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無いのに有る場面・有るのに無い場面

小説を書く時に「この場面は必要?」と考え込んでしまう事はありませんか?
私はけっこうあります。(説明したくない病にかかっているからですが。)

いきなり映画の話ですが。ずっと前の映画で「シックス・センス」という作品がありました。覚えていますか? 怖い映画です。

今はこの映画のストーリーに関して言うつもりはありません。焦点は「場面の取り扱い」についてです。

この作品は、最後のところで「実は主人公が最初の場面で死んでいた」のがカラクリです。ストーリーの中で起きる全てのエピソードの原因はそこですが、最後のそれを知るまでは誰にもわかりません。

そして、それを実現している手法が「場面」です。

映画は例えば1か月間のお話を成立させるのに、1か月ずっと映し続けている事は絶対にありません。それが10年でも100年でも、インド映画でない限り2時間程度に収めなければなりません。全部映して早回しするのでなくて、必要な場面の細切れでお話を繋げます。

観客は見えていない場面があるのは知っていますが、そこは頭の中で補います。子供が生まれた場面の次に小学生になった場面になっていたら、その間に一般的な子供の育ち方を暗に思い浮かべます。

シックス・センスはそれを逆用しています。それを観客を騙す手口として逆用しているのです。シックス・センスでは映っていない場面は実は本当に無いわけです。なぜなら、主人公が幽霊だからです。映っていない時に主人公はトイレに行ったりお風呂に入る必要が無いので、時間から時間を瞬間移動していてもかまいません。

でも、観客は知りませんから他の作品やドラマを観ているのと同様の観ます。無意識に無い場面を頭の中で補って観ているのです。だって、主人公が普通の人間だと思っているからです。最後に、やられたーと思うわけです。あると想像していて自分が頭の中で補っていた場面は、実は全部必要なかったのですから。これは映画というものの性質を良く知っているプロの考える映画というものの構造を使ったトリックです。拍子抜けトリックとでも言いましょうか? 驚きます。


さて、では、小説はどうでしょう?

例えば、Aさんが友達のBさんに電話で報告します。
「結果、わかったわよ。やっぱりあなたが言ってたのが正しかった。」

小説では電話の裏でBさんが喜んでいるのを描写するでしょうか? それともしなでしょうか? 答えはどっちでもOKだと考えます。著者が決めて良いのです。

さて、もし電話の向こうのBさんの描写をしなかった場合、次の場面でBさんが喜んでそれをCさんに伝えに行くとします。それも成立しそうです。

ではもっと飛んで、Bさんが警察に逮捕されたところに飛んだらどうでしょう? これも場合によって成立します。タイガースが優勝した報告を受けて橋からカーネルサンダース人形を落として逮捕されたとわかればそれでもOKです。

では、警察に釈放された場面まで飛ぶとどうでしょう? だんだん成立しにくくなりますね。

途中の場面にあまり抑揚が無く、ただの時間の経過や経緯を示すアイデアしか浮かばない時、著者的にはその場面を書きたくない、となりませんか? 私はかなりの確率で書きたくなくなります。

これ、けっこう悩みます。あなたはどうですか?
何か良い方法があったら教えてください。









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