#出版社社員が選ぶ本 6月 桜桃忌「太宰治作品、私なら…」新人編集m編
みなさんこんにちは。
青月社企画編集部です。
6月最後の平日、今日の東京は朝から強い雨でしたね。
雨音を聞きながら読書をして、眠くなったらそのまま昼寝してしまいたい、
そんな気分ですが今日はまだ金曜日。気を引き締めなくては。
週末は晴れるのかな。⛅️
あとわずかの6月、そしてきっと暑くなる7月も、
みなさんが健やかに過ごせますように、そんな気持ちで
「太宰治作品、私なら…」新人編集mからのご紹介をお届けします!
📕『太宰治選集 Ⅰ』柏艪社(2009)
「恥」
✒️太宰治
初出: 「婦人画報」1942
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通勤中の電車で、15歳のころの記憶がふと蘇る。
高校1年生の夏である。
おなじ教室に存在しているというだけで、わたしの目とはとらえる世界のまるでちがう、この世の日向しか知らないような男の子がいた。
教室のまんなかで、大声で放ったひとりごとが30人を笑わせるような種類の人間だった。「内向的」という形容詞の具現化として生きるわたしなど、彼の視界の片隅にも入っていなかったかもしれない。
とある日の休み時間、わたしの席のそばにやってきた彼は「おれの母ちゃん、先週末にママさんバレーの練習があってさー」と話し始めた。
ひとりで本を読んでいたわたしは思わず顔をあげた。彼はわたしの席の真横に立っていて、奇遇にもわたしの母はママさんバレーをしている。
考える間もなく、ほとんど反射的に言葉が流れ出た。
「え、わたしのお母さんもバレーやってるよ!」その瞬間の、彼がわたしに向けたまなざしといったら、楽しく進んでいた絵しりとりの最中にとつぜん解読不能なイラストが回ってきたときのそれに近いものがあった。
よく考えなくてもわかることだが、彼はわたしという教室内の置物のそばに立っていただけで、置物からの返答は微塵も望んでいない。彼が元の文脈に戻るまでの一瞬が、ひどく長い時間に感じられた。
その後、彼とは一度たりとも会話を交わすことはなく、高校を卒業して正真正銘の他人どうしとなってから数年が経った今もなお、私は会社へ向かう満員電車のなかで、彼の冷ややかなまなざしをふと思い出して叫び出しそうになる。四肢をぶんぶんと振り回して、あの夏に骨髄反射で湧き上がった自意識をかき消してしまいたくなる。『恥』とは、そういう内面のかさぶたをわざわざ抉って新鮮な傷に戻すような痛痒さを伴う。
太宰、15歳のわたしのこと見てた?(新人編集m)
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今月もお付き合いいただきありがとうございました。
7月も季節に沿ったテーマでお届けする予定ですので、どうぞ引き続きお付き合いください。
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