第10話 僕にそっと手紙を渡してきた生徒
家庭の悩みがない高校生は、ほとんどいない。その悩みに、偏差値や学力は関係ない。僕も中高生の頃、(あくまで精神面での)「父親殺し」を胸に引きずりながら日々を送ったことがある。
ちょうど秋の文化祭が終わって、教室の雰囲気がだらんとしていた時分。高2の授業を終えて廊下を歩いてると、教室から女子生徒が出てきて、僕にそっと紙片を手渡した。彼女は「よろしくお願いします」と口早に伝え、もどった。
告白!? もう30をゆうに超えてる僕……。20代の新卒教師のもとへは、授業の質問との名目で、生徒がニコニコしながらおしゃべりにやってくる。バレンタインデーだって甘いお菓子がどっさり。
一方、ふだん呼んでもないのに僕のところへ近寄ってくるのは、うるさくてお調子者の部活系や、「そのキモい柄のTシャツ、どこで売ってるんですか?」とか聞いてくる、ひと筋縄ではいかない系生徒。
けれど、そっと紙片を渡してきた生徒は静かめの女子生徒だった。うん、なんだろう、と不思議に思った。
家のことで悩みがあります。担任の先生には内緒で、相談にのってください。紙片にはそのように書かれていた。
彼女の担任ではない僕が相談を受けていいものか……
彼女のクラス担任は、女性のS先生。厳しいながらも、指導力に定評がある。できが悪かったり、ひねくれたりする生徒にも変わりなく厳しい。けど、職員室でのS先生はほとんど生徒の話ばかりしていて、どれだけ生徒に関心を払っているか、よくわかっていた。
それだけに、僕は迷った。担任じゃないクラスの生徒と、廊下での会話を超えたレベルの面談をやっていいものか。しかも担任のS先生には内緒で。
生徒からして同性の先生には伝えにくい、あるいは担任を敬遠したくなるケースはある。そのことはよくわかっていた。しかし、担任教師の責任とプライドは大きいものだ。クラスの面倒は自分で見るべきだと思う教師は多いし、学校からもそのように期待されている節もある。
もしこの面談がS先生にばれたとき、メンツをつぶされた先生と僕の関係は気まずくなるんじゃないか。新米教師の僕は、どうしてもこのことが心配だった。
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考えあぐねた僕は、信頼する先輩教師に相談した。ややあって、彼はこうアドバイスしてくれた。
「林さんもわかってると思うけど、Sさんの体面とかより、やっぱりまずは生徒のことだね。その生徒があなたを選んだのだから、迷わなくていい。教師にだって得意とか苦手な生徒ってあるだろ? 生徒も一緒。もし担任が苦手なとき、別の先生に頼ろうと思えるってことは、学校に『タメ』があるってこと。担任て、そこまでえらくないんだよ。すべての生徒を囲い込もうとして、独りよがりになっちゃだめだしね。だからさ、S先生に遠慮しなくていい。逆に、海老原さんのクラスに、S先生のほうに『なつく』生徒がいても、やきもち焼いちゃだめだよ?(笑)」
S先生の気分を害するのではとの懸念は、僕自身がS先生の立場だったらいやだなとの思いに裏打ちされていたのかもしれない。僕はハッとして、自分の担任クラスの生徒を無意識に「囲い込もう」としていた可能性に思い至った。
高校生のときに日陰者だったからこそ
学校の教師には、大ざっぱな住み分け(分業)がある。それぞれ、接するのがわりと得意な生徒のタイプがあるのだ(えこひいきとはちがう)。元気で茶目っ気ある生徒、秀才肌で冷静な生徒、静かでおっとりした生徒、アーティスト気質でクセの強い生徒などなど。
S先生は秀才肌の生徒の実力を伸ばすのがうまいし、僕はいつもそのスキルに驚かされていた。逆に僕は、高校生のときに自分が日陰者だったこともあり、クセが強くて「大人に煙たがられやすい」生徒とのコミュニケーションを増やそうと努めていた。
そして、S先生のメンツとか担任教師のあるべき姿とかに目が行きがちだった僕は、生徒からしても、得意とする教師はそれぞれちがうのだという当たり前のことを見失っていた。
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昼休み、僕は女子生徒をそっと呼び出し、面談に入った。
彼女は親との関係がうまくいっておらず、大きなわだかまりを胸に抱えていた。ひととおり聞き終えた僕は、「大人だけど即効薬を用意できるわけじゃないし、『気にするなよ』とか簡単に励ますのは無責任だとも思う」と、正直に伝えた。
「はい」。ひと泣きし終わった彼女は、うなずいた。
そして僕は、「でもよかったら、また話、聞かせてくほしいな」と返すだけだった。大したことはできないけど、あなたを敬遠してはいないとの思いだけは、わかってほしかった。
そして、この件は担任のS先生に伏せておくと約束した(内容によっては担任に伝えなきゃと思っていたが、今回はその必要なしと判断した)。彼女は赤目の笑顔を固く作り、教室へもどった。
生徒からすると、目上の担任ではなく、担任よりも物理的・精神的に距離のある大人、いってみれば「ななめ上」の先生に話を聞いてもらえること。教師からすると、解決策を提示できない無力さを抱えつつ、別のクラスの生徒のとつとつとした悩みに耳をかたむけられること。
僕は、先輩教師のいう学校組織の「タメ」というものが、何となくわかった気がした。
「人生相談、お願いしていいですか?」
数日後。その生徒とは別のクラスの女子生徒が、僕のところへ寄ってきた「先生、内緒で『人生相談』お願いしていいですか?」 相談相手として、僕をその生徒からすすめられたのだという。
僕は、生徒の話を聞きながら、首をひねって一緒に悩んでいただけだ。どう考えても過大評価されている。それでも必要とされるって一体……生徒のものさしってよくわからない。
僕のものさしとは別のものさしで、生徒は教師を測っている。とすると、きっと新米の僕の目には見えないところで、多くの先生が「タメ」として、日々生徒に必要とされているんだろうなと思う。学校での教育と教師の役割というのは、目に見えにくいところで奥ゆかしく機能している。
こんなことがあった。僕の担任クラスの男子生徒が、冬の海外研修に支給される奨学金の願書を準備していた。その彼が、後日こういった。「S先生にチョー厳しく添削してもらって、願書仕上げました。まじ怖かったす!」
彼は、文書作成に定評あるS先生をみずから選んだ。そして厳しくだめ出しされつつ、納得いく願書を仕上げた。S先生は、僕にはないスキルにあふれる安定感抜群の「タメ」だった。
僕は僕なりに、まだまだ心もとない、生徒にとっての安定感を高める努力をしなきゃと思った。以降、折を見てはカウンセリングの本を読みあさっている。