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絶対人に頼らなければならない時

病名を付けられれば、非定期型うつとでも言われるかもしれないが、一年に10日以上(これでもかなり減ったほう)はどうしようもなく気分が落ちる日がある。

朝になるとわかる。

ああ、今日はこの日か。

感情のコントロールを全て奪われ、行き場のない気持ちに、もがき苦しむ日だ。

一般的には病院に行って薬を処方してもらった方がいいと助言する人が多いだろうが、私は西洋医学なケミカルなものを体内に入れることをどうも好まないので、それは選択しない。

前に一度、どうしようもない落ち込みとハイ状態が交互に来るのが何ヶ月も続いていたので、病院に行き薬を処方してもらった。
それを服用したところ、とんでもなく集中力が上がったのと同時に、頭がぼーっとしてあらゆる感情があまり湧かない、感じられない状態になった。
神経を麻痺させられている感覚が怖くなり、すぐに服用を中止した。

それ以降、風邪薬はもちろん、痛み止めすら飲まなくなったし、気分の落ち込みがどれだけひどくなっても、病院へ足を運ぶこともなくなった。
不調が出たら、服用するのは漢方薬のみだ。

しかし、前述したような「どうしようもない状態」になったら、言葉通りなにもできない。

ベッドから起き上がれない日もあるし、お風呂なんて今からエジプト行きのチケットをとり、飛行機に乗るくらいハードルが高い。

ではそういう時はどうするか。

なにもできないなりに一歩だけ進む。

それは誰かを頼ること。

私の場合は母か夫に

「今日あの日や。どうしよう。」

というボールだけ投げる。

相手の都合や気持ちを考えてしまうと、それができなくなるので、意図的に考えないようにしている。

もちろん親であってもパートナーであっても気遣いは大事だ。
それは大前提の話。

しかし、このシチュエーションだと別の話だ。

とにかくボールを投げて待つ。

そして、相手に誘導してもらう。

例えば夫は

「大丈夫?なんか食べたら?」

と返すことが多い。

自分ではなにもやる気が起こらないのに、他人の言葉の力を借りると動ける時の方が多い。

もちろん、これが成功する時も、そうでない時もあるが、自分1人ベッドで佇んでるよりは確実に行動力が上がる。

大抵は「なんか食べたら?」の誘導でアクションを起こせるが、もっと状態がひどい時は

「なに食べたらいい?」と聞き、細かいところまで指定してもらう。

何かを判断したり決断するということはエネルギーがいる作業だから、それを他人に委託するといってもいいだろう。

とにかくこの方法は私にはとても有効的なのは確かなので、信頼できる人の手を借りて実践することが多い。


「人に頼らない心」は、心を深めていく上で非常に大切なことだと思う。

しかし、それは「生きていること」が絶対条件なので、

「生きていること」>「人に頼らない心」

となるわけで、生きることは最優先だ。

昨日も女優の芦名星さんが亡くなったと悲報が入った。
死んでしまっては心を深めることすら難しくなってしまうし、不幸ばかり産むことになる。

ゆえに、人の意を借りることは悪ではない。
時には絶対必要な事だと心に留めておきたい。


#日記 #エッセイ #コラム #ADHD
#アルペルガー #芦名星 #生きること



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