多様性と相対主義とグローバル化
相対主義というものに、どこまでひとは耐えられるのであろうか。
多様性の尊重は正義か
リベラルさんは、多様性の尊重は正しいとおっしゃる。
諸国のいろいろな伝統、文化、習俗を尊重することが大事だとおっしゃる。
しかし僕は反対だ。
例えば僕は日本の男尊女卑の伝統的文化を尊重したくない。
僕は、夫婦は同姓でなければならないという意見を否定する。
僕は、もしも夫婦が別姓になったら、家族制度は崩壊し、日本の社会は崩壊し、天皇制は崩壊すると唱える神道の人間の意見に反対だ。ベトナムが共産化しても世界が共産化しなかったように、僕の教え子の夫婦が別姓になっても、天皇制は崩壊しないと思う。
それに、もしもその程度のことで崩壊する天皇制ならば、崩壊してしまえとも思う。
特殊な文化の内部にいる人々を尊重できるか
例えばイスラム圏に、日本の女性政治家が訪れるとき、彼女らはスカーフを巻く。
「イスラムの文化を尊重していますよ」というジェスチャーだ。
しかしおそらく彼女たちは知らない。
例えばイランやアルジェリアの幾人もの女性が、スカーフからの解放を求めていることを。
日本の女性政治家はスカーフを巻くという行為で、イスラム原理主義からの自由を訴える現地の女性たちの希求を、土足で踏みにじっているのだ。
「なんでもあり」が隠蔽する「信仰」
かくも多様性の尊重は難しい。
「なんでもあり」の相対主義は、非常にしばしば、「あちらを立てれば、こちらが立たず」の状況に陥る。
「みんなと仲良く」なんて、しょせん無理なのだろうか。
「いやあ、無理なんてことはありません。
みんな、お金、大好き。
みんな、安くて優秀なスマホ、大好き。
どんな宗教のひととも商売できるよ。」
とおっしゃるひとたちもいる。
しかし彼らは「拝金主義」「功利主義」を信仰しているだけだ。
グローバル化がもたらす相対主義
19世紀末から20世紀にかけて、蒸気船がグローバル化を推進し、その結果、ヒトモノカネ情報の交流は急速に拡大した。
そのとき西洋人が世界各地の植民地で目撃したものは何であったか。
それこそが多様な文化の存在であった。
アジアアフリカの大半の先住民は世界各地を旅したことはない。従って自分たちの特殊文化のなかにとどまることができた。
しかしあちらこちらでいろいろなものを見た西洋人は、自分たちの特殊文化にとどまることができなかった。そして相対主義へと傾いていった。
1905年、日露戦争の年、フランスでは「国家と諸宗教の分離法(ライシテ法)」が可決された。これによってフランス社会の脱宗教化が加速したわけだが、僕はこの背景にグローバル化の影響があったと睨んでいる。
地球には、いろいろな宗教があるのだから、フランスにもいろいろな宗教があってもいいじゃん!という発想だ。
そして諸宗教をマネージメントする役割を、共和国が担うに至った。
しかしそこからまた共和国の神格化という現象が生まれた。
神を求める孤独な人々
ひとは完全に相対主義になることができない。
たとえ「嘘」とわかっていても、「絶対的」価値を求めてしまう。
「嘘」とわかっていて、「家族」を大事にするジェスチャーに自己陶酔して、
「存在しない」とわかっていて、世界の中心で「愛」を叫んで、
「自分のエゴに過ぎない」とわかっていて、「自由」を求める。
「家族」や「愛」や「自由」の暴力的で抑圧的な性格を無視して、かつて泣かされた経験を忘れて。
昔から日本人はこの種の自己欺瞞がうまい。
結局、人間は、僕も含めて、たとえ引きこもりやオタクのように孤立できたとしても、孤独に生きるだけの精神力を持つことがなかなかできないのだろう。