第11話 「あー、めんどくせー」な生徒のそれから
4月から高校3年生の担任となった。彼らが入学した2年前の4月、僕もこの高校で働くようになった。それから日々の学校生活を、この学年と過ごしてきた。来年の3月になったら、生徒たちが学校からいなくなると思うと、今からもう淋しい。
この仕事をやっていると、知らずしらずに生徒の「成長」を見つけることがしばしばある。その成長が、ふつうの大人からしたらちっぽけなものでも、日ごろ彼らと接する僕からしたら、とても頼もしいと思えたりする。
今日は、そんな、ささやかながらも力づよい成長の話。
げんなりしていた2年前のホームルーム
高1のとき僕のクラスだったその男子は、入学当初からすでにダラしなかった。うちの学校は、上履きの指定がない。生徒はめいめい用意した上履きをはいているから、外履きなのか上履きなのか、判断が難しいこともしばしば。けれど、その生徒の足元は、はっきりわかる外履きのことが多かった。
「おい! 何回目だよ! ちゃんと上履きはけよ!」
こんなやりとりで朝のホームルームを始めることが、何度もあった。外履きのまま教室に上がると、どうしたって床が汚れる。とくに、雨の日は不潔になる。注意しても直らず、いいかげんしびれを切らして家庭に連絡しても、「ほんと、あの子のへそ曲がりには手を焼いてまして……」と、逆に助けを求められてしまう。
「放課後、教室を掃除してくれる人たちに申し訳ないでしょ? 掃除ってほんっっっと大変だからね! 自分たちで掃除してた中学時代を思い出してみろよ~」
と僕が下手に出たところで、ふた言目には、あーでもない、こーでもないと言い訳が始まる。まー、口がよく回る! 「この学校に100人はいますって、外履きのままのやつ」
他者への想像力がおよばない、子どもじみた弁明に、2年前のホームルームの朝、僕はたびたびげんなりして、叱った。「あー、めんどくせー」が、彼の決まり文句。言葉につまるとすぐそう言った。間接的な「敗北宣言」と僕は都合よく受け取っていたけど、今思えば、ただ単にめんどくさかっただけなのだろう。
彼はワルになりきることもなく、注意されたら、すぐ履き替えに行った。あたかも朝のやりとりはジャブ(軽いパンチ)の応酬のようで、先生という権力者への「抵抗」の練習をするようだった。
だとしたら、抵抗者にとっての「壁」として、僕も手抜きするわけにゃいかない。ちゃんと立ちはだかろうと思って、しつこく叱った。彼も僕も、1年生。はたから見れば子どもじみたゲーム。それでも真剣だった。
*
かといって、僕らの関係は険悪になるでもなかった。彼は、1年の4月から入った部活でウマが合わず、夏を過ぎたところで退部した。その後、放課後のエネルギーを持て余した彼は、何かと相談してきた。
映画が好きだから、DVDで観れるオススメ教えてほしいす。
うーん、まずは映画館じゃない? 放課後ヒマなら、ちょっと足伸ばして渋谷のミニシアターとか行ってこいよ。人知れず、こっそり「孤独」に没入する感じって、大事だと思うけどな。
その後しばらく日が経って。
映画も好きなんすけどね。でも動きたいっていうか。太っちゃったし……。
今スケボーはまってんだろ? 極めてみれば? あいつら(クラスメート)と、色んなとこのリンク行ってるって聞いたけど。
知ってたんすか?
どうせやるなら世界をめざせよ。面白くもない世を面白く、って感じ。
僕はハッパをかけた。
熱しやすく冷めやすく
「センセー、スケボーを学校に持ってくるのってダメすか? もちろん学校じゃ危ないからやらないんすけど、◯◯先生にちょー怒られた……そんなの持ってくるなーっっっ!って」
秋ごろのホームルームで彼はこう訴えた。ときに上履きは履かないわ、ガムは噛むわの彼だけど、スケボー持参はべつに校則違反じゃない。彼の身なりとスケボーで、教師側が安直に「悪」とラベルを貼ったのかもしれない。
「ぜんぜん問題なし。明日も持ってこいよ。次、何か言われたら、担任の許可を取ってるって言えよ」
こうして、1年目にスケボーにはまった彼。けれど、その熱は高2であっという間に冷めていた。今度は新しい友人の影響を受け、今度は即興ラップに目覚めたのだった。そして3年目の今。結局は、部活に汗を流してる。それも、よりによって僕が顧問をする野球部で!
ジェットコースターのように速い展開。熱中するターゲットを新たにロックオンしたら、無邪気にスッとはまる。熱しやすく、冷めやすい。
別に悪いことじゃない。むしろすがすがしい。やりたいことは色々模索すればいいじゃないかと思う。自分もまた、社会人、留学生、ニート、バイト講師、そして教師だったりと、変転の人生だったし、偉そうなことは言えない。
野球経験者ということもあって、今、彼はわりと真面目に部活に参加している。遅刻はするわ、すぐネガティブなこと言うわ、グラウンド整備こっそりサボるわ、怠慢なミスを叱られるとすぐいじけるわで、顧問からすると「あー、めんどくせー」なヤツだけれど。
「ザ・自分本意」だった彼が…
3年になる直前の春休み、練習中に選手たちがキャッチボールしながら会話していた。話題は、汚れたユニフォームや練習着を、家で誰が洗ってるか。野球はとにかく土汚れとの闘い。洗濯には根気がいる。
「風呂入る前に脱いで、カゴにほっぽっとく。自分じゃやらないかな」。優等生なサードはこう言った。
「俺はさー、汚れた時はつけ置きするまでやっとく。あとは俺も任せちゃう」。元気印のライトが言った。
「は!? ありえねー、お前ら、ショボすぎだろ。『自立』しろよ! ユニフォームは、ふつー自分で洗うだろ。汚れがうつっちゃマズいので、他の洗濯物とは分けて洗うものです」。
元スケーターにして元ラッパーが、まさかの説教を垂れた。自立だなんて、えらそうに……。はたで聞いていた僕は嘆息しつつも、ちょっぴりうれしかった。
そういえば、その日より前にあった公式戦の日。試合にはぶじ勝って、選手たちは保護者がさし入れた軽食を食べていた。そんな中、風がビュッと吹いて、公園のゴミ箱からパンの空袋がすーっと落ちた。
差し入れを食べ終えた選手たちが何人も、自分のゴミを捨てには行くけれど、落ちていた空袋を拾ってゴミ箱に戻すヤツは一人もいなかった。やや距離のあるところから、僕はもう一人の顧問と談笑しながら、何となくその空袋を見やっていた。
すると、それに手をやってゴミ箱に戻したのは、2年前の教室では外履き常習犯だった彼だった。
*
大人から見れば、軽率ともとれるフットワークで、熱中の標的をころころ変えてきた一人の生徒。
ジグザグ、行きつ戻りつ、遠回りして模索しながら、「自立」への「成長」をしてきたのかもしれない。
自分で洗濯する。自分の落としたものではないゴミを拾う。高1の頃は、ザ・自分本位だった彼のことが、小さな二つのエピソードをとおして、僕にはちょっと頼もしく思えた。他者への想像力が働かなければ、やるのがむずかしいことだから。
ひとりの人間が目立たぬ形で「成長」するプロセスを、垣間見た気がする。これは、教育にたずさわる仕事の醍醐味かもしれない。そしてこの仕事の魅力って、やっぱり底が知れないなと思う。