サビニ

表現の自由と暴力 (5)

I-4絵からの視線

・ダヴィッド
これまで活字メディアを扱ってきましたが、画像メディアにも触れておきましょう。
ダヴィッドを扱いたいと思います。
彼はロベスピエールの友人でした。

ところがロベスピエールが逮捕されたとき、ダヴィッドも一緒に逮捕されてしまいました。
そして牢屋に監禁されました。
いつ自分も、ロベスピエールのようにギロチンに送られるか分からない。
そんな恐怖の中で、彼は一枚のデッサンを描きました。
無罪釈放となって、そのデッサンをもとに描きあげたのが「サビニの女たち」でした。

サビニ

・「サビニの女たち」
古代ローマの有名な伝説が題材です。
その伝説によれば、むかしむかし、ローマには男しかいなかった。
仕方がないので、ローマ人たちはサビニに行って女をぶんどってきた。
ぶんどられたサビニの男たちは、しばらくしてから復讐戦をしにローマに赴いた。
するとかつてかどわかされたサビニの女たちが「どうぞ戦いはもうやめてください」と、ローマ人との間に生まれた赤ん坊を見せながら頼んだ。

・観客が受けた衝撃
ダヴィッドは「サビニの女たち」を、1799年、展覧会に出品しました。
当時の観客は非常に心うたれました。
観客は、ダヴィッドがこの絵で描いたのは古代ローマではない、自分たちが生きている革命期のフランスそのものだ、ということをすぐに理解しました。
どうしてそのように理解できたのでしょう。

例えば、画面中央やや左にいる、女性の白い服を見てください。
これは革命期にたいへん流行した服でした。
あるいは画面右手前方の馬のそばにいる男性が被っている縁なし帽。
これも革命期に民衆がしばしば被った帽子でした。
さらに画面左手奥の城塞。
バスティーユそっくりです。
ダヴィッドはいろいろな小道具を使って、この絵の情景はいまのフランスなのだと言っているのです。

さらにもう一つ、観客にショックを抱かせた、ダヴィッドの工夫があります。
それが視線です。
画面の真ん中、やや後方の赤い服の女性は、まっすぐ前を、つまり画面の外を見ています。
それから子供たち。地面に這いつくばっている子も、抱き上げられている赤ん坊も、子供はみんな画面の外をまっすぐ見ています。
画面の外、つまりこの絵を見ている観客を見ているのです。

・ダヴィッドのメッセージ
「サビニの女」でダヴィッドが言いたかったこと、それは次のようなものです。
革命が始まってから、フランスでは人殺しが続いているよね。
でも未来を考えてよ。この子たちの未来を考えてよ。誰がこんな時代にしたの?
あなたは、この絵を見ているあなたは、殺し合いをやめさせるために何をしたの?
何もしていないなら、殺し合いの責任はあなたにあるよ。
何とかしてよ。
行動してよ。


小まとめ、あるいは言い残したこと

歴史家の仕事は、ひとが考えるためのヒントを提供することで、唯一絶対の正しい答えを提供することではありません。
だからまとめらしいまとめはありません。

ただ表現の自由と暴力についての考察にひとくぎりつけるにあたり、言い残したことを一つだけ。

たとえある言葉によって、今日、Aさんの心が傷ついたとしても、まさにその同じ言葉によって、明日、Aさんの心は癒されるかもしれない。
つまり、表現の自由をないがしろにして言葉狩りをすることは、時間のチカラを信じないことです。
時間の流れの中でひとは変わります。
だからこそ、ひととひとは理解しあえるのです。


【参考文献】
ロバート・ダントン『禁じられたベストセラー 革命前のフランス人は何を読んでいたか』新曜社、2005年。
Jean-Paul BERTAUD, La presse et le pouvoir de Louis XIII à Napoléon Ier, Paris, Perrin, 2000.




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