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神社はその地の歴史の宝庫
「かごめかごめ かごのなかのとりは いついつでやる よあけのばんに 鶴と亀がすべった うしろのしょうめんだぁーれ」
お江戸のわらべ歌です。実に不思議な歌です。夜明けの晩とか、滑ったとか、なにを意味してるのでしょうね。何かの暗号なのでしょうか。
この歌の発祥は、お江戸の近く下総は野田の愛宕神社といわれています。この神社の境内で遊んでいて覚えた歌を、後にお江戸に子守奉公に出た時、子守をしながら歌ったのでしょうか。
野田の愛宕神社は、由緒によりますと、延長元年(923平安時代)に山城国から防火の神として勧請された神社で、現在の社殿は、文政7年(1824)に再建されたものといわれています。山城の国といえば本能寺の明智光秀。このところTVで放映された歴史ものの中で“本能寺の変”が従来の通説とは違った解釈をされているのがありました。京都愛宕神社といえば、何か謎めいてきそうですね・・。
「とおりゃんせとおりゃんせ ここはどこのほそみちじゃ 天神さまのほそみちじゃ ちょっととおしてくだしゃんせ (略) ごようのないものとおしゃせぬ いきはよいよいかえりはこわい こわいながらもとおりゃんせ とおりゃんせ」
これもお江戸のわらべ歌のようです。ここに出てくる天神様は三芳野神社、お江戸の北西は武蔵国の川越城の中にある、いや城の中に取り込まれてしまったようです。「この子の七つのお祝いにお札を納めに参ります」
庶民がお参りしたい神社が、お城の中にある。さてどおやってお参りしたのでしょう。
神社はその地の歴史の宝庫です。ご神気浴だけでなく歴史探索にお出かけになっては如何でしょうか。由緒だけでなく、もうひとつの伝承があります。
えぇー!と思わず口走るような伝えがご近所にもあるかもしれません。
伝承は案外正確に歴史的事実を伝えています。ただ、当時の状況をうまくかいくぐっている時もありますが、案外私たちの方が、捻じ曲げたり、疑ったりしているのではないでしょうか。