なぜ中卒シルバーアクセサリー職人がデジタルマーケティングの会社を経営しているのか?
『なんでアクセサリー職人だったのに今はデジタルマーケティングの会社をやってるんですか?』
上記は僕の経歴を初めて会った人などに軽く話をすると結構な確率で聞かれる質問です。
本来ならなにも繋がる要素なさそうですから謎ですよね。
自分でも不思議なキャリアを辿っているなと思う時はありますが、今まで生きてきた中で強烈な転換点が複数あり、時代の波に抗っていたら気がついたら今の状況になっていました。
改めてはじめまして、『野生のSeijiがあらわれた』こと@SeijiMatsubaraと申します。
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商売、博打、投資、物作りが生業で酒、タバコが好きな意識低い系の昭和生まれ。 システム開発とデジタルマーケティングの会社をやっています。【趣味】格闘技/ポーカー/競馬/漫画/映画/アクセサリー製作/猫
歳はギリ昭和生まれの32歳で名古屋を拠点に活動してます。
現在は黒船LABO株式会社というシステム開発とデジタルマーケティング支援の会社を経営しています。
個人としての活動としてはアクセサリー作家、マーケティングコーチ、ペットの殺処分問題の改善と無くす仕組みの模索をしています。
なにかと変化の早い時代ですが、右往左往しながら生きてきた経歴を下記にプロフィールがてらまとめています。(まぁかなり長いので読むなら覚悟してください)
小さい頃の夢と見習い職人時代と初めての熱狂
そもそも何でアクセサリーに魅了されたのか改めて考えてみたら、小学生の頃、バイカーの集団と遭遇して何故だか超カッコいいと衝撃を受けたのがキッカケだったと思う。
だがバイクに憧れたわけでもなく、身につけてるアクセサリーに目がいった。
子供の頃は絵を書いたりなんか作るのが好きで自分でも得意なほうだと思ってた。
そんな経緯もあり、中学の後半くらいに漠然とアクセサリー職人になりたいと思い、色々と考えた結果、デザイン系の高校に行くことにした。(進路相談でそういうカリュキュラムがあるっぽいとこが見つかった)
で、入ってから判明したのは造形系の授業が2年生の中盤から選べるとの事。
ちょっとガッカリしつつ、まぁしょうがないと思い1年目を過ごした。
ちょうどこの頃、東急ハンズで彫金コーナーを発見して、まさに自分がやりたかった事とそれに必要な道具と本が手に入り、学校の彫金のカリキュラムが始まるより前にアクセサリーを作り出した。
そして試行錯誤を繰り返しながら、いくつかのアクセサリーを作ったりした。
でも独学なんでクオリティは低くもっと上手くなるにはどうしたら良いんだろうと模索していた。
そして2年生の中盤、待ちに待った彫金のカリキュラムが始まった。
僕は心待ちにしていたので凄くワクワクしてた。
だが、悲しい事に期待していた内容とは違っていて、授業でやる内容は既に自分でやってしまっていた。
そして一気に高校に通うモチベーションが下がった。
そしてちょうどその頃、住んでるところから少し離れたところにシルバーアクセサリーショップを発見し、そこが教室をやっていたので通い出した。
そしてあまり高校に行かなくなり、時間がもったいないと感じるようになって高校を辞めた。(17歳)
バイトしながら腕を磨いてアクセサリー職人として食えるようになろうと必死で作りまくっていたら、通っていたアクセサリーショップで『うちで働く?』と声がかかりそこで働くことに。
時給制ではなかったので確か初任給5万円くらいだった気がする。
いわゆる丁稚奉公スタイル的なやつだ。
やっとやりたい事が思いっきりやれる状態を手に入れてとにかく作りまくった。
そして起きてる時間のほとんどを制作作業に当てる生活を5年ほど過ごし、フリーの職人として独立した。
アクセサリー職人になる夢が叶って充実感をもって過ごしていた。
が、それは長くは続かなかった。
僕がアクセサリー職人を始めた当初は日本でシルバーアクセサリーブームが続いており、働いていたショップもそれなりに景気がいい感じで回っていた。当時のアクセサリーショップの多くはそれなりに儲かっていたのだ。
しかし、ブームは徐々にしぼみ市場自体も年々小さくなっていった。
でも、自分的にはそこまで気にしていなく、原型製作などの依頼を淡々とこなしていた。割とクチコミや人の紹介で仕事は流れて来ていた。
独立と産業蒸発、その後の迷走。
そしてある日の仕事の打ち合わせの時にこんな交渉を持ちかけられた。
『次回からこの金額でお願いできませんか?』
数字を見て驚いた。今までの受注単価の約半分以下ほどになっていた。
いきなりのことで理由も分からず納得できなかったので理由を聞いてみたら、3Dプリンタでの原型製作の相場がこの金額だという。
ちょうどこの頃3Dプリンタが普及し始めた頃だった。
そして年々3Dプリンタでの原型製作のクオリティ、スピードは上がっていき、コストもより安くなっていった。
原型製作を手で作るという市場は死しにつつあったのだ。
※ちなみに今現在だとスキャンしてプリントまで来てる。早いね進化は。
今、AIやロボットなどテクノロジーの進化で10年後に無くなると予想される仕事など時々話題になったりするが、いち早く身を持って体験する事となった。
少し想像してみてほしい。
青春時代のほとんどを賭け、自分が好きでたまらない仕事をするようになり、充実感を持ち精力的に活動し、自分のアイデンティティと感じるようなモノが崩壊していく感覚を。
今日から君の代わりはペッパー君だよ。
あなたは素直に受け入れられますか?
僕は無理でした。
実際にはいくつかのルートがあり、例えば3Dデータを作るデジタル原型師に転向するルートや、デザインやアーティスト性に振り切るルートもあります。
(数年後試しにやってみたが、フィギュアとか作る方が面白いと思った。)
ですが当時の僕にはどのルートも選ぶ気にはなれず、そして魅力を感じられなかったんです。
そして一度、空っぽの存在になりました。
詳しくは割愛しますがこの頃は無気力と無鉄砲になる両極のサイクルを繰り返していました。
自分の中の何かを埋めるためにいろんな事を試しては辞めを繰り返していました。
ちょうどこの頃、仕事に支障がでるから興味はあったけどやれなかったキックボクシングを始めたりしました。(これはめっちゃ良い判断でした、肉体的にも精神的にもだいぶ健康になった)
入会志望の欄に『健康維持のため』とチェックを入れたはずでしたが、暇で高頻度に通っていたら途中からなぜだかプロ志望用のコースになっていきシゴかれていました。(おかげでトップクラスの格闘家の基準を体感できたのは今では財産です。)
でも、あいかわらずフラフラしていました。
そんなある日、『BARの空き物件あるけど。誰か知り合いで借りたい人おらん?』と付き合いのあった先輩に聞かれました。
当時、僕の周りの友人は居酒屋で働いてた子が多く、声をかけてみました。
みんな『将来は自分の店を持ちたい』とよく言っていたので話を振ってみました。
ただ、急な話だしタイミングもあったんでしょうけどみんなスルーしました。
そして僕はなぜか自分でやる事にしました。
今振り返って考えてみても謎の行動です。
ちなみに飲食店で働いた経験は高校の時にバイトしてたトッピング式うどんチェーン店と中華料理屋で小籠包を蒸す係のトータルで2年位です。
我ながらアホですね。
でも『将来は自分の店を持ちたい』と周りがよく言ってて、なぜかそのタイミングが自分に来たという事でとりあえずやってみる事にしました。
『何者かに成りたい』
空っぽの自分から逃げたかったんでしょう。
そして金をかき集め、いざ借りてみると色々と設備や内装などボロい部分がありましたが無理くりセルフで直したりして店をオープンする事になりました。
ちなみにメニューは友人の協力とクックパッドでなんとかしました。
なんか人と人が繋がる場所になったら良いなと思いお店の名前はCHAINと付けました。
当時、フラフラしてたおかげもあってか割と交友関係も広くオープン当初は結構人が来てくれました。
おかげさまで最初の3ヶ月くらいはまぁまぁ楽しくやれていました。
友人では無くフラッと来た人でリピーター化してくれるような人も現れたりもしました。
でも所詮は思いつきで始めた素人です。
半年も過ぎた頃1日のお客さんが1人や0の日が珍しくなくなって徐々にキツくなっていきました。
暇な店の亭主はなかなかの地獄です、暗い気持ちになります。
飲み会やパーティーを開くのも限界があり、ここで取れる打開策はチラシを撒く、路上キャッチくらいしか当時の選択肢ではなかったんでオープン前にやっていましたがあまり効果的ではありませんでした。
当時、相談する相手も居なく自分で思いつくアイディアは片っ端から試しました。
が、金はどんどん減っていきます。借金も増えていきます。そしてやる気も減っていきます。
この時に強く思ったんですが『最終的に踏ん張れるくらい情熱がない事はそもそもやるべきではないな。』と感じました。
そしてだんだんとヤケクソになっていきました。もうどうでもいいやと。
そして僕はなぜか2chに書き込んでいました。
『BARやってるんだけど暇すぎて死にそう』
と素直に感情をぶつけてみました。
もう潰れるし、どうとでもなれと。
んで、相変わらず暇な店内をぼーっと眺めながら今後どうしたもんかなと考えてました。
そしたら書き込んで2時間後くらいに3人組の見たことないお客さんが来店しました。
そして時間経過とともにどんどん人が増え、最終的にその日は40人くらい来ました。
完全にオフ会の会場になったわけです。
正直、普段が暇すぎて色んな在庫が不足していましたが一瞬で超忙しい状態になりました。(途中からお客さんが手伝ってくれました)
今思えばデジタルマーケティングとの最初の出会いはコレでした。
そして何人かと仲良くなりその後も溜まり場みたいになりましたが、残念ながらもう手遅れなとこまで来ていたので予定通り店を畳むことにしました。
情熱、計画性、様々なスキル不足を痛感させられました。真の絶望は打ち手が見えなくなった時に来ると悟ったりもしました。
失ったものは信用と金。得たものは起業の失敗経験と借金です。
そしてまた空っぽになりました。なんならより大きめの穴が空きました。
23歳マーケテイングの悪魔と出会い魂を売る。
なんとなく地元に居る居心地も悪くなり、当時の友人らと会うのも気まずい事もありどっか遠くに行きたくなりました。
そして少し離れた田舎で風呂とトイレがフロアで共同の家賃2万の物件を見つけ、引っ越しました。(今風に言うとルームシェアに近いかも)
この時期はこの時期で色々と思い出があるのですが長くなるので割愛します。(別でそのうち書くかも?)
借金を返しつつ日銭を稼ぎながらまたフラフラしていたわけですがこの頃は何かを探して本屋とか図書館によく行ってました。
何かを探しているけどそれが何か分からない状態ってやつですね。
結構キツイ精神状態ではあったんですが田舎の環境が割と良くてそこまで追い込まれてはいなかったです。
でも一度目の虚無感より二度目の虚無感のほうが激しかった記憶があります。
そしてある日、一冊の本に出会います。
今ググったら出てこなかったんでなんとなくのタイトルしか覚えていないんですが、『iPhoneアプリを作って稼ごう!』みたいなやつでした。
2012年当時、まだアプリ市場が黎明期で個人が作ったようなアプリがストアに多く並んでる時期でした。
そして何故か僕は衝動的に金も無いのにmacを買いました。(macじゃないとiosのアプリは作れないしリリースできないと書いてあったので)
ちなみにこの時、プログラミングの経験は無いです。
ただ何かあるんじゃないかと思い気がついたら買っていました。
で、何作ろうか悩んでいたんですが子供の頃ゲーム好きだったなぁと思い出し、個人制作のゲームが当時多くあったのもありゲームを作ることに決めました。
ただプログラミングなんてしたことなかったのでどうしたらいいか調べまくってたら、また一冊の本に出会いました。
これならできるんじゃないかと思い、本を買って作り始めました。
そもそもゲームってなんだ?遊びとは?みたいな哲学的な悩みが湧いたり、途中、2ヶ月ほど謎のバグが解消できずにだいぶ壁に当たりましたがなんとか4ヶ月ほどで完成からリリースまで持っていけました。
完成品がこれです。
もうストアから消えていますがデータだけiPhoneに残ってました。
ロックマンの消える床みたいなゲームですが、今見ても良い感じにクソゲーです。
そしてどれくらいダウンロードされたかというと、、、
確か6千DLくらいはいきました。
多いとみるか少ないとみるかは人それぞれですが、途中で広告を貼りだして得た広告収入はトータルで数千円とかだったと思います。(今思えばネット収入童貞卒業はこれだった)
ランキング機能付けていたんですが謎にヤバいハイスコアだしてる人とかいて笑った記憶があります。
完成させてリリースした充実感は確かにありました。
でもこっからどうしよう?と同時に悩みました。
ゲームをもっと作るか?なんかもっと機能性のあるアプリとか作るか?思いついたとして作れるのか?
でた結論は電子書籍のアプリ化でした。
当時、まだKindleやAppleストアなどで電子書籍サービスが無く、アプリ化した電子書籍がストアにポツポツ並んでる状態でした。
調べたら本のアプリ化はゲームと比べると割と簡単そうだったのでその路線でいくことにしました。
一個目のネタは兄がオーナー美容師として独立して数年経っていたのでそれをネタに美容師独立の本みたいな構成でリリースしました。(あんまり売れなかった)
ただアプリ化のコツは摑んだので数であとは勝負だ、どんどん量産しようと思って、ネタ探しの日々を送っていたある日。
GREEかモバゲーのDMで一通のメッセージが届きました。
内容はうる覚えですが、はじめましてのメッセージと簡単な自己紹介とアフィリエイトで生活しているという内容でした。
この当時、僕はアフィリエイトをよく分かっていませんでした。(ゲームに広告は貼っていたけど)
今はそういうのが爆発的に増えたので見慣れた光景かもしれませんが、SNSから知らない人からの突然のDM、怪しいですよね?
※突然来るDMの99%は🦆狙いだから気をつけましょうね。
でも当時の僕は本になるネタを探していたので『ちょっと詳しく話聞かせてくれませんか?』と返信しました。
その後やり取りが続き、色々と話をしていく中でコンサルティングを受けないかと提案されました。
提示されたお値段、300万円(+成果報酬)です。
もうこの時点で色々とヤバい話に見えますよね?
こんなん絶対に詐欺やんけと。
でも、話をしていて当時聞いたこともないような話が沢山あり、興味が捨てきれなかったので一回会えないか提案しました。
そしたら2つ返事で『良いよ、ウチくる?』みたいな軽いノリで返答がきました。
九州の人だったんで僕の住んでるとこから6時間くらいかかりますが、提案した手前あとには引けませんでしたし、何より会ってみたかった気持ちが強かったので行きました。
んで、ついたらかなりの田舎でした。
そして行きつけの天ぷら屋に連れて行ってもらって家に遊びに行きました。
結構良い一軒家に彼女とその人と犬と暮らしていました。
この時点でちょっとした思いが浮かびました。
『まさかこのパターン、ガチなんちゃう?』と。
そして家で談笑してる時に話しの流れでアフィリエイトの報酬画面を見してもらうことになり、見たら3000万超えてました。
『あ、完全にガチだ。』
疑って申し訳ない気持ちになりました。
そして、話の流れで分かったことなんですが僕が聞いていたプランは法人向けのプランで個人向けもあることが判明しました。
100万円(+成果報酬30%)
コンサルティングの期間は成果報酬を払っている間は無期限とのこと。
僕はクッソ悩みました。
そして契約しました。マーケティングの悪魔と。
あえて悪魔と書いてますけどその人自体は今でも好きですし、ゆるく交流はあります。
ただその後に色々とあったり、良くも悪くも悪魔的な魅力と要素もあるのでこの表現です。
当時その人は【大富豪アニキの教え】に強い影響を受けていたので実際かなり良い人でした。
思えば自分が今、人に教える時のやり方も強い影響を受けた気がします。
やってみせ、やらせてみて、基本的にポジティブなフィードバックをするスタイルです。
マーケッター熱狂時代
そしてマーケティングの基礎を学び初めて今まで自分がやってきた事の点と点が一気に繋がっていった感覚を今でも鮮明に覚えています。
マーケティングとはなんぞや?との定義は人によって捉え方が様々で色んな定義があります。
「売れ続ける仕組み」とか
「お客様に買いたい気持ちになっていただくこと」とか
「マーケティングとは営業を不要にするもの」とか
「売上が上がる為の戦略、考え方、それを実現するための仕組み・施策・運用手段のすべて」など沢山の捉え方があります。(マンガでわかるWEBマーケティング引用)
▲この本もだいぶ影響というか世話になりました▲
僕は今では『本当に良いものを届ける為の手段や仕組み作りに関わるすべて』をマーケティング活動として定義しています。
本当に良い商品やサービスは顧客の問題を解決します。
シンプルに言えば良いものをより多くの人に届ける手段と仕組みとも言えますし、広く捉えるとそれらを阻む障害になっている問題を取っ払う活動すべて該当するんじゃないかと考えています。
そしてマーケティング活動に完全にハマりました。
足りないピースが埋まった感があったんです。
そして周りから気が狂ったんじゃないか?と言われるくらい没頭してました。
そして手始めにアフィリエイトをガンガンやって成果が出始め、そして同時にそこで得た知識と経験を兄の店舗のデジタルマーケティングにぶつけました。
そして当時、日本最大級の規模だった美容系イベントにエントリーし、WEB人気投票全国1位を獲得しました。
最高の充実感と達成感を感じたのを良く覚えています。
そしてその頃ちょうどオウンドメディアブームの流れが来ており、自分も複数立ち上げて大きく育ったりもしました。
この時期に今のチームメンバーと出会ったりもしました。
そして実績が評価され、チームメンバーとともに当時年商50億規模だったインテリアメーカーのネット事業強化を依頼されたりして精力的に活動しました。
この頃は365日マーケティングの事しか考えてませんでした。
同時に個人でやってたアフィリエイトもグングン伸びるのでひたすらアクセルを踏んでました。
そして29くらいの頃、一回緊張の糸みたいなのが切れました。
プチリタイア時代
自分的にはもともと30くらいには死んでそうだなと思って生き急いでた節もあったんですが、意外と死ななかったんで一旦、思いっきり遊んでしまおうと思い遊び倒してました。
一応、親しい人等を中心に個人向けのマーケティングコーチもやっていましたが、この辺りの時期はポーカーにハマり倒してたたのでほぼポーカーをやってました。
あとは旅行とかTwitterにハマって人と会ったりとか実験的なプロダクト作ったりとか、とにかく楽しく過ごしていました。
交友関係も広がりまくってなんだかんだ自分と波長の会う人と関わるの好きなんだろうなと再確認したりもしました。
そして色んな出会いの中で今一度自分がやりたい事ってなんだろうなと改めて考えるようになりました。
で、そんなある日、実験的に作ってたアプリがアプリストアから排除されました。
理由は競馬にまつわるものだったので丁度その頃に個人開発のアプリでギャンブル属性のアプリがストアからほぼ全削除というちょっとした事件が起こりました。
(※たまにアホみたいなホームランを打つことがある予想ロジックを搭載しています。)
AIの実験と研究のために始めたものなんですが、愛着のあるプロダクトですし、そろそろ法人化するかなぁと思っていたタイミングだったんで会社にしました。
我ながらいつも環境の変化で動いてるなとちょっと書きながら笑ってしまいますが、人生なんてきっとそんなもんでしょう。
法人化後
そんなこんなで会社を立ち上げ、個人でフットワーク軽くやってた部分から法人的な動き方を迷走しながら模索しつつ、途中でちょっと色々とトラブったりもあったり、会社自体の方向性に迷ったりしつつ方向性が最近やっと定まった感じもあり現在バリバリと動いている感じです。
おかげさまで面白く熱狂できる仕事も最近は増えてきました。
ただ同時に自分の原点として個人活動もやりたい気持ちが最近またでてきました。
なので最近noteとタイムチケットをはじめました。こちらはマイペースにやっていこうと思っています。
(前は個人用のWordPressあったんですけど、かなり前に作ってセキュリティが甘くハッキングされて消してから放置してました。仕事用のは別でバチバチにセキュリティ対策してましたが自分のは適当にやってました。身を持ってセキュリティ対策の大事さを学びました。皆さんも気をつけましょう!)
もう一度、夢を見たいし叶えたい。そしてその愉しさを伝えたい。
フラフラしていた30の頃、ライオンみたいな大富豪の人と合う機会がありこんな会話にをなりました。
『人生の楽しさは楽(らく)ではなく、愉しいにあって愉しいとは道中に辛いことや困難があるけど愉しさは冒険することでしか感じられない。』
『だから挑戦するのは愉しいんだよ。』
そして言葉は続き、『夢は今の自分のままじゃ叶えられないもの、君の夢はなんだい?今どんな冒険をしている?』と聞かれました。
かなりガツンと響きつつ、返答に困りました。
大人になったらだんだん夢とか聞かれなくなりますよね。
でも夢見たっていいじゃないですか、思えば僕はずっと夢みながら生きてる感覚です。
そしてずっとその日から考えて出た、今のところの夢は熱狂の連鎖を起こすこと。
なんとなく今の世の中の空気感てチャレンジャーに厳しくないですか?
そいつを僕、個人としてはぶっ壊してやりたいんですよね。マーケティングのパワーで。
マーケッターとして色々な人と関わる中で気がついたんですけど『まだ何者でも無い人が何者かになる瞬間を見るのが好き。』なんです。
そして自分を救ってくれたマーケティングの概念をもっと世の中に伝えたい。
熱狂の中心を作る仕事をしたい。
そしたらもっと面白い世の中になるんじゃないの?
ということで『皆で作ろう、狂気の輪』をコンセプトにこのnoteをはじめました。
更新頻度は不定期で内容は基本的にゲリラ起業とゲリラマーケティングに役立つエッセンスを中心にまとめていきます。
マーケティングに対する僕なりの恩返しとして、これからより変化が激しくなる世界で自分を貫くためのサバイバル術を僕なりにあなたに伝えてみようと思います。
ps.
やたら長いプロフィール記事になってしまいましたが、ここまで読んでくれた人とは多分仲良くなれます。
noteは新しい交流が増えたら面白いなっていう目的もあって始めたのでコメントやフォローのリアクション大歓迎です!
Twitter派の人は野生のSeijiがあらわれた@SeijiMatsubaraで交流しましょう!
ではでは!
PS2.
愉しんでる事例として最近の新庄選手のチャレンジがヤバいんでついでに貼っときます。ワクワクするよね。
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