自分は本当にわかっている?(小説の書き方)
小説を書いている時に、「今書いている事、本当に自分はわかっているのか?」と不安になる事があります。
もちろん、大前提として私もただの人間ですから世界中の事を全て知っているわけではありません。そして全てを体験しているわけはないのですからわかっていない事が物凄くたくさんあります。それでも、自分で書くと決めたので書かないわけにはいきません。ですから不安になります。
昨日、Twitterにアップしたこの動画ですが、これはどこからか貰ってきた資料映像ではありません。自分で見に行って撮ってきたものです。2022年現在、こんなふうにコーヒーを焙煎しているなんて驚きませんか? 私は驚きました。この場所はGoogleマップで検索すると出てくる場所ではありますが、ナビモードで案内されて、ここに入る通路の前でいつもの声が「右折します」と言ってもGPSの位置がずれているのかと疑いました。
リアル・スチームパンクのようでした。セメントのひび割れ、使っている道具、おじさん(64歳)の歩き方、シャツに染みた汗、もうもうと湧き出る湯気と全てがこの場面の為に造られたセットのようです。でも、これは、作り物でなくて生きている焙煎所の風景なのです。その場でコーヒーも計って売って貰えました。
話を元に戻しますが、人間はやっぱり知らない事がたくさんあるのです。ほとんど何も知らないと思っていた方が近いのです。私は、これまで工業系の仕事をする機会が多かったので、いくらか工場とそこで働く事に関して知識と経験があります。だからと言って全てを知り尽くす事はほとんどできません。工場を知らない人からすれば、工場の仕事なんて物理的なもの、機械的なものだからサボらなければ誰がどうやっても同じにできると思うようですが、そうではありません。
例えば、1つの手仕事を終わってから記録表に数字を記入するという作業をしていたとします。私が管理者で後からその表を見ます。一見ちゃんとやっている風に見えます。でも、私はある事を発見してしまいます。数段ある欄に記入された数字が全部同じ位置に書かれています。なるほど、これはどうせ同じ数字を書くという事で、表を渡された後すぐに全部の欄を記入してしまったなのだなという事です。
この事は誰が悪いかと言いますと、「表に記入する」としか考えずに表を作成して渡した私が悪いのです。実際の作業の何が面倒なのか、何が無駄そうに見えるのか、作業する人が何を嫌がるのかを想像できなかったのです。私は自分が何もわかっていなかった事を知ります。
大学生になったばかりの時の話です。私はその時にまだ女性とセックスをした事がありませんでした。でも、ある友人は既にしていました。知識の上でこの差はけっこう大きいものです。した事が無くても世の中にはそれに関する写真も動画もいろいろ豊富です。その意味では経験があっても無くても同じはずです。けれどやはりそこには違いはあります。あまり詳しくは書きませんが、セックスの時に自分のペニスの角度はどちら向きですか? 女性の穴はどちらに向いていますか? 入れる時に具体的に何をしなければ入れられなくて、何が障害になりますか? 女性にどんなふうにしてもらわないとできませんか? もし、こういう事に経験があるとしても、その事は他の女性でも同じでしょうか、違うでしょうか? 女性のその部分の色は女性Aと女性Bと女性Cで同じでしょうか? そういうような事は実際にはほとんどわかりません。
というわけで、小説を書く時に「これはこうだ」と自信満々に書いているように読めても、実際はビクビクです。なぜなら、「描写」のような行為は資料に無い細かい部分がとても重要で、書きながら、「これはこう書いたら一般的にどう解釈されるのだろう?」と考えてしまうからです。
少し違う方面かですが、自分の知識の欠落を誰かの創作で補う事ができます。特に今はそういう事が可能な時代です。ですが、ちょっと見ていて感じるのは、描写自体が記号のようになってしまって、最初はどこからかわからなくなっていて、多くの人で共有して伝わる間に「それはそういうもの」になってしまっている懸念もあります。ニュースならできる限りソースに当たりますが、描写のネタはそうはいきません。皆がこう描いているからそれでOK的なものになると実は違うのになあ・・になります。
例えば、漫画ですと実写ではありませんから性的な描写を目にする事は容易です。漫画の中で男性のペニスが描かれているものがあります。その場合、性的な興奮度を表すためにかなりの誇張表現を加えて描かれています。最高潮に達した時に、その棒の周囲には血管が浮き出ていますが、あれについてどう思いますか? 自分が男性なら確かにそういう現象はあるなと確認できますが、描かれたそれと同じようになっているでしょうか? 多くの場合なってはいません。
ではあなたが自分の小説の中で登場人物の勃起したペニスを文字で描かなければならないとしたらどうしますか? 漫画の表現のような誇張したペニスを書いた場合にそれはリアルな表現になるでしょうか? それとも現実離れしたものになってしまうのでしょうか? これは小説のジャンルや目的にもよりますので良い悪いは言えませんが、一つ言えるのは、漫画の表現を知っている事は実際を知っているとは違うわけですから、書く側としては意図的に選ばなければならないという事です。記号的に書くか、それともリアルを書くかをです。
時々女性のツイートで、ある種の男は「AVを見てそれが当たり前だと思っているけどそんなわけない、迷惑」というようなのがあります。これなどまさにそれではないでしょうか? AVに限らずいろいろあると思います。知っているような錯覚の陥ってしまってそれを安易に使う描写には無理があります。でも、これは極端な例で、実際は自分の中でどれがリアルでどれが単に知っているつもりになっている知らない知識かの判別はとても難しいと感じます。
皆さんはいかがでしょうか? 私は、上にも書きましたが、ビクビクです。
追記
今校正に入っている仮題「水のふたり」は来週中には完成するつもり。校正しながら書き換えたくなっているので困りますが。これのプレビュー版をPDFでダウンロードできるようにしようかと考えていますが、未定。どうも希望者が出てこないようですし、短編5万字程度とは言え、読むのは大変ですから。
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