さながら『鎖国』か?
一月も二十日!
今日は『大寒』。気のせいか寒い。
我が家からの富士山は裾野の方まで雪化粧し、いつもながら『凛』と聳えていた。
さてこの20日間たったひとつ仕事をしただけであとは近所のスーパーに行くだけで過ごしている。
沼津にも、箱根にも、鎌倉にも行けず、横浜、東京などは遥かな彼方だ。
カミさんがいて、近所に娘夫婦がいて二人の孫とは短いメールのやり取りをしているので『孤独』ではない。
されど友人知人の誰とも話さず、交流もせず、さながら『鎖国状態』だ。
今年を最後にしようかと迷った年賀状だが、元日から数日にわたって配達された『賀状』は友人知人との細い糸の繋がりだったのかもしれない。
そして今は届く便りもなく
この『noto』と『アメブロ』と時々の『ユーチューブ』の発信が鎖国中の我が日々から社会を覗く小さな『窓』、江戸時代の『平戸』のようなものなのかもしれない。
されど、小さくても『窓』があるだけ有難い!良し!とせねばなるまいか。