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SNSと新しい政治の風
政治の新しい風
石丸伸二、玉木雄一郎、斎藤元彦の躍進を、旧大手メディアはSNSのせいにする。
たしかにお三方、似ている。
彼らの、打たれ強いメンタルは、それだけで信念の強さを印象づける。
しかしSNSで自らの信念を拡散すれば、それだけで有権者の投票行動がかわるのか。
大事なのは何を拡散するかではないのか。
例えば石丸伸二は最終的に東京都知事に落選した。
理由は簡単だ。具体的な公約を争点として打ち出せなかったからだ。
これに比し、斎藤元彦は旧大手メディアが流した疑惑を丁寧に否定する一方で、知事給与の3割カット、県庁舎の建て替え凍結などの具体的な実績を訴えた。だから兵庫県県知事に返り咲けた。
他方、高市早苗を支持する極右も、ネットを多用するが、政治に新しい風を吹かせるには至っていない。「大和民族の未来」なんてどうだっていいと、大半の国民は思っているからだ。
要するに、ネットの政治的影響力は次の2点で重視されるべきである。
第一に、具体的な話を丁寧にするのに、都合が良い。
第二に、「反権威」のポーズをとるものを、利する。
テレビの限界
テレビニュースにおける「政治欄」は、時間的制約に縛られている。
反対にネットでは好きな時間だけ、議論を展開できる。
それゆえひとつの情報だけを「深掘り」したければ、ネットのほうが多くの情報に接することができる。
例えば国民民主党が提案する基礎控除引き上げの財源に関する議論。
テレビニュースでは、簡潔にわかりやすく、次のように伝えられる。
国民民主党は、財源を探すのは与党の責任だと言っています。
地方の県知事は、税の減収に懸念を抱くと言っています。
他にも多くの情報を伝達するために、財源論にかけられるのは1~2分程度だ。
しかしネットではもっと詳しい情報が伝達できる。
財源に関しては、玉木雄一郎自らが、①最近4年連続で税の歳入は過剰であること、②基礎控除を引き上げれば「働きびかえ」がなくなるから、経済は活性化して税収は増額するであろうこと、③大切なのは憲法第25条の生存権であって、例えば1995年の最後の基礎控除引き上げのさいには財源の提示など必要なかったこと、④自分たちは、財務省がどのような計算方法で基礎控除を178万に引き上げた場合の税収減が7兆~8兆円だと唱えているのかを知らないと、それなりにちゃんとした主張を展開している。また地方県知事の減収懸念表明に関しては、その背後に総務省の工作があったことを明らかにしている。ネットではこのような詳細な話が10~20分かけて伝えられる。
するとどうだろう。
ネットで情報を得たひとは、あたかもテレビニュースが「偏向報道」をしているような印象を受ける。
権威をぶっこわせ
さらにテレビに登場するコメンテーターが、「いつもの」肩書きを持った、とりすました「プロ」なのに比し、ネットで話すひとはいかにもシロウトぽい。ある種のいかがわしさすら感じないでもない。
しかしそのようなひとが具体的で詳細な情報に基づき、論理的に議論を展開し、建設的な政策を提案すると、説得力が生じる。大切なのは具体的で論理的で建設的だという点だ。ここが「批判ばかり」の既存の野党とは違う。
その結果、視聴者は、自分は旧来の権威に騙されていたのではないかと思うようになる。
実際、斎藤元彦に反対の声明を出した兵庫県の22の市の市長たち、あるいは玉木雄一郎を厳しく批判した政治評論家の田崎史郎や中北浩爾は、従来の権威=既得権益の表象となった。
かくして既存の権威の破壊が大事だという発想が生まれる。
難しいのは、既存の権威の破壊ということで、もしも破壊だけが大事だとされると、新自由主義に近づいてしまう点だ。またその破壊の先に、過去の日本の栄光が提示されると、極右に近づいてしまう。
僕が国民民主党を応援するのは、普遍的理念である生存権を盾に戦っているからである。
国民民主党に歴史をあたえる
革命が起きるとき、情報の量や方向に変化が認められる。
実際、フランス革命のさい、新聞の数も、発行部数も増大した。
人々は争って情報を求めた。何が起きているのか、知りたかったのである。
そして自分の現在の位置を、歴史のなかに設定したかったのである。
ところで国民民主党が歴史になるためには何が必要だろうか。
僕は、基礎控除額の修正を、各政党とちゃんと議論しておこなったあと、別の言葉で言えば「政策実現プロセスの革命」をちゃんと成し遂げたあと、国民民主党には是非解散してもらいたい。
「我々のミッションは終わった」と言って。
それがいちばんかっこいいと思う。
国民民主党そのものが権威になってはいけないのだから。
肥大化し腐敗し老化したらいけないのだから。
歴史に名を残して、後継者を生むためにも、最高のパフォーマンスを見せたあとは消える-、それが最も良いと思うのだ。
那須与一は扇を射ったあと、自害すべきだった。