第4話 心ふるえる解答用紙
前回は、高校生の世界史の授業をきっかけとする話を書いた。その授業では、もう一つ印象に残ることがあった。それは、中世ドイツの「自由都市」(商人らの自治が認められた都市)に関わることわざを教えたときのこと。
「都市の空気は(人を)自由にする」
中世ヨーロッパは、少なくとも15世紀くらいまでユーラシア大陸の「遅れた」地域だった。農奴の扱いもわりと厳しく、基本的に彼らには移動や職業選択の自由がなかった。
でも、トンビの子はトンビ、との運命を呪う人間もいる。そんな彼らが故郷を捨て、逃げた先が都市。そこで「1年と1日」を過ごせば、農奴の身分から解放された。
ここを学ぶとき、僕は授業でちょっと寄り道する。
何かから逃げたい! そういった気持ちを味わうことないまま一生を終える人は、まずいない。だからこそ、1000年近く前の農奴の話なんて今の自分に関係ないでしょ、と生徒に思ってほしくない(まったく生徒に関係ないとすれば、中世史を学ぶ意味はどこにあるんだろう?)。
だから、ちょっと暑苦しいかもと心配したけど、僕は次のような話をつづけた。
すべてを放り出して逃げたくなったときは
メディア関係の小さな会社でのブラックな仕事に嫌気がさし、自分がつぶされる前に会社を辞めた僕は、留学中の友人の手引きで、とあるアジアの国に「逃げた」。そこでバイトしつつ言葉を学びながら、1年と1日ならぬ、1年と10ヶ月。充電をたっぷりした僕は、たしかに何かから「解放された」と思う。
そして最近では、もうこんな仕事イヤだ!となったとき、すべてをほっぽり出して新宿に駆け込む。目的地はザ・昭和の喫茶店。タバコの臭いは大嫌いだけど、ここでは我慢する。今じゃめっきり食べられなくなった「フルーツ・パフェ」を楽しめるから。
お値段こそ平成級で1000円ちょっとだけど、内容物は正真正銘、昭和のパフェ。黄桃やパイン、サクランボはもちろん缶詰めのもの(昭和生まれは、新鮮な果物を使った「スイーツ」じゃなくていい)。
こんな話をして、ちょっとむずかしい歴史用語、「アジール」を紹介した。ごく大まかに言えば、これは駆け込み寺やシェルター(難民にとっては避難先の国)のことだと説明した。困った時、追われている時、何かから逃げたい時、「あそこに行けば何とかなる」と思える場所。
その人の氏素性が問われないアジールがあるかないかで、人生の道すじってだいぶ変わってくるよなぁ。こんな一人ごとをよそおいつつ、生徒にひそやかに問いかけてみた。
「今のあなたにとって、“アジール”はどこですか?」
疲れている高校生たち
この言葉を学んだ1学期の期末試験で、まさにそんな問題を出してみた。授業でしっかり説明したからか、アジールの意味を適切にとらえた生徒がほとんどだった(アモーレ[愛]とかんちがいし、「アジールとは“愛する人”のこと」と書いた者もいたけど!)。
今どきの高校生は……と、年をとるほどマユをひそめる人が多くなる。けれど、今どきの高校生も日々闘ってる。何と? 家族と、あるいは教室や部活での人間関係と。ネットやスマホ全盛の今日、ある意味むかーしむかしの高校生よりも困難な闘いをしいられている。
解答欄からは、「すげぇ疲れてる」感があふれ出ていてびっくりしたけれど、みずからのアジールを堂々と教えてくれた生徒たち。今も印象にのこっている解答を、一部紹介してみたい。
まず、「スタバのソファ」という答えが何枚もあったこと。高校生でスタバとは、なかなかどうして生意気だけれど!
頼もしかったのは、「図書館」。そう答えた生徒は文言もふるっていて、「すべての喧噪とノイズを忘れて、本の世界に没頭できる」といったコメントを付けた子がいた。本と、本に囲まれた小宇宙も、まだまだ健在なのかもしれない。うれしい。
比喩的にアジールをとらえた解答には、たとえば「イヤホン」があった。自分だけの世界にひたることが許されるから、というのがその生徒の理由。心に余裕ができたときは、少しだけでも外界に耳をすましてほしいけれど。
ただ一人、「リア充」ぶりをアピールしつつ、「●●くん(彼氏)のとなり」と答えた生徒もいた。すべてを受け入れてくれて、守ってくれるから。社会科教師としては、「守ってもらうだけの人生でいいのか?」と問いたくもなったけれど、「ひがみ」と思われるだけだろう。
そしてもっとも多かった解答は……「家」と「母」。学校で闘い疲れた私を、無条件に受け入れてくれるから。多くの生徒にとって、家は信頼のおけるよりどころになっているようだ。ただ、本来のアジールは「家/家族」の束縛から逃れるとのニュアンスを帯びる。ろくでもない家に育った僕としては、ちょっぴりうらやましい。
意外な避難先は?
でも、親子の関係は必ずしもうまくいかない。生徒の相談にのると、そう痛感する。親からの一言に傷つき、ヘトヘトになってる子どもは少なくない。
そんな子どもたちは、一体どこへ逃げるのか? とっても意外で興味深かったのは、「おばあちゃんの家」という答えがかなり多かったこと。40人前後の各クラスで、それぞれ10枚近くはこうした答えがあった。
核家族化した世の中とは言うけれど、私立高に通わせるということは、拡大家族を巻き込んだサポートあってこそかもしれない。そう思った。
「おばあちゃんは、親みたくガミガミ言わない。何も聞かないで迎え入れてくれる」。
ある生徒の解答はとても切実だった。夫婦ゲンカがいつものように始まって、やがていつもどおり、末っ子の私に怒りの矛先が向いてくる。ケンカしてた二人が一緒になって突っかかってくると、何も言い返せない。そんなとき、おばあちゃんの家に逃げる。そして何とかほっと一息つく。
いつもはやんちゃな、部活大好き生徒。
子どもは、教師の見えないところで常に闘ってる。そんな、当たり前だけど忘れがちな事実を、思い起こさせてくれた。
*
ちなみに、解答欄に「父」や「おじいちゃんの家」と答えた生徒は、ゼロだった……。母子関係の一端はうかがえたけれど、父子関係はどうなってるんだろうか?
丸つけをしながら、ふとそんな疑問が頭をもたげたのだった。