戦場へ愛を込めて
「まるで大砲のような爆発音です!」
1997年4月22日午後3時23分、ペルー軍の特殊部隊約140人がリマの日本大使公邸になだれ込んだ際に、ある若い日本のテレビ記者が思わずこう叫んでいた。しかし考えて見ると、この記者は大砲の音など本当に聞いたことがあったのだろうか。
私が初めて重く湿った空気を切り裂くようなロケット弾や迫撃砲に身をすくめたのは1990年代初めのカンボジアだった。1993年にロシア軍がモスクワの最高会議ビルを砲撃したときには、肺が潰れてしまうの思うような思うような戦車砲の衝撃を間近に受けた。その恐怖感と鳥肌が立つような興奮は言葉に言い表し難い。
おそらくこのぎりぎりの感覚が戦争取材に多くのジャーナリストを駆り立てる一因なのだろう。
戦場の悲劇の共有
人間の喜怒哀楽がむきだしになった戦場はかつてジャーナリストたちの最高の取材現場だった。1938年、写真家ロバート・キャパは銃撃を受けた瞬間のスペイン兵の姿をカメラでとらえ名声を博した。その後も1954年にインドシナで地雷にふれて命を落とすまで、彼はなにかに取り憑かれたように世界の戦場を渡り歩いた。
米国CBS放送の伝説的キャスター、エド・マローは第2次世界大戦の報道で一躍花形となり、そのあとを継いだウォルター・クロンカイトはベトナム戦争のむごたらしい真実を白日の下に晒して、その名を馳せた。
「やつらはただついて来ただけだよ」と従軍記者をせせら笑う将校たちもいたが、当時はジャーナリストも戦場の悲劇を共有し、ともに戦った時代だったことは間違いない。
ところが1991年の湾岸戦争を境にハイテク戦が主流になってくると、兵士の間で戦闘の実感が薄らいだだけではなく、取材するジャーナリストも戦争の悲惨さ、恐怖を共有できなくなってきた。私はこの状況に少なからず危機感を抱いている。なぜなら、真実が知らされなければ人間は必ず同じ過ちを繰り返すからだ。
私の書架には今では古本になった2冊がまだ残っている。ご紹介しよう。
1冊目は『戦争の悲しみ』(めるくまーる社)。本書は1991年に発表されたベトナム人作家バオ・ニンの処女作で、著者自身が北ベトナム兵として6年間従軍した体験をもとに、戦火の中での愛と葛藤を描いた力作だ。
英語、スウェーデン語、フランス語などに翻訳され、ヨーロッパを中心に話題となり、ようやく97年夏に日本語訳が出版された。全編を通して太い柱となっているのは無名戦士の戦争観だ。例えば、主人公の北ベトナム兵キエンは戦争をこう振り返っている。
「数限りない名もない兵士が、戦争の犠牲になった。ベトナムの犠牲になった。ベトナムの名前を誇りあるものにした。しかし、彼らにとって戦争は、苦しみ、悲しみであり続ける」
もう一冊は・・・
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