日本はジョーク後進国?
地獄にだって女もいれば、酒樽もある。それを聞いて安心した暗黒街の帝王アル・カポネは地獄へ向かって突っ走っていった。できれば女も酒樽もいち早く自分で独占したいと思ったからだ。
地獄に着いてみると、なるほど酒樽は極上のバーボン樽で、女は目の眩むようなグラマーな美人だった。ただし酒樽には穴があり、女にはなかった。
女性の読者には不愉快な話しかもしれないが、こんなジョークに国境はない。アメリカ人もフランス人もインド人もロシア人も、そして勿論日本人も聞いた途端にニヤリとする。
しかし残念なことに日本人はちょっと洒落たジョークを日常的に使うのがお世辞にも上手とは言えない。堅苦しい国際会議でも肩の凝らない家族同士の集まりでも、気の利いた冗談を飛ばしてその場の雰囲気を和らげるのはきまって外国からのゲストだ。我々日本人はそのような席で冗談を言うと自分が安っぽい人間に見られるのではと心配したり、単にジョークを知らないために冗談が言えないのである。
アメリカでは選挙演説でさえジョークは重要な役割を果たす。「私はフォードです。リンカーンではありません」 フォード米大統領が立候補した時こう言って聴衆から拍手喝采を浴びた。彼は自分はフォード製自動車のような庶民的な人間であって、リンカーンのような高級車が代表する人達とは違うとこの一言で見事に伝えたのだ。
ジョークに対する国民性の違いを扱った英語の小話がある。日本語に訳すとだいたい次のようになる。
フランス人にジョークを言うと、半分聞いただけで笑い出す。落ちがわかってしまうからだ。しかしイギリス人は最後まで聞いてから笑う。礼儀を大切にするからである。ドイツ人はというと、次の日の朝になってから笑う。一晩中論理的に何が面白いのか考えるからだ。日本人はニコニコ笑うだけ。ジョークがさっぱり理解できず愛想笑いでごまかすからだ。我々の耳にはあまり喜ばしい話しではないが、結構現実を反映しているのではないだろう。
ではアメリカ人はというと、まったく笑わない。なぜならすべてのジョークを既にしっているからである。
異文化コミュニケーションを考えるとき、ジョークの持つ意味は非常に大きい。なぜなら話し手のメッセージが聞き手に性格に伝わって初めて冗談が冗談として成立するからだ。従って、ジョークの言えない日本人は言葉によるコミュニケーションが大変不得手ということになる。
あうんの呼吸が日本流
聖書の創世記にバベルの塔の話しがある。思い上がった人間たちが塔を建てその頂きを天にとどかせようとした為、神が罰として人間の言葉を乱して意思疎通が出来ないようにした物語だ。現代用語では「バベルの塔」は言語の違いによって起こる混乱、誤解を指す。共通の言葉無しにはコミュニケーションが成立しないというのが西欧の考え方だ。
一方、歴史的に同じ価値観、思考パターンを共有してきた日本では言葉以外の意思伝達方法が発達した。以前に取材で会った暴力団組長が格好の例を提供してくれた。
彼は「皇民党事件」で重要な役割を果たした人物。ご存じかもしれないがこの事件の焦点は、竹下元首相が1987年の自民党総裁選の際、暴力団の力を借りて右翼団体「皇民党」の街頭での「竹下ほめ殺し」を止めさせたかどうかであった。この事件で暴力団と右翼の仲立ちをしたのが私の会った人物だ。
彼によると一連の行動は「あうんの呼吸」で行なわれたという。つまり、依頼した方も依頼された方も明確な言葉を使わず、相手の「意を汲んだ」という訳だ。従って国会の証人喚問で「あなたはAさんに頼んだでしょう」と詰問されても、「私はそんな事は言っておりません」と答えるのである。
指導者が言語感覚に鈍感だと国民も苦労する。アメリカで40代半ばのフレッシュなクリントン大統領が誕生したとき、宮澤喜一首相は「人ひとり代わったからといって、大きな変化がある訳じゃない」と言い放った。
大統領が代わっても日米友好関係に変化がないと言いたかったのだろうが、一国のリーダーを「人ひとり」とはあまりに失礼ではないか。しかもクリントン氏は「変化」をスローガンに当選した大統領だ。
この他にも日本の閣僚が人種差別的発言をして顰蹙を買ったこともある。自分の意志を適切な言葉で表現できないと、いつまで経っても日本は国際社会で「異質」な存在であり続けるしかない。
私は日本人が異文化コミュニケーションをスムーズにする手段として、まずジョークから始めると良いと思っている。それも単なるダジャレではなく、TPOをわきまえたちょっと洒落たジョークを身につける事を薦めたい。
英語の達人で長く政府要人の通訳を務められた村松増美さんによると、「アー、ウー」で言語不明瞭だった故大平正芳首相は気の利いた一言でアメリカで難を逃れたそうだ。
場所はワシントンのナショナルプレスクラブ。記者の1人が「いつになったら日本は鯨の乱獲をやめるのか」と厳しい質問を投げかけた。困った首相は、童顔の大平スマイルで頭をかきながら「エー、鯨はこの場で扱うににはあまりに大きすぎて私にはどうにもなりません」と答えて、大笑いになったそうだ。こんな肩の凝らない切り返しが外国で周りの人を自分の味方にするコツといえそうだ。以来、アメリカ人記者の中で大平首相は人気者になった。
『ジョークの哲学』(加藤尚武著)には大人のジョークが色々集められていて面白い。例えばこんな話。スターリン時代のクレムリンでソ連の高官にインタビューしたアメリカ人記者が訪ねた。「ホワイトハウスで、”トルーマン(米大統領)のバカヤロー”と怒鳴っても逮捕されません。クレムリンではどうですか?
高官「いや、あなたが予想されるようなことはことは何も起きません。どうぞここで心ゆくまで、トルーマンのバカヤローと怒鳴ってください。決して逮捕はしません」
ジョークは異文化コミュニケーションにおいて、お金の掛らない大切な潤滑油である。
(写真はfumakilla.jp)
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