例のバークによって構成されているというのは、もっともなことかもしれない。(each of them might with some plausibility be made of Burke in the case examined in this book. )(意味と構文が不明)