見出し画像

普通の人間に人殺しをさせるには

(お読みになる前に:現在「僕らは江戸時代の仕事人」はAmazonで無料公開中です。)

小説を書く時に、日常と非日常を橋渡しする事が必要です。

環境設定でそれを行うのは比較的簡単で、SFやファンタジー小説ではよく行われています。簡単なものですと、(先日読んだコミックの例)学生が飲み会でお酒を飲んで正体を無くすほど酔ってしまい、気付くと不思議なマーケット(フリマのようなもの)にいたというようなもの。普通では有りえない事ですが、そうした設定は割合普通に受け入れる事ができます。(この点については別途議論が必要かもしれませんが、今回はとりあえずここでストップ。)

ただ、主人公や登場人物の人格は基本的に継続しなければなりません。

もちろん、継続させないで進む方法もあります。例えば、ジムキャリー主演の映画マスクは小道具を使う事で人格を変えていますし、同じく映画シャイニングの主人公ジャックはホテル(建物)の何らかの影響を受けて家族を殺す狂気に走ります。しかしながら、それらは有り得ないが→有るという設定であるので、私たちが日常を生きている感覚からは離れます。

では、通常の感覚を保った人間に人殺しを決意させるにはどのようにしたら良いでしょうか? いくつか考えられます。

1)そうしなければならない環境に放り込む
 例えば、気付くと戦国時代にいたというのはあるかもしれません。自分は鎧を着ていて手に刀を持っているのに気付く。正面から敵兵がやはり刀を持って走って来る。反射的に人を切るかもしれません。自分が死ぬかもしれませんが。ただ、これは相手を殺そうと決意はしていません。反射的なものです。でも、雰囲気に飲まれるという意味では有りかもしれません。

2)許可を与える
 ずいぶん前の映画ですが、ゼブラーマン-ゼブラシティの逆襲という作品がありました。この中では特定の時間だけ殺人が許される事になっていて人々が殺人を楽しむ場面がありました。この場合は普通に考えて、元からそうした通常と違ったマインドを持った人が解放されるのは考えられますがそうでないとどうかな?という事かと考えます。

3)個人的な非常事態に追い込む
 このあたりが最も有力な方法ではないかと考えます。身内の者や恋人が殺されたような場合です。人を殺すのは非日常ですが、怨みの感情は日常によくあります。サスペンス小説やドラマでもよく利用されています。

ただ、怨み→殺人の決意に至るには少しハードルが高いように考えます。

1)親しくない人が殺されても、共感はできるが仕返しまではいかない。
2)一時的な感情の高まりを維持できるか疑問
3)どうやるか(殺すか)を考えて不可能に感じ、冷静になってあきらめる
4)自分がやらなくても他に方法がある→警察に届ければ

物語の設定が現代社会であって、登場人物が普通の我々と同じレベルの人間であった場合、こうした普通の事をクリアしなければなりません。真面目に考えると意外と難しいものです。


タイトル画のお話、僕らは江戸時代の仕事人では何となくクリアしました。

主人公タクミが殺されたお涼に好かれて、最初に親近感が高まった場面はこうです。(以下は完成品でない下書からのもの)

僕はここでの生き方がわからない事と、もし元の場所へ戻れなかった時にどうしようか迷っている事を説明した。元の場所は、ちゃんと説明してしまうと複雑すぎてわかってもらえないと思ったからそこは言わなかったけど。それに僕だってよく分かっていないのだし。

「それなら、ずっとここにいらっしゃれば良いのよ。私、ひとりっ子だし、(長いので省略)」

お涼さんはそこまで言ってちょっと寂しそうに下を向いた。それからこう続けた。

「けど、もしタクミさんがずっといてくれるのでしたら、私、とってもうれしくてよ。」

あっ、ヤバい。ちょっと気持ち・・動いた。

江戸時代に入ってしまって、戻れない可能性を考えていた時に、こう言われてそれならここで生きていこうと思います。

次は高い気持ちの高揚と責任感による気持ちの継続です。(これも最初に書いた下書なので完成品とは違います。バカのところは変えたはず。)

僕は奉行所の門を出て走った。走って走ってメッチャ走った。それでもまだずっと走った。走ってて僕にもちょっとわかる事があった。結局、僕みたいなバカはこんなふうに走ったりする事しかできないんだって。こんなに走ってもお涼さんの傷は治らないし、清次郎さんも甚吉も誰のためにもならない。だからこんな僕って、犬ができるような事しかできないんだ。僕は走って神社の長い階段を登って神社を超えて裏山みたいなところに走って登った。登ったら誰もいなくて、そこでやっぱり犬みたいに叫んだ。

お涼さーーん、お涼さーーん!

僕はその時に心の中で誓った。僕はお涼さんの為に何かすると。絶対する、と。そして、叫んだ後に、僕は1つ気付いた。気付いたんじゃなくて、思い出したって言った方が良いだろう。

僕はお涼さんを傷つけた犯人が誰かを、既に知っている。それはあの魔法の箱の中に書いてあった。そして、この後何が起こるかも知っている。

僕は神社の階段を下りながら考えた。(略)

高い気持ちの高揚と言えば、これも少し古い映画ですが、世界の中心で愛を叫ぶというのがありました。著者としてはあのような表現方法は好みではないのですが、ここでは取り入れてみました。日本のドラマでは森田健作の時代から夕陽に向かって走るような表現が伝統的にありますが、そのパロディ的なものとしてです。(気付いてもらえるかは自信がありません。)

そして決意のポイントは、この世界で自分だけが知っているというところです。Twitter等で思いがけない何かの情報を読むとつい拡散しなければ、と思う心理があります。ほとんどの人が知らなくて自分だけが真実を知っていると考えた時、そこに責任意識が芽生えます。

やろうと決めても諦めるのは簡単です。受験勉強をちゃんとやってと思って始めても、次第に、こんな事やって何になる? やっても無駄じゃないか? いろいろ迷いが出てきますし、その言い訳も山ほど思いつきます。以下はこれも下書の中のものですが、仕事の厳しさを見せられて怯えている場面です。

半吉は言った。

「お松、そりゃだめだ。仕事で死んだ者の事ぁ忘れるのが掟。死んだのは死んだ奴がヘマしたからだ。死んだ奴の仇なんていちいち討ってたらこの稼業成り立たねえんだよ。秀のこたあ忘れろ。」

(ここはお松-仕事人の1人-の発言)
「半吉、今回ばかりは見逃しとくれ。もしあたしのせいで足が付きそうになったら・・・あたしを殺しとくれ。喜んで殺されてやるよ。他の仕事人にもご隠居にも迷惑がかからないようにするってさ、ご隠居にそう言っといとくれ。」

僕はちょっとビビった。宿の飯盛女だと思ってたお松さんも仕事人だったの? えぇー、わっかんねーー。てか、怖えーーー!

「わかった。お松、おまえ、俺が何言っても聞いたためしねえもんな。失敗して戻ってきやがったらこの俺がおまえを殺る。秀の後追って土左衛門だ。」

「わかった。」

なんか、マジ、必殺仕事人になって来た? 横で聞いてて膝ガクガク。やべ、チビリそう。この人たちって、こ、殺しの・・プ、プロじゃん!

お話の順番としては前の部分とは前後しますが、以下はころされたお涼の父親、清次郎に仕事依頼の手紙を書いてもらった後です。この時点では自分で殺しに行くとは思っておらず、依頼に出かけます。ですから、この時点まではお涼を守るためだけに闘っていて、目的は殺すではありませんでした。

これで全てが始まった。

僕が今まで忘れそうになっていて、そして本当は知っていたストーリー、それがようやく始まったのだった。僕は今まで、清次郎さんとお涼さんの悲しい運命を変えてこんな事が起きないようにしようと思ってやってきたけど、結局、全部失敗だった。僕がここにいても、いないのと同じだったかもしれない。なるようになってしまったんだから。それで、清次郎さんはこの手紙を書かなきゃいけなくなった。僕が知っていたのはここまでで、殺し屋の鹿蔵が成功したかまでは知らない。

だから、僕は、これからそれを確かめに行く。そして、鹿蔵が成功する事にホントに期待してる。僕も権藤の事が憎いから。殺してやりたいほど憎いから。

さて、最後にタクミが自分で仕事をする事になりますが、実は自分自身で強くそれを決意したわけではありません。人間とはだいたいにしてそんなものではないでしょうか? 雰囲気で、他人につられて、何となく自分で決意したように思ってしまいますが、実はそうではなかったような。

「この手紙を返すという事は、仕事はここで終わりですか?」(タクミ)

「はい、残念ながら。」(元締め鹿蔵)

少しの沈黙の後、甚吉が言った。

「俺がやる。爺さん、それなら文句ねぇだろ? その代わり・・・」

「金か?」

「いや、金はいらねえ。どうやったらできるか教えてくれ。俺ぁな、お涼の仇、討ちてえだけだ。このまま村さ帰ぇるわけにゃいかねぇ。もしやり方教えられねぇってんなら、奴の屋敷がどこさあるかだけでも教えてくれ。火ぃ点けに行ってくる。」

「わかりました。そうまで言うのでしたらできる限りの助力はいたしましょう。ただ、あなたがここで死んでも私は知りませんよ。それがこの仕事の掟です。失敗すれば・・死して名も無き土左衛門。」

その言葉を最後に鹿蔵は壁の向こう側からいなくなった。

そうして、主人公タクミは人を殺しに行く事になります。


ちょっと殺人への決意としては地味です。ですが、それはそれでキャラクターとしての整合性は取れているつもりです。お読みいただければわかりますが、タクミの戦い方は派手ではないですし、どちらかと言うとカッコ悪いものです。当たり前ですよね、今まで人を殺そうとなどした事のない人間がいきなり人殺しの本番で、相手は刀を持っているサムライなのですから。ほとんど腰抜け、チビリそうです。これで見事に刀を振っていたとしたら、絶対ウソっぽいでしょう?

いいなと思ったら応援しよう!