ブループラネット賞 受賞者記念講演会に行ってきた
牛にひかれて・・・?
旧女子短の教え子(現30代)からLINEがあって、お誘いを受けた。
僕は基本、自分よりも年下の人間からのオファーは引き受けることにしている。
そんなわけで10月24日、東京大学の伊藤国際学術研究センターで開催されたBlue Planet Prize2024に行ってきた。
教え子は研究職ではない。
ふつうの職場、ふつうの家庭。
でもその往復に閉じ込められることに違和感を抱き、もっと視野を広く持ちたい、知的刺激がほしいと思っていたところに、たまたまネットでブループラネットの記事を見つけたのだそうだ。
彼女としては、初めて見る赤門、安田講堂。
初めての講演会。
ふだん接する人とは違うオーラを放つ、講演会関係者たち。
SDGsへのモヤモヤの正体
講演はふたつあった。
ひとつめが、ロバート・コスタンザ教授による「持続可能でウェルビーイングな未来を創るために」。
生態系サービスをドル換算で評価したという功績が発表された。
「自然科学」と「経済学」の融合である。
しかしそこに「政治学」や「文学」の影はない。
戦争で発生する正と負が算出されることはない。(日本の反戦平和教育に馴れたひとからは、戦争は負の価値しかないと思われているが、戦争は技術力を進歩させるだけではない、国民に高揚感やアイデンティティを与えるし、もしも軍事的に勝利して支配領域が増せば経済効果もある。)
あるいはターナーの汽罐車、モネのウオータールー橋、21世紀の工場夜景の価値はどのように算出されるのだろうか。
講演を聴いていて最も難解に思ったのは、「保守」と「革新」の混在だ。「従来の生態系サービスをそのまま享受するためには、GDP中心主義の従来の価値観をそのまま続けてはいけない」。しかし同時代に存在するAだけ保守して、Bを変革するなんて可能なのかしら。
もうひとつの講演は、アン・ラリゴーデリー氏による「生物多様性科学の10年間―より良い政策と行動のために」。
地球上のあちらこちらの場所で生物多様性を調査して、その場所の政府に報告して政策立案に関与してきた業績が紹介された。
僕はシロウトだ。だからよくわからない。
そもそも生物多様性って、そんなに重要なことなのかしら。
現在の地球上のあらゆる生物を絶滅させてはいけないという命題は真なのかしら。
その生物に、コロナウィルスは含まれるのかしら。
もしもコロナウィルスは絶滅させてもいいけれど、クジラは絶滅させてはいけないというのならば、その判断基準は如何なるものなのかしら。
サンゴショウと安全保障、どちらが大切かは自明でしょうが。
この講演を聴いていて、僕が以前からSDGsに対して抱いていたモヤモヤが、確信にかわった。所詮SDGsは、あれもダメ、これもダメの、ダメだし屋だ。
だって現在の生物多様性を守るために、現在の人間の自由な行為(食文化・商業活動)に「禁止」を持ち込もうとするのだから。
科学者ならば科学の力で、新しい選択肢を発明・創造して、人類により多くの自由を与えるべきではないのか。
「知の巨人」と言われた吉本隆明(東京工業大学出身)が、3 ・11の後も原子力発電をやめてはいけない、現在の原発の諸問題は未来の科学の力で乗り越えられるという、進歩主義的な楽観論を述べていたのを思い出す。
講演が終わり、僕は質問用紙を提出した。
もちろん無視された。
帰り道
教え子「何を質問したんですか。」
僕「クローン技術の可能性について、どう思いますか、と。」
教え子(大爆笑)「そりゃあ、取り上げられませんよ。なんという反骨精神!」
僕「クローン技術が進歩すれば、生物多様性をコントロールしやすくなると思う。クジラ、三頭食べたら、三頭、クローンで作ればいいわけでしょう?」
教え子(大爆笑)
僕「講演って、一方的に情報を受け取るだけじゃない?だからこちらからも情報を出さないと、精神的均衡が保てない。もっとおしゃべりしたいじゃん?銀座に行こうよ。」
本郷から銀座は遠くない。タクシーに乗る。銀座に近づくと道が混む。タクシーから降りて歩く。
馴染みのBarへむかいながら、彼女曰く「ああ、ネオン。資本主義だわ」と歓喜。
Barでは近況をしゃべりまくる。
共通の友だちの話。自分の話。
教え子「職場では、立場上、敵ができたりするわけです。でもそんなときは先生の言葉を思い出します。『敵の数は勲章の数!』。」
馴染みのBarでは時間の進み具合がかわる。ワープが起きる。
まるでXファイルだ。
もう、こんな時間!
楽しかった。