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忘れえぬシュツットガルト(後編)1頭の白馬から未来がみえるメルセデス・ベンツ・ミューシアム
一瞬、近未来都市へタイムスリップしたかと錯覚してしまうようなモダンな9階建てビル。吹き抜けのロビーの壁に沿って昇降するカプセル型エレベーターで一気に最上階に上がると、目前に現れたのは一頭の馬でした。
今にも動き出しそうですが、よく見ると剥製でした。右側の壁に目をやると疾駆する白馬に騎乗した男性が手綱を引いて馬を止め、降りて歩きだす姿がビデオで繰り返し上映されていました。なるほど、すべてはそこから始まったのです。
取材で取材で訪れたのはシュツットガルト郊外のウンタートゥルクハイムに2006年にオープンしたメルセデス・ベンツ・ミュージアム。螺旋を描きながら空に向ってのぼっていく太い帯状のガラスとアルミの外壁は日差しを受けて銀色に輝き、フォーミュラカー・レースで「シルバー・アロー(銀の矢)」の異名をとったメルセデスにふさわしい建物です。
気鋭のオランダ人建築家ベン・ファン・ベルケルが設計と知って納得。まさに現代建築の傑作です。学生時代には建築家を志したこともあった私は、ひと目見た途端に興味をそそられました。さっそく設計から竣工までを詳細に説明した厚さ6センチもある解説書のページを捲るとこのミュージアムにかけたダイムラー・クライスラー社の並々ならぬ情熱が伝わってきました。とにかく中途半端な妥協を許さない。建物自体が展示のコンセプトそのものなのです。
「自動車が生まれた地に歴史を刻むこと、そしてメルセデスの歴史のすべてを見せることがこのミュージアムの使命です」
ダイムラー・クライスラー広報ディレクター(当時)、ミヒャエル・ボック氏はそう言って目を輝かせました。その言葉に嘘のないことは160台、1500点という展示車両と展示品の数が物語っています。
ドイツ人技師カール・ベンツが世界最初の自動車を作ったのは今から121年前。1886年にドイツで特許を取得した『パテント・モトール・ヴァーゲン』です。馬車から馬を外し、床下にガソリンエンジンを取り付けただけの簡単な三輪自動車で、当時は「馬なし馬車」と呼ばれました。
しかしそのわずか1馬力の「馬なし馬車」がやがて私たち人間の社会を大きく変えることになったのです。ミュージアム来館者がまず目にするのが自動車ではなく馬であるのはその理由からです。まさに歴史の転換期を目撃するところからこのミュージアムは始まっています。
時空を超えて19世紀の世界に飛び込んだ人々は、まずレジェンド1(1886-1900年)のフロアーで『パテント・モトール・ヴァーゲン』と、同じ1886年にゴットリープ・ダイムラーが発明した四輪自動車『ダイムラー・モトール・クッシェ』に対面します。
世界で初めて作られた二台の自動車を見比べると面白い。ヴァーゲンはいかにも華奢だが走りやすそう。一方クッシェは見るからに頑丈で重々しい。機動的な自動車を夢見たベンツと汎用性の高いエンジンの開発にこだわったダイムラー。ふたりの発明者の技術思想の違いがすでにこの段階から現れているのです。
順路に従いゆるやかにカーブを描きながら下降する廊下を進むと、レジェンド2(1900-1914年)のフロアーにたどり着く。そこにはひとりの美少女がいまし存在存在する最古の40hpメルセデス・ジンプレックスです。上品なブルーの車体と金色に輝くホイールやヘッドライトがその名にふさわしい優雅さを今も漂わせています。何時間見ていても見飽きることがありません。
メルセデス好きならもうご存知のように、メルセデスとはもともとメルセデス・イェリネックという少女の名前でした。彼女の父親は自動車レース好きの大富豪で、ダイムラー・モトーレン社に対して開発資金援助をする条件として新車に当時10歳だった愛娘の名前をつけさせたのです。世界に冠たるブランド、メルセデスはこうして誕生しました。
メルセデスはイェリネック自身の雅号だという説もあるが、展示されているメルセデス・シンプレックスは誰の目にも可憐な少女に見えるでしょう。そして、その姿を慈しむように周りに4台のクラシック・メルセデスとベンツ車が配置されています。
次に現れたのはレジェンド3(1914-1945年)のフロアー。戦争の影が世界を暗く覆った時代です。ナチス政権下、メルセデス・ベンツ社は軍需産業との一体化の中で難しい立場に追い込まれました。しかし皮肉にもメルセデス車はアール・デコの影響を受け、さらにパワーとエレガンスを兼ね備えていったのです。
強制労働などの忌まわしい過去を直視した展示は、企業の社会的責任を重視する同社の姿勢が現れていて流石でした。この頃に登場したのが、燃費がよいディゼルエンジンと加速性能を高めたスーパーチャージャー。パワーと威厳という点では第二次世界大戦前の最高級車「グロッサー・メルセデス」の存在感には圧倒されました。
日本の宮内省(当時)は昭和天皇の御料車として防弾装備が付された7台を所有し、そのうちの1台、菊の紋章が付いた海老茶と黒のツートンカラーの770プルマン・リムジン、も展示されています。まさに物言わぬ歴史の証言者です。しかし私がさらに目を惹かれたのはその傍にあった真っ赤な車体の二人乗りオープンカー「500Kスペシャルロードスター」でした。流れるような優美なスタイルがたまらなく魅力的なのです。
緩やかなスロープをさらに降りていくと、戦後の繁栄期から現在に至るレジェンド4(1945-1960年)からレジェンド6(1986年~)に入ります。今、街で目にするメルセデスに近い車種(といっても垂涎のクラシックカーばかり)が登場しだすのもこのあたりからです。ソ連が崩壊し東西ドイツが統一され、国境を超えたグローバリゼーションの波が押し寄せる時代の始まりです。
展示内容もパワーとスピードから燃費や安全性、環境への配慮へと視点が移っていきます。じつは1939年の段階ですでにダイムラー・ベンツ社は自動車の安全に関する研究を始めていました。その研究の成果が戦後に大きく花咲いたのです。
衝突事故の際の衝撃力を車体で吸収するという斬新な発想を世界で初めて実用化した同社は、急ブレーキをかけた際にもハンドル操作で危険回避できるABS(アンチロック・ブレーキング・システム)、衝突時にシートベルトを自動的に巻き上げるシートベルトテンショナー、エアバッグ、電子制御ブレーキ装置などの安全技術を他社に先駆けて次々に導入してきました。最高の品質と安全性、それがまたメルセデスの価値を高めたのです。信頼できないクルマに乗りたいと思う人はいません。
一方、クルマはいつまでも刺激的でときめきのある乗り物であって欲しい。それを叶えてくれるのがカーレースです。メルセデスの歴史はレースカーの歴史でもあります。ミュージアムではその輝かしい歴史も目の当たりにすることができます。
なにしろ、サーキットのレーストラックを模した急カーブに1920年代から現在に至るまで33台のメルセデスのレースカーが競い合うように並べられているのだからまさに圧巻です。当時のエンジン音が聞こえてきそうでした。
1936年のデビュー戦で、メルセデスは決勝直前に1キログラム重量オーバーであることが判明しました。そこで急遽白い車体の塗装を全部剥がし銀色のアルミ地肌むき出しのままレースに臨んだそうです。結果はみごとに優勝。「シルバー・アロー」伝説の誕生の瞬間でした。
以来、メルセデスのレースカーはシルバーに塗装されるようになったのです。ところがミュージアムにはシルバー・アローに混ざって赤いメルセデスのレースカーが展示されているではありませんか。なぜなのかと問うと、ボック氏から思わぬ答えが返ってきました。
「あれはメルセデスがあまりにも強かったからです」
第二次世界大戦前のグランプリレースでライバルだったイタリアの各自動車メーカーのクルマはすべてナショナルカラーである赤で塗装されていました。車体の色で仲間を簡単に識別できたため、レース中にメルセデスが近づくと結束して前へ行かせまいとしたのです。
そこでメルセデスも赤く塗ることによって相手の目を惑わし、レースを制したのだそうです。まさにヨーロッパ各国がグランプリレースに国の威信をかけていた時代らしいエピソードですね。
ミュージアムの魅力はこれだけでは終わらない。モロッコ君主が所有していた1892年製ダイムラー、名女優でモナコ王妃だったグレース・ケリーがモンテカルロでハンドルを握った1958年製メルセデス190SL、コンラッド・アデナウアー旧西ドイツ初代首相の公用車(1959年製メルセデス300)、防弾ガラス張りのローマ法王専用車(1980メルセデス230G)、故ダイアナ妃が愛用した赤の1991年製500SL、ビートルズのリンゴ・スター使っていた1984年製190AMGなどの実物も見ることができます。その名もセレブリティ・ギャラリー。
それにしてもよくこれだけ集められたものです。目を丸くしていた私にボック氏がニヤリと笑いました。
「我が社はセレブの皆様と長いお付き合いがありますから。そしてさらに5人の特別捜査チームが世界を駆け回ってこうした名車を探し出してくるのです」
その他にも「ヘルパー・ギャラリー」と名づけられたコレクションルームには、消防車、緊急自動車、レスキュー車、ゴミ収集車、除雪車、霊柩車などが展示されているし、「ヒーロー・ギャラリー」には走行距離がなんと100万キロを超えたというリスボンのタクシーもある。未来へのイノベーションを力強く支えているのはじつは揺ぎ無い伝統を守る精神なのです。
じつはメルセデスの伝統を強固に守っている場所がもう1ヶ所存在します。クラシックセンターです。古いメルセデスの修復や修理を一手に行うために1993年に設立されました。他のメーカーには真似の出来ないこのクラシックモデル”再生工場“では、従業員の中から選ばれた50人の優秀な”職人”たちが今も頑固なまでに手作業で仕事をしていました。
「どんな状態で入ってきても、走るクルマにするのが私たちのモットーです」
ちょうど居合わせたベテランのメカニックがそう話してくれた。なにしろ赤く錆び付いたシャーシの一部からでもかつての名車を蘇らせてくれるというのだから、まさに職人芸の域です。戦時中に図面が焼失した車の場合には新たに図面から引き直すという徹底ぶり。
1台のメルセデスを完全修復するのに最長で5年かかったそうです。この一徹さがたまらなくいい。私が訪れた時にはちょうど中東の富豪が所有しているクラシック・メルセデスの修復中でした。さすがに修復代までは教えてもらえませんでしたが、海外の裕福な顧客が全体の2割を占めていると話してくれました。
しかしクラシックセンターはお金持ちの道楽のためだけにあるのではありません。小物、スペアパーツはもちろん、戦前のオールドタイマーより年代の浅いヤングタイマーも販売していました。約2万ユーロ(310万円)で立派に街中を走れる憧れのクラシック・メルセデスが手に入るということから若い顧客にも人気だそうです。
ミュージアムに展示されている車ももちろん走行可だというから驚き。「クルマは走るものというのが我々の哲学です」とボック氏。12以上以上に及ぶ自動車技術の歴史と伝統はこうして未来へ手渡されていくのである。それを見ることができるのがシュツットガルトの街です。
(ちなみにメルセデスファンの私が運転しベンツベンツは4代目で20年近く前に購入したアバンギャルドで、いまやクラシックカー扱いです!)
(終)