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ウクライナ:今そこにある核戦争の危機を考える

 「世界規模の核戦争の恐怖は消え去った。ロシアとアメリカは対立から対話の時代に入り、いくつかの重要なケースでは協力関係へと向かっている」

 1991年のノーベル平和賞受賞スピーチでそう高らかに宣言したのは、米ソ冷戦を終結に導いたソ連邦最後の最高指導者ミハエル・ゴルバチョフだった。

 その年の末、人口3億人近い大国ソ連が共産主義という理念とともに消滅しロシア連邦とウクライナを含む15の新しい国家が誕生。世界秩序はそれまでの東西冷戦から米国を中心とした国際協調主義へと一変した。世界中の人々が核兵器による人類滅亡の恐怖から解放されたと歓喜し、安堵のため息をついた瞬間でもあった。

 ところが現実には核の脅威は消えていなかった。「使えない」から「使える」核兵器というより危険な形に姿を変えただけだったのである。

 そのことをいちばん知っているのは恐らくウクライナ戦争で劣勢を巻き返す手段として核戦力をチラつかせているロシアのプーチン大統領だろう。

 その証拠に、27日の議会に向けた演説の中でプーチンは「外部から干渉する者は我々の反撃は稲妻のように早いものになることを知るべきだ。・・・必要があれば我々は他国が持たない手段を使うまでだ」と凄んでみせている。あながちハッタリではないところが怖い。

 無謀にみえる彼の強気の姿勢は一体どこから来るのだろうか。その答えは米ソ核開発の歴史の変遷から読み取ることができる。振り返ってみよう。

 1945年8月、米国の広島と長崎へ原子爆弾投下はその恐るべき破壊力を世界中に見せつけた。開発を主導した理論物理学者のオッペンハイマーは凄まじい被害を目の当たりにし「我は死神なり、世界の破壊者なり」と深く悔やんだとされる。

 しかし、米国を敵と考えるソ連は4年後に核実験を成功させ、さらに両国は強力な核爆弾の開発競争に邁進していった。

 そして1961年、ロシアはついに北極海上空で「ツァーリ・ボンバ(爆弾の皇帝)」と呼ばれる世界最大の核爆弾の実験を実施し、西側諸国を震撼させた。なにしろたった1発でヒロシマ型原爆の3300倍に相当する巨大爆弾で、その衝撃波は地球を3周するほどのエネルギーだったからだ。

 62年の「キューバ危機」で米ロは全面核戦争瀬戸際の恐怖を味わったが、米国の核攻撃能力は8対1の割合で圧倒的にソ連に勝り、冷戦末期まで米国が世界最強の核大国であり続けた。

 ところが皮肉なことに1991年のソ連崩壊から状況は逆転していく。核開発競争から米国が「目をそらした」からだ。イスラム過激派アルカイダによる2001年米国同時多発テロ事件をきっかけに米国はアフガニスタン戦争に泥沼にのめり込んでいった。2003年にはイラクにも侵攻。米国の軍事的関心は核よりも通常兵器による対テロ戦争へと移っていったのである。

 冷徹な戦略家で筋金入りの国家主義者であるロシアのプーチン大統領はそんな米国の状況を見逃すわけがない。大国ロシアの威信を取り戻すべく自国の核攻撃能力を着々と強化していった。

 現在、ロシアは通常兵器では未だに量と質で米国の劣っているものの、核弾頭数と多様な核攻撃ロシアロシアは米国を凌駕している。

 ストックホルム国際平和研究所の推計によれば、米国の核弾頭保有数が5550発であるのに対しロシアは世界最多の6255発を所有。両国が締結した新戦略兵器削減条約は2011年に発効しているものの、実質的に機能していない。

 そんな中、ウクライナ戦争勃発で米国が最も恐れているのはロシアの小型核兵器、いわゆる戦術核や低出力核兵器だ。厳密な定義はないが、戦略核のように強大な威力で街全体を破壊するのではなく、480キロ程度の短射程で敵の戦車や軍事拠点をピンポイントで撃破するのが目的の「使える核兵器」のことだ。現在も規制する国際条約が存在しておらず、危険極まりない代物である。

 じつは冷戦期にすでに米ソ両国とも何千発という小型核兵器を開発していた。局地戦争に対応するためだ。しかし通常兵器にシフトした米国は冷戦終結後にほとんどの戦術核を解体し、欧州から撤収したという。

 米議会調査局によると、現在米国が保有している戦術核数は200発。そのうちおよそ100発がNATO加盟国に配備されている。それに対しロシアはその10倍の2000発程度を保有し、その大半はNATO加盟国との国境に近いロシア西部に配置されているという。

 しかも、小型核で攻撃する際に、米国は軍用機から落とす重力爆弾しかないのに対し、ロシアは潜水艦魚雷、水陸弾道ミサイル、砲弾、爆撃機など様々な手段を持っているのだ。

 「(戦術核に関して)彼らは米国より多彩な攻撃能力を持っている」と、元米国中央軍司令官ケネス・マッケンジー・ジュニアは米国メディアの取材で認めている。

 こうして見てくると、核兵器使用をタブー視していない独裁者プーチンがなぜ強気の発言に終始しているか分かるだろう。

 「追い込まれたプーチンが戦術核や低出力核兵器を使うという脅しを軽視してはいけない」と、CIA長官で前ロシア大使だったウイリアム・バーンズが警告しているのも頷ける。

 電撃的なウクライナ侵攻で親欧米ゼレンスキー政権転覆する企てに失敗したプーチンは、プランBとして親ロシア派分離主義勢力が掌握する東部のドンバス地域の「解放」を目指して攻撃を強めている。しかし、一方的な勝利宣言を目論んでいると言われる5月9日の戦勝記念日には間に合いそうもない。

 米国のバイデン大統領はプーチンを「戦争犯罪人」や「虐殺者Butcher)」だと激しく非難して火に油を注いだことで、ロシア側は猛反発している。米国防総省によれば、過去2ヶ月でロシア軍はすでに25%の兵力を失っているという。戦力不足を補い、敵の戦意を喪失させるためにも、プーチンが戦術核を使う可能性は決してゼロではないのだ。もし核が使用されれば第2次世界大戦以来となる。

 狡猾な謀略家のプーチンのことだから、最初の攻撃は恐らくウクライナ軍に対してではなく、遠隔地で核兵器を炸裂させて恐怖心を煽るのではないか。

 マサチューセッツ工科大学(MIT)名誉教授で世界的な反戦知識人であるノーム・チョムスキーは、核戦争を避けるためにはウクライナがロシアに譲歩すべきだと訴えてた。だが、強硬なウクライナのゼレンスキー大統領にそのような妥協が可能だろうか。5月9日に向けて不安は広がるばかりだ。
                  (写真はjiji.com)

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