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【記事和訳】イラクの「シーア派」民兵勢力に加わるスンナ派―1. スンナ派のPMU支持者:単なるプロパガンダなのか

原文:The Sunnis of Iraq’s “Shia” Paramilitary Powerhouse (Inna Rudolf, The Century Foundation)

目次

(和訳は仮)
0. 序文
1. スンナ派のPMU支持者:単なるプロパガンダなのか
2. スンナ派によるPMU参加の根源
3. 互恵的な取り決め
4. アンバール県における勢力
5. 摩訶不思議な同盟
6. シーア派部隊のスンナ派隊員
7. PMUへの忠誠
8. 新しい同盟と賭け

スンナ派のPMU支持者:単なるプロパガンダなのか

スンナ派のPMU参加は、PMU設立時から始まっていたが、ここ2年で更なる注目を浴びている。これは、PMUが広報手段としてスンナ派の参加を強調してきたことが一因であり、(スンナ派で)同質性が高いアンバール県で特に顕著である。2019年民衆抗議デモへの暴力的弾圧に関与したと非難されたイメージを回復させようと、PMUの公式ウェブサイトやテレグラム・チャンネルは、軍事的英雄イメージ(特に「イスラム国」を相手取るもの)を慎重にブランド化し、熱心に打ち出してきた。PMUのプロパガンダは組織を、スンナ派含む数々の少数派が加わった「国の守護者」として描いている。

しかし、スンナ派のPMU参加は単なるPRに留まらない。そして対イスラム国戦争をきちんと観察してきた人にとって、スンナ派のPMU参加は驚くべきことではない。特にアンバール県などイラクのスンナ派主流地域で、スンナ派は過激派との戦いの最前線に立っていた。戦争の死線の中でできあがった組織である以上、PMUがシーア派同様にスンナ派の戦闘員やグループを抱え込むことは当然である。この事実にもかかわらず、PMUの超宗派的な側面に、国際メディアの関心はほとんど寄せられなかった(激しく宗派的な言論を続けた個人/集団がPMU内にいたにもかかわらず、PMUは超宗派的な側面を保持できていた)。PMUの一部の派閥はイランに近く、実際、PMUの大部分はシーア派組織である。しかし、それでもPMUは、自らは「イラクの」組織であると、宗派含め様々な観点で、一般的に認められているよりもはるかに多様性があると、主張している。

スンナ派アラブ人のPMU参加には、個人的なものから、同胞内で共通するものまで、多数の理由がある。様々な勢力が、宗派・部族アイデンティティを超克する忠誠心を生み出してきた。スンナ派の組織/個人がPMUに加わる理由には、単に即物的なものもある。PMUの強さである。脆弱な立場の人々にとって、PMU参加は生存がかかった問題であった。しかし、スンナ派のPMU参加には、他にももっと複雑な理由がある。それは、共同体の関係性、流動的な部族アデンティティの有様、地域政治・地域経済と関わってくる。

PMUのオンライン上の存在感のおかげで、分断されたスンナ派界の各所で、多様な人物がPMUを称賛している事例がわかっている。2016年に通称PMU法が制定され、PMUがイラク治安機構として公認された少し前、ファルージャの部族評議会会長シーク・アブドゥル・ラフマン・アル・ニムラーウィは、アンバール県解放におけるPMUの役割を称賛した。シーク・モハメド・アル・ハイエスは2016年10月、近隣国から同県への介入(訳者注:特にシリアのISを指す)を防ぐ上で、PMUの重要な貢献があったことをアンバール県のスンナ派部族は知っている、と発言した。スンナ派喜捨管理局のアブド・アッラティフ・アル・フマイン局長は、イラクで物議を醸しているスンナ派大ムフティ、シーク・アブドゥルマハディ・アル・スマイダイとともに、PMUを称えた。スマイダイ師はPMU内に自らの民兵を創設してすらいる。PMU第86旅団である。

かの暗殺事件と米・イラン間における緊張の高まりは、イラクの政治状況を変えた。イラクの西側同盟国との脆弱な関係性や、イランの同盟者と軍事的に衝突することへの西側諸国の決意の固さ次第で、PMUとの提携は高くつくようになるだろう。スンナ派に限らず、そのような提携を続ける即物的な動機は弱まる。であればこそ、(即物的でない)血縁や仲間意識、隣人意識などの要素が、イラクのスンナ派アラブ人やその他少数派を超宗派的な提携にどう動機づけるのか、理解することが今まで以上に重要となる。この問いはPMUの将来においてのみでなく、宗派の違いが紛争の種とならない、安定したイラク国家を建設する上でも重要である。信頼構築のための施策には、個人間の関係性、コミュニティや親族の絆を認識する必要があるだろう。

次節:2. スンナ派によるPMU参加の根源

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